第1話 邂逅
『森へ向かいなさい』
頭の中に響くやや舌っ足らずの女性の声に叩き起こされた。
『あなたには貸しがまだあるんですからね』
安宿のベッドから抜け出し、ノロノロと着替える。
『急ぎなさいよ!』
机の上のガラス瓶から飴玉を掴み取る。何個か机に落ちたが掴んだ分はベルトポーチへ全部ざらざらと流し込み、マントを付ける。フードを目深に被る。
「ガーランド、何時だ」
《午前2時です。グルコースの補給を要請します》
硬質な女声の返答を聞き、机の上に落ちた飴玉を口に放り込んでガリガリと噛み砕く。
机の上に宿代の銀貨を七枚置く。戻ることはないだろう。
「第三種戦闘、限定解除」
《強化開始。防護円環展開》
体が淡く発光するのを認識する。音を立てぬようそっと窓を開ける。
「加速」
《速攻魔法発動》
淡く左手の甲が光ったのを確認し、窓から隣の建物の屋根へ飛び移る。
屋根を伝い、閉じられた門を超えて街を抜け出し、街の北の森へ向かう。
『街道をそのままずっと行って』
「命令するな」
『どれだけ貸しがあると思っているの?』
「黙れと言っている」
強化と加速で馬より速く街道を突っ走る。
弱い悲鳴と血の匂いを感じ取り、ジャンプして木に取り付く。上から観察。
「お頭! 全部殺りやしたぜ」
「素直に荷を渡しゃいいものを! ま、荷を渡したところで変わらねえんだけどな」
下卑た笑いが聞こえる。男は五人。
馬は殺され、護衛と思しき冒険者の死体が三、御者と商人っぽいのが一人ずつ。
こんな夜中になぜ移動しているのかはわからんが、まあ自業自得ってところだろう。
『いいから、山賊たちを倒しなさい』
ベルトポーチから飴玉を一つ取り出し、口に放り込む。
ガリガリと噛み砕いてから、飛び降りる。
「なんだぁ、てめえ」
でかい斧を担いだ男が俺に向かって叫ぶ
「通りすがりの魔術師だ。面倒な借りがあってな、悪いがお前らを殺す」
「ははははは! 魔術師だと! バカかてめえ!」
「さてね」
俺が指差すと男は喉をかきむしる。
「ぐ、が、が」
「親分!」
四人が駆け寄ろうとしている。
《衝撃》
ガーランドの硬い声が響き、二人の男の頭が潰れる。
《捕縛》
残りの二人は突然受け身も取れず転ぶ。
「いい選択だ」
《お任せください》
喉をかきむしっていた男は舌を突き出し、悶え、倒れ、痙攣する。
「てめえ! なにしやがる!」
地面に転がる男どもが吠えるが、無視して悶える男の様子を見る。
「山賊は、縛り首ってやつだ」
親分と言われていた男は動きを止める。
「さて、次はお前たちだな」
山賊を始末してから幌馬車の中を見る。
わざわざ夜中に動かす荷。ろくなものじゃないはずだ。
《光明》
ガーランドの声とともに淡い光が馬車を照らす。鉄格子の中に、質素な貫頭衣に身を包んだ乳白色の髪の女エルフがうずくまっていた。
扉を破壊して中に入る。エルフはうずくまったままブルブルと震えている。その首には巨大な輪がはめられている。
『その子を助けて』
ため息をつきながら右手を差し出す。
「助けに来た。俺はローレンス。ローレンス・ランドバードだ。お前の名前は」
エルフは目を閉じた状態で顔を上げる。
「……シャーロット」
彼女の声はまさしく迦陵頻伽。だが俺は奥歯を噛みしめる。心がギリギリと軋む。
「あなたが、私の新しいご主人さまですか?」
「ああ」
奥歯を噛み締めたまま絞り出す。
『その娘は、リシアの巫女』
頭の中に響く忌々しい舌っ足らずの声。
『そして、失われたあなたの』
「黙れ腐れ女!」
ベルトポーチから飴玉を取り出し口に放り込む。ガリガリと噛み砕く。
俺の叫び声にエルフが体を小さくしてしまう。
「ああ、すまん。お前のことではない」
このエルフの娘には罪はない。
だが、いずれリシアのこともガーランドのこともこのエルフに教えなければならんだろう。
「……はい……」
恐ろしいほど従順。それは彼女が過酷な人生を送ってきたことを示す。
「歳はいくつだ」
「17になりました」
エルフは目を閉じたまま答える。
「光量を絞れ」
漂う光球がほんのりと明るい程度までになると、シャーロットと名乗ったエルフは目を開く。
虹彩は淡青色。左右に揺れている。
「眼球振盪と羞明……か?」
「それは、なんですか?」
「昼間、外を歩くことが苦痛か?」
「……はい」
頭を抱える。どうしろというのだ。
『彼女の隷属の首輪を破壊して。それであなたへの貸しは終わりにしてあげるわ』
忌々しいリシアの声が響く。舌っ足らずで余計に腹が立つ。
ざっと見た限り、このエルフの隷属の首輪を飛ばすとなるとかなり面倒なことになる。ガーランドでもできないことはないが俺が持たない。それくらい微に入り細に入り仕掛けが畳み込まれている。
この首輪を作ったやつは絶対に偏執狂だ。それもとびっきりの。
おそらく解析するにはかなり大規模な解析機関を使う必要がある。
ギア長はキロメートル単位。このエルフの負担を考えるなら短時間でブン回す必要がある。
となれば必然的に3シリンダー以上の蒸気機関駆動。
馬鹿げた馬力でブン回す場合ギアの耐久を考えるなら総重量はトンのオーダー。慣性を考えるなら更に馬力は上がり、必要な剛性も上がる。
概算では最低でも4シリンダー1万馬力が必要。
ちょっとした街の防衛システムクラス。個人でそんなものを所有することはできないからどこかのシステムの時間貸しを使うしかない。
そして防衛システムクラスのサイズということは当然街を保護するものとなる。必然的に貴族か、あるいは自由経済都市に頼るしかない。
心のなかでため息をつきながらシャーロットに手を貸し、立ち上がらせる。
「自由経済都市マーズに向かう」
「……はい」
「安心しろ。お前を必ず救う」
「……なぜ、ですか?」
「それをお前が気に病む必要はない」
左手の甲がぼんやりと光る。
《もう少し、ちゃんと説明すべきでしょう》
「黙れガーランド。後でする」
「……いまの女性は?」
「それも後で説明する。今はここを離れよう」