第3話 妹と竜3
竜が出た。誰もいなくなった。
この日、ソウは初めて竜を見た。その姿はまるで鳥だった。
翼で草地に波を起こしながら、縦横無尽に空を駆ける。黒ずんだ全身は体毛のような細かい鱗で覆われて、足の先には鋭い爪、さらにクチバシのような口からはギラリと牙をのぞかせていた。何より驚いたのはその巨体だ。ソウが十歳の子供だから大きく感じるのではない。大人でもまるのみにされそうなほどだ。
それが、何匹もいる――。
人も、テントも、建物も。
次々と壊されていく――消えてしまう。
逃げろ。早く逃げるんだよ。
おばあさんの怒鳴る声がして、やがてそれも消えてしまった。
ソウは逃げなかった。そんなことできるはずがない。妹が残っている。足がすくんで立てないみたいだ。
「お兄ちゃん……」
「何も、怖くないからな」
――――怖い。だけど、まだ五つの妹はもっと怖いはずだ。
ソウは妹の不安が少しでもやわらぐようにと、震える身体をしっかりと抱きしめて、そっと頭をなでてあげる。それから小さな妹を背に隠すようにして立ち上がると、頼りない木の棒を強く握りしめ、眼前にまで迫ってきた竜をにらみつけた。
(怖くなんか、ない……!)
何度も何度も言い聞かせて――。
(こんなやつら、ぜんぶ……!)
(ぜん、ぶ……)
(……)
◇
次にソウが見たのは、真っ白な光だった。
寝起きの目にはまぶしくて太陽かと思った。だけど、違う。真っ白な天井がある。建物の中だ。
(……?)
頭の中がぼやっとして、思考が働かない。ソウは顔を動かしてみた。
真っ白な壁の部屋。淡い色のじゅうたんの上には、知らない物がたくさん置かれていて、知らないお姉さんが寝そべって何かに目を落としている。
「ここ……どこ?」
「王都だ」
お姉さんと目が合った。きりっとした顔つきなのに、だらっとした服装をしている。ソウよりずっと年上ではあるのだが、大人なのか子供なのかまでははっきりとしない。そんなどこか曖昧なお姉さんだった。
「おお、と……?」
ソウはつぶやくように言ってみる。わからない。王都なんて言葉、聞いたことがなかった。
不意に焦る気持ちが湧き上がってくる。どうしてこんな所で寝ているのだろう。みんなはどこに……。そういえば、何かがあった気がする。大変な、とても大変な何かが――。
(あ……)
その瞬間、ソウの頭に竜の姿が過ぎった。
ソウは慌てて身体を起こす。めまいがして、全身に激痛が走った。まるで何かに殴られた後みたいだ。うずくまりながら、あちこちに白い包帯が巻かれていると気づいた。
「無理をするな。何日も寝ていたんだ。腹は減っていないか? すぐに用意させ――」
「……どこ」
「む? だから――」
「どこっ!」
ソウは叫んでから立ち上がろうとするが、寝床が高くなっていて転げ落ちた。危ない、と聞こえる。だけど、そんなことを気にする余裕はない。ソウは痛みを忘れて起き上がると、一目散に部屋から飛び出した。
(…………ここは、どこ?)
遠くに高い壁が見える。どうやら周りをぐるっと囲んでいるようで、まるで屋根のない建物の中だ。それなのに、箱みたいな建物がたくさん並んでいる。
たくさんの音。たくさんの人。
だけど、誰もいない。最後まで残っていた妹の姿もない。
(みんな、どこ……?)
ソウは走った。人とぶつかりそうになった。それでも走った。
知らない場所。知らない顔。
走っても、走っても……!
(どこ、どこ、どこ…………!)
誰もいない。誰もいない。誰もいない。
ついには疲労の限界がきて、ソウの足がもつれてしまう。
(ど、こ……………)
ソウは石の敷かれた地面に倒れてしまった。
じわじわと全身に痛みが戻ってくる。身体が動かない。頭すら上げることができなくて、ソウは現実から逃げるように涙のにじんだ目を閉じる。しかし、そこに見えたのは何もない暗闇だった。
(誰も、いなくなった――)
胸の奥がぞわぞわとする。気分が悪くて、今にも吐きそうになる。
痛い。痛い。鼓動が痛い。それがガタガタと全身に伝わって、同時に何かが……空っぽな何かがソウの頭を満たしていく。
これは、何――――?
怖いとは違う。不安やさびしいでもない。そんな感情ごと、ソウそのものを消し去ってしまうような何か。ダメだ。これはダメだ。ソウは本能的にそれを追い出そうと絶叫しかける。そのときだった――。
妹の泣く声がした。
過ぎ去るように一瞬だけ。幻のように曖昧に。
ソウははっと我に返って目を開ける。動かなかったはずの腕に力を込めて、ぐぐっと顔を上げると、いつものように妹を見つけようとしていた。
たくさんの人が見える。驚いた顔でソウを囲んでいる。……知らない顔ばかり。妹の姿はなかった。
(――いや、いる)
ずっと聞いてきた声。聞き間違えるはずがない。
ソウは歯を食いしばって立ち上がると、まるでにらみつけるような形相で辺りを見渡す。その姿には、群衆をのけぞらせ、近寄らせないほどの凄みがあった。
(どこにいるの……?)
ふらつく足を前へと進める。
(どこで泣いているの……?)
一歩進んでは目を動かす。何歩も、何歩も繰り返す。
(怖がってる。早く、見つけてあげないと)
妹は見つからない。どれだけ歩いても見つからない。
どこに、どこに――。
「ようやく見つけた」
誰かがソウの両肩を支えるようにつかんでくる。おぼろげに顔を上げると、先ほどのお姉さんが息を切らして立っていた。服装は動きやすそうなものに変わっていて、くせ毛のある短めの髪が少しだけ乱れている。
「とんでもない体力だな。だが、さすがに限界のようだ。ほら、戻るぞ。歩くのが辛いならおぶってやろう」
「……行かない」
「そんなことを言うな。拾った縁だ。対価など求めはせんよ」
お姉さんが言うには、ソウは倒れていたところを助けられ、この王都へと運ばれたらしい。もう何日も前のことだ。故郷は見るも無残な状況だったようで、見つかったのはソウ一人だけだと言われた。
違う、とソウは首を振った。妹はいる。声が聞こえた。怖くて泣いているときの声。きっと今も――。
「妹……? 妹がいるのか?」
ソウは黙ったままうなずく。お姉さんは少し迷ったような顔をして「わかった」と言った。
「この王都にいるのだな? それであれば打てる手は多い。わたしに任せておけ。すぐに見つかる。さあ、行くぞ――」
そのとき、風を裂くように甲高い音が響いた。続けてドンドンドンと何かをたたく音がして、周囲の人々が騒めき出す。竜だ、竜だ、と聞こえてくる。
「こんなときに――!」
お姉さんはキョロキョロしながら「どこをほっつき歩いている」とぼやいて、「避難だ」とソウの腕を引く。しかし、ソウは動かなかった。騒ぐ声にじっと耳を傾ける。
――りぅ。
ふと妹が竜を怖がった日のことを思い出した。それが最後に見た、怯える妹の姿に重なった。
「……竜が、怖いんだ」
小さくつぶやくと、ソウの頭の中がすっきりとしていく。
見つけた。妹が見つからない理由。
竜だ。
妹は怖がりだから。竜がいると出てきてくれない。
(竜が、いるから――)
ソウはお姉さんの手を振り払って走り出す。
避難する人の流れに逆走し、その先でソウは上空に黒い影を見つけて立ち止まった。
(竜……!)
大きさはソウと変わらないくらい。だけど、竜だ。確信して強い威嚇の念をぶつけると、それに竜も気づいたのか、ソウを目がけて急降下してきた。
(竜、竜、竜――!)
みるみる距離が縮まっていく。あと少し――のところで、突如として誰かがソウを追い抜くようにして割り込んできた。
(……え?)
ソウが理解するよりも先に、竜の胴体が二つに割れて、たたきつけられるように地面へと落下した。その残骸をぼう然と眺めていると――。
「無事ですか?」
柔らかい声にソウは顔を上げてみる。そこで微笑んでいたのは、知らないお兄さんだった。
◇
それからほどなくしてのこと。
竜を狩る子供がいる。そんな噂が王都でささやかれた。
――うちのガキくらいだって聞いたぞ。
――とんでもない大物をやったとか。
憶測が憶測を呼ぶ中で、さらに一つ奇妙な話があった。
その子供は横たわる竜の死骸を前にして、喜ぶわけでもなく、誇るわけでもなく、まるで心をなくしたみたいに泣いていた。




