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再び目覚めた世界で、水は腐っていた

 気がつけば、そこは草原だった。


 空はやけに青く、空気は澄みきっている。

 遠くまで見渡せる視界には、遮るものが何ひとつなく、風が地面をなでてゆく音だけが耳をくすぐる。


 柿谷誠司は、ぼんやりと空を見上げながら、重い体を起こした。


 


「……はあ……やっぱ、マジだったか……」


 


 目の前には、あまりにも“異世界”らしい風景が広がっていた。


 土と草の匂い、どこか甘い木の香りすら混ざるこの空気は、

 東京の通勤ラッシュで吸い込んでいた排ガスとは別世界そのものだった。


 


 昨晩――というより、今生では――現場の崩落事故に巻き込まれて命を落とし、

 神と名乗る存在に「報われなかった人生への贈り物」として、転生の機会を与えられた。


 その結果が、この風と草の匂いに包まれた平原というわけだ。


 


 柿谷は体を支えるようにして立ち上がり、手に持っていた革袋を確認する。

 神から手渡された“最低限の支援物資”――転生キットの中身がそこに詰まっていた。


 


 まず、一冊の分厚い冊子。タイトルはこう記されている。


【転生者向け・基礎生活マニュアル(神印公認)】


 まるで役所が作ったハンドブックのようだ。


 パラリと開いてみると、内容は驚くほど具体的で実用的だった。


この世界では、魔力が“存在の根源”として扱われていること


共通言語が存在し、転生者には自動翻訳機能が付与されていること


銀貨・銅貨の通貨体系


野生動物や魔物への注意点


村や都市の構造、食事、住宅の特徴


“風呂”という文化は一部にしか存在しないこと(!)


「……衛生観念、けっこうヤバそうだな、これ」


 思わずつぶやく。


 支援物資の中には、他にも硬めのパンのような保存食、水入りの小瓶、銀貨10枚、銅貨15枚、そして羊皮紙で作られた地図があった。


 


 地図を広げてみる。現在地は平原のど真ん中らしい。

 すぐ北西に、〈エルズ村〉と記された小さな村がある。徒歩で半日もかからない距離だ。


 


「とりあえず……まずはそこだな。飯屋と宿があれば御の字だけど……」


 


 柿谷は革袋を背負い、ゆっくりと草原の中を歩き始めた。


 

 


 日が昇り始めたころ、遠くに村の輪郭が見えてきた。

 木造の柵が村を囲み、煙が何本か、家屋の間から上がっているのが見える。


 しかし、それよりも先に、柿谷の鼻に違和感が走った。


 


「……あれ?」


 


 最初は風が変わったのかと思った。

 だが、明確に“臭い”がある。しかも、生ゴミや枯れ草のような匂いとは違う。


 もっと、重く、湿気を含んでいて、しかも不快。


 


「これ……生活排水系の臭いじゃねぇか……?」


 


 現場で嗅ぎ慣れた“それ”だった。


 腐敗が進んだ水の臭い。加えて、人間由来のもの、動物の排泄物、

 さらに流れていない“よどんだ水”特有のむっとした感触。


 都市部の下水処理現場ならともかく、こんな自然あふれる異世界でこの匂いは異常だ。


 


 彼は本能的に、臭いの元を探して歩き出していた。


 


 村の外周を囲うように、木製の小さな水路が掘られている。

 水はあるにはあるが、明らかに濁っており、緑の藻がびっしりと張り付いている。


 ときおり、ゴボッと気泡が上がる――腐敗のサインだ。


 


「……設計が甘すぎる。傾斜が取れてねぇし、流量も不足。

 しかも……ゴミがそのまま放置か。流す気ねぇな、これ」


 


 柿谷はしゃがみ込み、水路の中をのぞき込む。

 そこには、明らかに生活から出たと思われる排水――石鹸か洗剤のような泡が溜まり、腐った野菜屑、髪の毛のようなものまで浮いていた。


 


「やば……これ完全にノー管理だわ……」


 


 だが、もっと深刻なのは――この水が、村の中心にある“共同井戸”へとつながっている痕跡だった。


 どう見ても、上下水が分かれていない。


 


「これ、飲み水と排水が混在してるってことかよ……」


 


 その瞬間、柿谷の背中に冷たいものが走った。


 ここは、まだ“人が普通に生活している村”なのだ。

 だというのに、この状態を誰も直そうとしないのか? それとも――知らないのか?


 


「……こりゃ、放っとけねぇな……」


 


 そう呟いたときだった。


 背後の茂みから、カサッと音がして、小さな声が聞こえた。


「きゃっ……だ、誰っ!? そこにいるのっ!?」


  


 振り返ると、そこに立っていたのは――若い少女だった。


 栗色の髪をポニーテールにし、少し日焼けした健康的な肌。

 青く澄んだ瞳が、こちらを真っ直ぐ見つめている。


 彼女は警戒しつつも、少し興味深げに柿谷を見ていた。


「……あんた、どこから来たの? 見たことない服だし……」


「旅の途中で、迷った。ちょっと水が飲みたくてな」


 できる限り穏やかに、嘘ではない説明をした。


 少女は水筒を持っていて、さっきの水路から汲もうとしていたのだろう。


「……それ、飲むつもりだったのか?」


「うん。みんな飲んでるけど?」


 


「マジか……」


 柿谷は思わず顔をしかめた。


「いや、それ、飲んだら確実に体壊すぞ。腐敗が進んでる。

 微生物、菌類……何が湧いてるかわかったもんじゃねぇ」


 


「……! 弟が、最近ずっと熱を出してて、下痢も止まらなくて……

 お医者様は魔力の乱れだって言うけど、全然治らないの……」


 


「……多分、原因はこの水だな」


 


 少女の表情が、驚きと希望で揺れた。


 


「わ、わたし、フィーリア。あんたは……?」


「柿谷誠司。ただの……現場上がりのオッサンだよ」


 


 そう言って、誠司は笑った。だがその表情は、どこか頼もしく見えた。


 


「だけどな、こういう問題――

 この仕事、俺がこなしてみせる」


 


 


――To be continued.

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