第3話 術式変換・展開
宿に戻るとシャーロットは床にぺたんと座って待っていた。
「寝ていてもよかったんだぞ」
「ご主人さまの就寝の前に寝るなんてとても……」
彼女は慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「そもそも、な」
右手で後頭部をガリガリとかきむしりながら言う。
「俺はそんなに上等な人間じゃない。こうして二級市民として生きているのもたまたまだ。特級市民の領域に侵入して、ひょんなことからこいつと一体化した。どこかで道を間違えていたら俺はお前と同じだったんだよ」
「でも! でも!」
「まあいい。ベッドを使え。俺は仕事がある」
ガーランドの空間にしまい込んでいたマーズの解析機関仕様書を取り出す。
ホットウォレットなどというふざけた家名を自ら名乗っているだけあって、マーズの解析機関は贅沢を通り越したある意味偏執狂の領域にまで達した化け物だ。
マーズの抱えている機関芸術家たちは単一機関ではギアの回転速度の限界があることを早々に喝破し複数機関を構築した。
その上フルスペックの高性能機関は大規模で高額なため、手前に翻訳機を差し込み、複数命令に分割することで規模を縮小した高効率機関を開発。
更には魔術発動には直接役に立たないが解析における多数の演算を支える並列機関を作り上げた。
当然、仕様は巨大化し、上で走る術式は複雑化する。『技術者の負担なぞ知った事か』というのはマーズ・ホットウォレットの言葉だが、少しは考えろと言いたい。
今回の暴走に駆り出された不眠と純白天使はご愁傷さま、ってところだ。
机の上に魔石と魔水晶を置く。目を閉じる。しばらく考えをまとめる。
飴玉を口に放り込みガリガリとかじりながら術式を魔石へ刻む。不幸な二人の手助け程度の小さな術式だ。
「ガーランド、術式変換、展開」
《イエス、マスター》
ガーランドが輝き始める。魔石をレンズの上に置く。スルッとそいつは飲み込まれる。魔水晶をレンズの上に配置。
《完了。記録します》
展開された術式が魔水晶に記録される。
《作業時間、二時間三十五分十一秒。素晴らしい密度の術式ですね》
「お前の癖を知っているからな」
振り返るとシャーロットはベッドですうすうとかわいい寝息を立てていた。
「マーズ・ホットウォレットの執務室へ跳躍」
《イエス、マスター》
「だからいきなり来るなと言っただろう」
「差し入れだ」
マーズの文句を無視して魔水晶を放り投げた。マーズは器用にそれを受け取る。
「なんだこれは?」
「解析特化モジュールだ。魔力分布と変化から使われるであろう魔術及び群団の攻撃予想を確度込みで返す。防衛戦にそれなりに役立つだろう。高効率機関一つと防衛には使われない並列機関で動く」
「あの短時間でか。相変わらずの化け物だな。しかも随分と効率のよい……」
「そもそも処理のほとんどは並列機関側でな。大量の積和演算と非線形変換だ。並列機関を直接駆動して出力を取り出せればもっと効率が上がるんだがな」
マーズは俺の言葉にため息で答える。
「国際標準があるからな。並列機関を独立動作できるようにするのは難しい」
「どうせ独自機構だろう?」
「独自開発しないからこそあちこちの技術者がうちで仕事ができるという側面もある。拡張は独自前置詞でやっているから前置詞を使わないならそこらの解析機関と同じだよ」
その辺はまあ薄々感じてはいたところだが、その互換性が足かせになっているような気がしなくもない。逆にこの互換性が過去の資産をすべて使えるという利点でもあるから難しいところだ。
「で、あの二人はどうなんだ?」
「お前ほどじゃないが、そこそこうちの前置詞を使える。高性能機関と高効率機関の使い分けくらいまでならなんとか、くらいだがな。とはいえ同時使用は五機関ってところだろう」
「ならまだ余裕はあるな。仕様も魔水晶に含まれている。二人に渡してやれ」
マーズの視線が書類に下がったのを確認して宿へと跳んだ。
宿に戻ったところで指先の震えを感じる。飴玉を二つガリガリとかじったところで落ち着いた。
「残りはまだあるが……明日仕入れるか」
《提案が一つあります》
「ふむ。なんだ?」
《シャーロット様との手作りをおすすめします》