10章 黄金の勇者 後編
ここは、誰も訪れぬ場所。
静寂に包まれたこの空間に、ただひとり、私は閉じ込められている。
魔王の放つ冷たく響く言葉が、まるで真実のように、私の心に突き刺さる。
「ここに救いの手を差し伸べる者など、もはや存在しない」と。
しかし、その絶望の暗がりに、一筋の光が現れた。
「ええと。進行可能な勇者が不在のため、黄金の勇者が召喚されました。ぽちっ」
黄金の甲冑に身を包んだ勇者が、何の前触れもなく現れ、軽やかに、けれど決然とした態度で私を見つめる。
彼の声は、予想外の柔らかさを湛え、魔王に向かって鋭く切り込んでゆく。
「誰も来ないって、なんかそういうデータでもあるんですか?」
勇者は問いかけた。
まるで私の孤独が、彼のもとではただの統計に過ぎぬかのように。
私が胸の奥でくすぶらせていた絶望を、淡々とした言葉で無力化する。
魔王アガンテアの言葉が、どこか不安げに揺らぐ。
「ここを訪れる勇者はもういないはず……」
「それってあなたの感想ですよね?」
勇者の声は、静かに魔王の言葉を遮る。
彼はさらに問い詰める。
「なんだろう……彼女をここに閉じ込めてなんかそれって意味あるんすか?」
魔王は、しどろもどろに答える。
「この世界を守る為に……彼女を治しているのだ」
「ひとつ聞いていいすか? 治すためであるなら、世界から隔離する必要性ってないんすよ。世界から隔離するというと、その必要があるのって世界に危害を加える可能性がある場合とかなんすよ。たぶん彼女ってよくわからない事をぶつぶつ言っているだけで、手当たり次第に誰かを傷つけて世界に危害を加える攻撃性とかってあまり見えてこないのですよ。世界に危害を加えないのであれば、隔離って必要ないと思うんですけど、彼女はなんかその世界に危害を加えたんですか?」
黄金の勇者は、魔王を追い込む。
「『はい』か『いいえ』で答えてください」
「いや……まだ危害は加えてはおらんが……」
「じゃあ、世界に何も危害を加えていない彼女を、なんか危険そうだから世界から隔離してここに閉じ込めてるって事でいいっすか? なんだろう……あの、あいつまだ何も危険な事は何一つしてないけど、おかしいからいつか危険な事するに違いないよね? 隔離しとけばみんなが安心だよね? 隔離して安心しようぜ、って事っすよね? そういうのめちゃくちゃ危険な考え方なんで、やめた方がいいんじゃないかなって思います」
魔王の姿は突然、消えた。
「てことで。黄金の勇者は異世界干渉無効化を発動しました。魔王は魔王城から消滅しました」
魔王が何も言えなくなったとき、黄金の勇者は私の方に向き直り、少しだけ微笑んで言った。
「そういえば、あなた最後の天使なんですよね? 」
――最後の天使。
「そう、私は……ホーンオブリベリオン、最後の天使……」
けれど勇者は、再び私の世界を揺さぶる。
「へえ、本当に天使なんだ。すげー」
彼の一言が私の胸を突き、突き刺さる。
「黄金の勇者は異世界干渉無効化を発動しました。天使は魔王城の幽閉から解放されました」
彼は、何の躊躇もなく、私を閉じ込めていた牢の扉を開いた。
そして、驚きに目を見開く私に、あくまで淡々とした口調で言った。
「貴方が天使だというなら、空でも飛んでみてください」
私は言葉に詰まる。
翼など、私にはないから。
天使としての証など、ここにはひとつも見つからない。
「……私は、羽根がないから……」
「え? 天使なのに空飛べないんすか? 羽のない天使なんて聞いたことないっすけどね」
彼の問いかけが、またひとつ、私の心を揺るがす。
そして勇者の次の言葉が、私の存在を、私の「真実」を、さらに深く突き崩す。
「この世界、ホーンオブリベリオンとかでしたっけ? そんな世界は、何処にも存在しません。それって全部、あなたがやってたゲームですよね?」
私の胸の奥が、ざわめく。
そんな、世界は、ない……?
「ここは魔王城でもなんでもなくて、保隠市に建てられた普通のリベリオ精神病院で、貴方はただの入院患者です」
――私は……本当に、ただの……。
勇者の言葉が、私の幻想をひとつひとつ壊していく。
その言葉の響きが、私の心の中に築き上げてきた全てを脆く崩していくようだった。
「あと異世界のホーンオブリベリオンとか、4人の勇者とか、魔王とか、最後の天使とかもそうなんですけど。あなたをここに閉じ込めている主治医の先生とかも、入院している他の患者さんたち……横山咲さん、西田司さん、鬼瓦剛さん。それに、面会に来てくれてる息子の桜木優くんでしたっけ? ここには最初からそんな人たち、いないすよ?」
世界が、大きく揺らぐ。
「交通事故に逢ったのは桜木優くんではなく、あなたです。あなたは、その事故で息子さんを流産しました」
私の虚像の世界が音を立てて全て壊れていった。