第16話 ジェイクという青年
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ジェイクの足はメイドのジェシーの前でぴたりと止まる。
頭を下げ続けるジェシーは震えそうになる手や足にぐっと力を込めた。
「――このブレスレットは?」
ジェイクが尋ねたのは自分の腕にあるブレスレット、予想外の問いかけにジェシーは必死で答えを口にする。
「街で流行中のものです。騎士様も身に着けたことで、人気に火がついたと聞いております」
「街で? このブレスレットがか?」
そう口にしたジェイクは無遠慮にジェシーの腕を掴む。
掴まれたジェシーは驚き、顔を上げ、ジェイクの顔を見るが、彼の表情に言葉を失う。険しく鋭い眼差しはそれまで見たことがないものだ。
父であるゴードンがいた頃は、穏やかで自分の意志を表さない少年であった。そんなジェイクを嫡男としては心もとないという意見すらあったのだ。
だが、父という枷がなくなった今、ジェイクを止めるものはいない。彼の眠っていた本性は周囲の使用人達を恐れさせているのだ。
「その……ジェイク様、手をお離しください。そのようなメイドが身に付けたものなどジェイク様がお気になさる価値はございません」
ジェイクについている使用人の一人が声をかける。
この場を収めようと口にしたその言葉、しかし、ジェイクは使用人を睨みつける。
「気にする価値がないだと……。貴様にこの価値がわからぬだけであろうが!」
突然のジェイクの激昂、周囲にいる者達は理由もわからず、戸惑うばかりだ。
苛立ちを隠さないまま、ジェイクはその場を去っていく。慌てて、使用人達は彼を追いかける。
あとに残されたメイドのジェシーと年嵩のメイドは、今後のマッキンリー家の将来があの若者に託されることに、大きな不安を覚えるのだった。
部屋に戻ったジェイクは苛立ちを押さえるように爪を噛む。
幼い頃からの癖であるこれはなかなか治ることがない。
父であるゴードンはジェイクにとって絶対的な存在であり、同時に重い枷でもあった。父ローガンの言う通りに人生を歩んできたジェイクは、精神的支柱である存在を失い、揺らいでいる。
抑えられた反動なのか、自分の思いをなんとでも成し遂げようと衝動的なのだ。
それは彼が目指す存在が父ゴードンであることも大きい。
偉大な父であるゴードン、その影響はジェイクの心に未だ生きる。
「あれは……あれはミラが編んだものだ…………」
そう呟いたジェイクはサイドデスクの引き出しを開ける。
幼い頃、婚約者である少女がジェイクにくれたブレスレットがそこにはあった。
色や材質こそ異なるものの、編み方はまったく一緒である。
優しい手つきで古いブレスレットに触れたジェイクの眼差しは先程、メイドに向けられたものとは全く異なるものだ。
貴族であるお前が身に付けるには値しない――そんな父の言葉にジェイクはそれを身に付けることが出来なかった。
しかし、初めて婚約者ミラに貰った手編みのブレスレットを捨てることなく、ジェイクは隠し持ってきた。
父であるゴードンの期待や厳しい指導、そんな中、ジェイクにとってミラのブレスレットは希望であり、支えでもあったのだ。
「……探さなきゃ。きっとミラも僕も待っていてくれる……」
ミラの能力が顕現しなかったあの日、ジェイクも大きな衝撃を受けた。
能力に目覚めないミラとの婚約は破棄される。ジェイクは父であるゴードンの決定に逆らうことが出来なかったのだ。
あのとき、何も出来なかった自分とは違う。今、このマッキンリー家の当主はジェイクなのだから。
ブレスレットを握ったジェイクはそれを右腕につける。
やっと身に付けられた幸福感と、ミラに会える希望にジェイクは一人、笑う。
それはかつての弱々しくも優し気な微笑みとは違う、歪んだ笑みであった。
*****
街を行きかう人々を眺めながら、ミラはパンを口に頬張る。
ミラの隣には、人が一人座れるほどの距離を開けて、ギルバートが座る。
慣れというのは恐ろしいもので、もうすっかりギルバートとの昼食にミラが疑問を持つことはない。
今はエルザが店番をしているため、食事をしても良いと時間を貰った。店から少し離れた場所で食事をしているミラだがエルザからの視線を感じる。
ちらりとそちらを見ると頑張れとばかりにこぶしを握るエルザがいる。
結局、誤解されたままなのだが、二人の恋路を応援しようとエルザは協力的であった。
「王都だが、ブレスレットの効果が出ているのか重傷者が少ないんだ」
「本当ですか⁉ それは良かったです……!」
自分の家族が救われているかのように喜ぶミラに、ギルバートは目を細める。
しかし、表情を引きしめると今後に関しての相談を口にした。
「より一層、効果を高めるために水に付与が出来ないだろうかと考えているんだ。このまえの少年の回復もあるからな」
先日、共に訪れた孤児院で、病に苦しむ少年にミラは付与をかけた水を飲ませた。その後も何度かミラと共に足を運んだが、少年は順調な回復を見せている。
それをもっと大規模な形で行えればとギルバートは計画していた。
水は全ての生き物が口にする。王都やリブルの街の貯水池に付与をかけることで、王都周辺、そしてリブルの街での感染が収まっていくのでは――そんな期待をギルバートは抱いている。
けれど、その一方でミラの負担も相当なものとなるだろう。
「出来れば、規模の小さいリブルの街から始めたい。君の負担がどれほどのものかわからないからな。それで無理ならそのときは別の案が必要となる」
「……わかりました。私もこのリブルの街の人にはお世話になってるし、まずはこの街からでいいと思います」
こちらを真剣な眼差しで見つめるジュリに、ギルバートも頷く。
「領主であるハワード侯爵の許可はすでに頂いている」
「ハワード侯爵様……」
自分とジルを保護下に置くため、領主であるハワード侯爵家の縁者の元に身を寄せる話にまだ返答はしていない。
ありがたい話であるのだが、生活が一変することにミラの中に恐れがあるのだ。それは幼い頃に家族と離れ離れになったあの出来事のためである。
無理強いをしてこないハワード侯爵とその縁者である御方、それはミラとジルへの配慮に他ならないことを重々承知しているのだが、ミラはなかなか決断できずにいた。
そんなミラに気付いたのだろう。ギルバートが話を続ける。
「領主様の許可の元であれば、迅速に事が運ぶだろう。このリブルの街のため、力を貸してくれることに感謝する」
「当然です! 頑張りますね、あたし! ……あれ、リード様、その傷はどうしたんですか?」
ギルバートの腕には先日まではなかった傷がある。
「あぁ、これか。街の外れの森近くで獣が出てな。魔法が使えないから、防衛しながら戦うんで、時折こうなるんだ」
「……そうなんですね」
他の騎士であれば、魔法で防衛しながら、剣を振るう。だが、ギルバートにあるのは剣の腕のみなのだ。
それでも騎士になれたのは彼の腕の良さだろうとミラは思う。
ポケットを探るミラは手に握ったブレスレットをギルバートへと差し出した。
「はい、これ。これから色々と動くのに、肝心のリード様が流行り病や怪我をしては困りますから!」
「……ありがとう」
そう言って微笑んだギルバートは右腕にミラのブレスレットをつける。
感染症の広がりを抑えるために、ギルバートはミラに協力を仰いだ。
貴族としての立場を用いてしまえば、従わせるのは容易いことなのに、ギルバートはそれをしない。
そしてミラとジルの気持ちに配慮し、今後を考えてくれる。
オスとメスの双子の子猫にも嫌な顔一つしなかったのだ。
当初の印象と異なるギルバートにミラの気持ちは定まっていく。
貴族を信じるわけではない。目の前の男、ギルバート・リードを信じてみようとミラは決意するのだった。
しかし、流行り病がもたらすのは、体調の不具合だけではない。
目に見えない不安は人々の心にも、その関係性にも静かに侵食していく。
変化していく人の心には、まだギルバートもミラも気付かずにいた。
次回の更新は来週の土曜日になります。
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