第15話 幽閉の祈り子9
(……感じる。近くにヒナがいる)
太陽も、月も、光を届けてくれない地下世界。
暖かくはなく、寒くもない。まるでそういった感覚から切り離されたみたいだ。
(灯り?)
ふとソウは真っ暗ではないことに気づいた。天井や地面がチカチカと火花のように点滅しており、その周辺はぼやっと青白く光っていた。警備用の巡回路、あるいは傭兵の制服なども一部が夜になると淡く発光するのだが、それらを何倍も明るくした感じだ。近くであれば人の顔くらいは視認できるだろう。
ただ、視界の届く範囲に壁らしきものが見当たらない。所々で地面が隆起しているものの、どれも柱になるほどではなく、まるで空気によって天井が高く持ち上げられているようだ。唯一の例外といえば、いかにも人工的に造られた巨大な支柱。おそらくエレベータの裏側だろう。ヒナの気配がするのは、ちょうどその反対側だ。
ソウはエレベータの入口側まで回ってみる。その正面の遥か先の地面では、小さく火が燃え上がっていた。それは橙色の道だと言わんばかりに点々と奥まで続いている。
「――ぁっ!」
いっせいに火の群れが揺らめいて、ひっそりとした空間に甲高い音が響く。悲鳴だ。はっきりとソウの耳に届いた。
「…………ヒナ? ヒナっ!」
確信すると同時に、ソウは遠くに見える火の道へ向かって走っていた。
◇
「――くそっ、起きやがって。早く薬を飲め」
「嫌……嫌っ! 放して!」
点々と燃える地面が導く先。四隅で燃える松明の中心には車輪のついた簡素な祭壇らしきものがあって、上にはふたの落ちた棺が乗っている。そして、その手前では、小柄な幼い少女が中年の男に腕をつかまれていた。少女はジタバタとしているのだが、男の力には勝てずに腕を振り払えない。
「嫌だ! 嫌だ! ここどこ。カスミお姉ちゃんどこ……!」
「騒ぐな。いいから飲むんだ!」
男が少女の腕を引っ張る。そのとき力が入ったのか、少女が悲鳴を上げる。
「痛、痛いっ! やめて。怖い。お兄ちゃん……お兄ちゃん――――!」
「さっさと…………ん? 何だ? 声? 誰かいるのか? あ――」
男の注意がそれた一瞬に、その手を少女が振り払う。逃げようとする少女を男がまた捕まえようとしたとき、少女とすれ違うようにしてソウが飛び込んで、がしっと男が伸ばした腕をつかんだ。驚いた男が腕を動かそうとしても、びくともしない。
「な――祈り子!?」
「この手は何だ。潰せばいいのか?」
人間の身体というものは、竜に比べて随分と脆い。耳障りな悲鳴が聞こえなければ、本当にうっかり骨ごと握り潰してしまうところだった。
ソウがぱっと手を放すと、男は崩れるようにして地面に倒れ、腕を抑えながらうめき始めた。それを淡々と見下ろしていると――。
「貴様……何をする!」
まだ奥に男が二人いる。その一人が棒のようなものを突き出そうと接近してきた。しかし、小型竜の突進ほどにも感じない。ソウは軽々と棒をつかむと、力任せに真下へとたたきつけた。木製の棒が地面を砕きながらへし折れて、男はバランスを崩して倒れ込む。起き上がろうとした男の眼前に、ソウは折れた棒の切っ先を突きつけた。
「おまえは竜より強いのか?」
「竜、だと……? く、この力――竜狩りか! 王家の連中め、手が早い」
(王家……?)
ソウが眉をひそめたところで、奥に残っていた最後の一人から含むような笑いが聞こえた。松明の炎に照らされた顔は、他の二人と比べて若く見える。おそらく二十代半ばといったところだ。ただそのギラっとした目つきには、熟練の傭兵にも似た貫禄があった。
「竜よりねえ。ああ、強いと答えてやるよ。…………子供。なるほど、件の竜狩りか。子供とはいえ、大型竜を難なく仕留めると聞いている。さすがに相手をするには時間が足りない。竜や『守護者』まで呼び寄せては厄介だ。撤収する。仕切り直しだ」
「……逃げるのか?」
「何だ、戦いが目的だったか? てっきり『祈り子』を迎えに来たのかと思ったが」
ソウははっとして、すぐ背後にある気配を意識する。男がくつくつと笑った。
「互いのためだ。今日のところは大人の事情に付き合ってもらおう」
男が目線を送ると、ソウの近くの二人がそろそろと距離を取り始めた。深追いをしてこの場を動くと、背後に危険が及んでしまう。そんな警告のような空気を感じ取り、ソウは黙ったまま状況を見守った。
「聞き分けがよくて助かるな。それではこちらは退散させてもらうとする」
そう言い終えた直後、男の口元がニタリと歪む。
「無事に連れて帰れるといいがな――」
ソウが身構えるのとほぼ同時、男は懐から何かを取り出して、それを祭壇のような場所に向かって投げつけた。ガラスの弾ける音が連鎖的にして、甘く酸味のある匂いが辺りに漂い始める。わずかに目がかすんだ。
その間に、男たちが走り去る。祈り場の他にも出入口があるのか、まったく別の方向に消えてしまった。
(何をした?)
ソウは身構えたまま視線を動かすが、何かが起きる様子はない。
「けほっ、けほっ」
「――ヒナ!?」
背後からのせき込む声に、ソウは振り向いていた。そこに座り込んでいた少女と目があって、ソウは思わず固まってしまう。
「お兄……ちゃん?」
夜のように曖昧な光なのに、はっきりと顔が見えた。夢とは違う。少しだけ大きくなった。それでも別れた日のままの面影がある。
「ヒナ……」
「お兄ちゃん、やっぱりお兄ちゃんだ!」
ヒナはよろよろ立ち上がるとソウに駆け寄って、しがみつくようにして抱きついてきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。会いたかった!」
泣きながら顔をうずめてくるヒナに対して、ソウは声すら出すことができなかった。何を言えばいいのか。どう感情を表せばいいのか。それでもそっと触れるようにヒナの小さな肩を抱いてから、ようやく一言だけ胸の奥から絞り出した。
「…………ごめんな」
「ううん。来てくれた」
この五年――ずっとソウは苦しんできた。
後悔をして。心が壊れそうになって。自分に嘘をついて。
そのくせ諦めることはできなくて。竜を狩り続けて。やっぱり会えなくて。
自分がわからなくて。自信がなくて。会うことすら怖くなって――。
…………違う。そんな絡まった話ではない。
ヒナのいない日々が辛かった。
たったそれだけの単純な話。
だから、悩んだことも、苦しんだことも、もう遠い昔のこと。
その証拠に。
まるで大切な思い出を映しているかのように、涙だけは余計だったかもしれないけれど、ソウはヒナに向かって微笑んでいた。
「ヒナ、ふらついているんじゃないか? 歩けないなら背中に――」
「ううん。平気。お兄ちゃんと歩きたい。ねえ、お兄ちゃん。手をつないでもいい?」
「もちろん。ゆっくり帰ろうか」
「うん。えへへ。またお兄ちゃんと一緒だ。あ、カスミお姉ちゃんがね――」
そんな二人の遥か後ろで。おぼろげな光をのみ込む闇の奥で。
ポチャっ――。
水の滴る音がした。




