第2話 自由都市
マーズまでは健康な大人の足で五日。俺なら一日で着くがシャーロットは無理だろう。倍かかると考えるべきだ。
幸いなことにマーズまでの街道にはポツポツと小さな村があり、そこにはたいてい宿屋か、あるいは教会がある。教会はガーランドが嫌がるだろうが背に腹はかえられん。
無言で夜道を歩く。頭の中に浮かび上がる地図と現在位置を照らしわせ、移動時間の見積もりをする。
光量を絞った光明に照らされた道を黙々と歩く。
《夜明けまで2時間を切りました。今のペースでここから30分ほど行ったレシーグ村で一旦宿泊すべきでしょう》
ガーランドの提案に頷く。
「その……その女性はどこに……?」
シャーロットがおどおどと俺に問いかける。
「これだ」
俺は左手をシャーロットに突き出す。手の甲にぼんやりと淡い黄色に光る円盤が埋め込まれた、黒い硬質な手。
《ご機嫌いかが、お嬢様》
円盤がゆっくり点滅し、シャーロットに話しかける。
「え……え?」
「ガーランド。しゃべる左手だ」
《失礼な。それだけじゃありませんよ》
シャーロットは恐る恐るガーランドに触れる。
「硬い……のですね……」
「まあな。あと、ガーランドのことは他人には秘密だ」
「そんな秘密を、なぜ私に?」
その問いには答えず、歩き出す。
「あ……」
小さな声。無視。ガーランドも沈黙を守っている。
「急ぐぞ。昼間歩けないのだからな」
シャーロットは無言で俺の後をトボトボと歩き出した。
30分ほど無言で歩き、レシーグ村に到着。小さな宿があるのは知っているので、夜明けを待つことにする。
シャーロットの姿を見て考える。簡素な貫頭衣、隷属の首輪。どう見ても立派な奴隷。俺が主ということにしておけばとりあえずはごまかせるだろう。
「夜が明けたら村に入り、宿を取る。昼間は寝て、夕方出発する」
こんな感じで昼間寝て夜移動する生活を七日。ついにシャーロットがヘバったので背負って昼夜関係なく移動し一日、夕方にマーズに到着。
「所属と名前を」
門番に止められる。
「自由経済都市ハーグ所属、ローレンス・ランドバードだ」
「その背中の女性は?」
「途中で拾った奴隷だ。衰弱しているので背負って歩いている」
もうひとりの門番が中へ引っ込む。
「拾った奴隷だと?」
「山賊に襲われていた馬車を救ったんだが、残念ながら商人も護衛もすべて殺された後だった。単に商品を保護したという状況だ」
「保護した商品はその後どうするつもりだ?」
「一応、所有権保持者を探すつもりでここに来た。この首輪のパターンは独特だ。ここなら類似パターン検索ができる。それだけのギア長とシリンダーがあるだろう?」
とはいえ、見つかるかどうかは微妙だ。
根拠としては深夜に一人だけをこっそり運ぶ奴隷商人がまっとうなわけがないってのと、これだけ迷彩パターンを組み込んだ魔術陣によるプロテクトを構築できるレベルの技術者が類似パターン検索に引っかかるような痕跡を残しているわけがない。むしろ残しているのならば罠だろう。
しかもたちが悪いことにこのパターン、類似パターンが多くダミーパターンに見えるように畳み込まれている。結果見た目はシンプルな術式で素人仕事に見える。
門番も首輪を見て不審の表情で俺を見ている。
「……たかが奴隷に、か?」
「運んでいた馬車が豪勢だったんでな」
その返答に門番は盛大なため息をつく。奥から門番が戻ってきて二人で何かを相談している。
「一人と奴隷一人で税が銀貨3枚な」
銀貨5枚を渡す。
「安くて美味い飯と酒のある宿を知らないか?」
「……跳ね馬亭だな。この通り、大銀杏通りを真っすぐ行って馬丁通りを超えた先、右側の二本目の路地、看板が出ているからわかるだろう」
門番は銀貨1枚を相方に投げてよこしながら言う。
「助かった。ありがとう」
頭を下げ、都市へとはいっていく。
跳ね馬亭にベッドが二つある部屋を取り、そのうちの一つにシャーロットを横たえる。
「ん……」
シャーロットは小さくうめき、目を開ける。
「起きたか。ちょっと出てくる。ここで待っていろ」
「……はい」
部屋を出たところでガーランドに鍵を命じる。これでこの部屋は魔術の直撃を食らっても大丈夫なはずだ。
「跳躍。ターゲットはマーズ・ホットウォレットの執務室だ」
視界が歪んだ。
「おい、いきなり来るな」
「気にするな。俺とお前の仲だろう」
巨大な机から顔をあげずに俺に声をかけてきたのがこの自由経済都市マーズの長マーズ・ホットウォレットだ。
若い上にいわゆる美形に分類され、また線も細いからか舐められることが多いが、実際はタフな実務者だ。そうでもなければ自分の名前を冠した自由経済都市を運営なんぞできない。
「わざわざ安宿の場所まで聞いておいてから跳んできたんだな。直接来ればいいものを」
「そんなことまで報告に上がってきているのか」
「入出場記録にお前の名前があれば自動で警告が上がる。それくらいのギアは用意してある」
「まるで要警戒人物のようじゃないか」
マーズは書類に目をやったまま俺の言葉に鼻で返事をした。
「貸しを一つ取り立てに来た。ギアとシリンダーを使いたい」
「ちょっと間が悪いな。26時間後に暴走がやってくる」
「へえ……技術者は?」
「不眠と純白天使だ」
「それはまた……ずいぶんと相性の悪そうな組み合わせだな」
「攻撃と防御の頂点ではあるからな。今回の暴走はそういうレベルだ」
書類にサインをしながらマーズが言う。
「そんなに深刻なのか?」
「技術局の予測ではレベル8から10。ただし8はかなり楽観的な見積もりだ。だからこそあの二人を呼んだ。本来ならお前を呼びたかったんだがな……どこにいたんだ?」
「さあ? でもこれ以上貸し増やしたらお前破産するぞ?」
「ある程度以上借りるとな、破産したときの被害が大きくなる。結果債権者はなるべく破産させないようにソフトランディングを目指すものさ」
ベルトポーチから飴玉を一つ取り出し、口に放り込む。ガリガリと噛み砕く。
「なるほどな。48時間後にまた取り立てに来る」
マーズは書類にサインを入れながら左手を上げる。
「72時間後にしてくれ。暴走の後処理に一日欲しい」
「生き残れよ」
「お互いな」
「殺しても死なないくせに。ガーランド、跳躍だ」
《イエス、マスター》