プロローグ
記憶が霞の中に沈む。
まるで夢を見ているようだった。
どこからどこまでが現実で、どこからが幻なのか、手触りも確かめられないまま、ただ空虚な白に包まれていた。
目を開けると、一面の純白。
雲の上か、それとも霧の中か、そんな抽象的な空間が広がっていた。
空気は冷たくも暖かくもなく、音も匂いも存在しない。
ここは……どこだ?
脳裏に浮かぶのは、トラックの光景。
そうだ、僕は――。
◆・◆・◆
「……トラックに轢かれて……死んだのか?」
そう呟いた瞬間、不意に響く柔らかな声。
それは、この白い虚無に明確な形を与えるかのように、僕を呼び覚ました。
「ここは天国ですか?」
「いいえ。ここは異世界ホーンオブリベリオンです」
どこか透き通っていて、温かみを帯びながらも神聖な響きを持つ声。
……天国ではない?
「あなたは誰ですか?」
「私はこの世界の女神『ヴィシニョーヴィツヴェト』です」
問いかけると、彼女は微笑んだ。
彼女の姿は眩しいほどに神秘的で、まるで絵画から抜け出してきたような威厳を感じさせた。
この場所、そして僕自身の状況――全てが現実の枠組みを超えていた。
「僕はいったいどうなったんですか?」
「あなたはトラックに轢かれて、この世界に転生しました。あなたは天使アリスの加護を得た黒の勇者カインドです」
その言葉に、少しだけ安心したのは何故だろう。
少なくとも「完全に消え去った」わけではないという安堵が、心の奥底でじんわりと広がっていく。
「天使アリスとは?」
「この世界は天使たちの加護により平穏を保っていました。魔王軍の天使狩りによって天使たちは絶滅に追いやられました。今や生き残っているのは魔王城に幽閉された最後の天使アリスだけです」
天使狩り……? この世界では、天使は守護者ではなく、狙われる存在なのか。
どうやら、僕はその最後の天使に召喚された勇者らしい。
なんだろう、僕はその天使の事を……記憶のどこかで、知っている。
「天使アリスの加護とは?」
「あなたが手にする2本の聖剣です」
「右手の剣は炎の生命を宿した『プラーミャ』、左手の剣は氷の生命を宿した『ザマロージ』、2本の剣の力を合わせると魔を浄化する『福者ユーフロシーニャ』を発動できます」
なるほど、加護というのは……つまり、スキルって事か。
心臓が高鳴った。
「僕はこれからどうすればいいですか?」
「あなたはこの世界に平穏を取り戻す希望です。幽閉された天使アリスを救ってください」
その言葉に頷きながら、僕の中にある記憶が微かに疼く。
天使アリス……名前に覚えがあるような気がする。
何故だろう、彼女の姿が思い浮かぶはずなのに、靄がかかったようにはっきりしない。
それでも、一つだけ確かに分かることがある。
この世界で僕は、彼女を救うために存在するのだと――。
「事態は一刻を争います、あなたにはレベルアップボーナスを授けます」
黒の勇者 カインドは経験値 30682 を獲得した!
レベルが 76 あがった!
最大HPが 1338 あがった!
最大MPが 221 あがった!
STRが 134 あがった!
AGIが 157 あがった!
DEXが 148 あがった!
VITが 118 あがった!
INTが 128 あがった!
RESが 101 あがった!
女神がそう言うと、僕のステータスは目まぐるしく上昇した。
異世界転生という割に、まるでゲームのような展開に僕は苦笑いをした。
「あ、後もうひとつ聞いてもいいですか」
「はい」
「僕の任務は天使アリスを保護する事なので……別に魔王は倒しても倒さなくてもいいんですよね?」
女神の表情が少し陰るのがわかった。
彼女は静かに語り始める。
「あの……それは、どういう意味です?」
「天使アリスを保護さえすれば……手段は問わなくていいんですよね?」
僕は言葉を重ねた。
「え、ええ……はい。どうか天使アリスを助けてください」
「わかりました、天使アリスを助けに行きます」
口元に微笑みを浮かべながら、心には不安と覚悟が渦巻いていた。