第一部 26話 リバイバル
「まったく、怪我をしていたなら最初に言いなさい」
「……いや、仰る通りで」
早朝。俺たちは動きやすい服装でウォーキングを装って歩いている。
昨日は夕飯を食べた後に俺の怪我が発覚してしまい、応急処置された。
シャワーを借りて、ベッドも借りた……らしい。
疲労で記憶が曖昧になっている。きっと緊張したはずなのだが。
東のグループは林の中にある廃墟を拠点にしているようだった。
今までの道のりを考えれば大した距離ではない。すぐに林まで辿り着く。
昨日の今日では流石に警察の目も届いていない。軽い霧が出ていたのもあって、通行人に早朝のウォーキングを疑われた様子はなかった。
荷物は全て持ってきている。
リスクはあるが、雨宮さんの家に戻れるとも限らない。
「あれね」
雨宮さんが指をさす。
そこは林の一部が切り取られたような広場になっていた。
獣道に従って進むと奥は急な上り坂があり、その手前に古びた教会が立っていた。いかにも廃墟という印象で、溜まり場になるのは理解できた。
「……近付こう」
人がいるかどうかは不明だが、中を覗くしかないだろう。
正面から入るのは余りにも危険なので建物の周囲を回りこむ。
地上から二メートルくらいの高さに窓があった。
さらにちょうど良い樹の枝を見つけると、俺はするすると登っていき、上から中を覗き込む。霧で見辛かったが、どうにか判別は出来た。
「ああ、まずい」
「どうしたの?」
雨宮さんは木登りは得意でないようで、俺の下で待っている。
予想通りだと思いながらも、俺は警戒の度合いは上げて報告する。
「遅かったかもしれない」
「……?」
廃墟の中では、グループのメンバーと思われる人たちが倒れているのが見えた。雨宮さんと二人、警戒しながら中に入ることにする。
すぐにこの場を離れることも考えたが、警察に通報する必要があった。
それに……無関係だとは思えない。中に手掛かりがあるかも知れない。
そっと扉を開く。中は外見よりも更に廃墟だった。
内装は取り払われて、白い壁に囲まれているだけと言えるだろう。
「おい……」
思わず頭を抱えてしまう。
接触しようと思っていたメンバーと同じ人数が床に転がっていた。
「息はある。眠ってるだけ……?」
雨宮さんがメンバーに歩み寄って確認していく。
どうやら命に別状はないらしい。
「いったん、外に出ましょう。
警察に通報しなきゃだし、今後の方針も話さないと」
素直に雨宮さんの後に続く。
しかし廃墟から出て広場に戻ると、雨宮さんは急に立ち止まった。
「嘘」
「? どうしたんだ?」
雨宮さんは自分の足元をじっと見つめている。
それはまるで……生き物を気遣うような動きだった。
「今まで、私に近づくことはなかったのに……」
「――黒猫」
その意味に気が付いたから、俺はどうにか反応できた。
雨宮さんは動けない……きっと、恐怖の象徴だったからだ。
「雨宮さん!」
意識の間を縫うように、黒い影が降って来た。
咄嗟に雨宮さんを突き飛ばす。
「……え?」
雨宮さんがたたらを踏んだ。
その隣に黒い怪物の長剣が叩きつけられる。
「お前……!」
奈乃香を殺した犯人。
この状況を作った元凶。
俺が逃げ回っているから殺しに来たのか?
怪物は相変わらず、熊のような巨体だった。
背中を丸めた黒い怪物は俺をちらりと見る。
だが――興味ないと言わんばかりに視線を正面に戻した。
「……おい、やめろ」
右手には細見の西洋剣。左手には日本刀。
黒い怪物が雨宮さんに日本刀を振り上げた。
「あ」
咄嗟に右手を伸ばす。雨宮さんは動けない。
すぐに分かった。間に合わない。間に合わないに決まってる。
雨宮さんは黒い怪物に殺される。
俺は隣で眺めている。
怪物が刀を振り下ろす。
それは――奈乃香と同じ。
どくん、と。まるで吠えるように。
見覚えのある光景に心臓が高鳴った。
全身の感覚が広がっていく気がする。
あらゆる神経がぞわぞわと大きくなっていくようで気持ちが悪い。
続けて時間が引き延ばされる。
体内時計がバカになってゆく。一秒と十秒の違いも良く分からない。
でも大丈夫。まだ雨宮さんは死んでない。
振り下ろした刀はまだ届かない。意外と鈍いんだな。
最後に来たのは全能感。手足に分不相応な力が流れ込む妄想をする。
アイツに勝てると思い上がる。心身共に最適化されてゆく気がした。
心臓は警告音のように甲高く喚いてる。
その根底にあるのは奈乃香の顔だ。
駄目だ、駄目だと心臓は早鐘を打ち続ける。
あの手を引かなきゃ駄目だ。許さないぞと怒ってる。
――分かってるよ。
――今度こそ、連れ出してあげないと。
『第三段階は再演。
心的外傷を受けた時の状況を何らかの形で再現する』
祭教授が言っていた。
そうか、こういう形もあるのか。
気付けば、伸ばした右手が小刀を握っている。
自然な動作で一歩を踏み出した。後は自然と駆けていた。
姿勢は低く。出来るだけ早く踏み切った。走るというより、幅跳びに近い。
左手は雨宮さんの腕に伸ばし、右手は逆手の小刀で怪物の刀を弾き飛ばす。
「え?」
「…………」
雨宮さんと怪物が息を呑む。
右手の衝撃で勢いを殺して着地。左手を引き、雨宮さんを後ろに転ばせた。
そのまま流れに逆らわず、左足を軸に回転する。
小刀を左手に『幻覚し直して』ついでに怪物の足を二度突き刺した。
……手応えがない。外した。やはり、あの黒い影は本体じゃない。
着ぐるみのようなものだ。中身に当てなければ効果はないのだろう。
怪物の刀が地面を叩く。
同時に右の長剣が俺の脳天目掛けて落とされた。
今度は右手に鞘を『幻覚して』長剣を地面に受け流す。
そうして、俺は怪物と向かい合った。
怪物は影を纏って、両腕を交差している。
両方の武器を振り下ろしたまま、一瞬だけ不思議そうに固まった。
俺は左手に見えない小刀を、右手にはその鞘を、どちらも逆手に握っている。
雨宮さんを後ろに庇い、一瞬だけ息を整えた。
怪物が何事かを叫ぶ。そのまま交差した両腕を俺へと払う。
俺は真っ向から迎え撃つ。小刀と鞘が怪物の両腕を弾き上げる。
俺には技術も何もない。
でも必要ないだろう。
これだけ腕力があって、相変わらず俺の時間はバグってる。
怪物の剣戟は少しばかり軽いし、動作はのんびりが過ぎる。
刀と長剣を浮かせた怪物は我武者羅に両腕を何度も叩きつけてきた。
後ろの雨宮さんごと潰す気だ。一歩だって退くことは出来ない。
ただ、ひたすらに弾く。
暴れ回るように両腕を振り回す怪物を凌いで凌いで……一歩だけ前に出る。
「……!」
怪物が逆に一歩下がった。
競り負けたことを認めたのだろう、怪物が不機嫌そうに唸った。
今も拮抗……いや、すでに剣戟は俺が押している。
怪物はどことなく戦い辛そうにしていた。
無理もない。
コイツは俺が握る武器すら知らないのだ。
そして、俺が両腕を払う。怪物の体が軽く仰け反った。
その隙を突いて、もう一歩。怪物を雨宮さんから遠ざける。
「……これなら」
後ろの雨宮さんが小さく呟いた。
ずりずりと這って遠ざかる音が聞こえてくる。
今なら動いても大丈夫だと判断したのだろう。正直助かる。
怪物がその空気を変えた。
本当の意味で初めて、俺を正面から見据えている。
先に俺を片付ける気になったんだ。
迎え撃とうと、斬り結ぶ両手に力を籠める――
「……!?」
不意に体が重くなる。体内時間が修復されてゆく。
広がっていた感覚が収束する。怪物に勝てる根拠が失われたと理解できた。
――途端に俺は怪物の猛攻に付いていけなくなった。
先程まで圧倒していたはずの相手に無様を晒す。
最後はたたらを踏んだところに右の長剣を横に薙ぎ払われた。
「ぐ……」
小刀と鞘を駆使して受けたが衝撃は殺せず、ごろごろと転がってゆく。
受け身なんて知らない俺は大きな樹の幹に背中から衝突して止まった。
「痛ぇな、くそ」
顔を歪めながら、どうにか目を開く。
もう一度、心臓を殴られるような衝撃が来た。
怪物は雨宮さんに踏み込んでいた。長剣を戻す間も惜しんで刀を振るう。
雨宮さんはすでに立ち上がっていて、必死に後退しているけど逃げきれない。
二回目の変化は最初よりも楽だった。
引き延ばされた時間の中、くるりと身を翻して樹の幹を強く踏みしめた。
みし、という音がしてから、怪物目掛けて俺は飛び出した。
長剣の脇を失礼して、順手に『幻覚した』小刀と鞘を同時に外側へ斬り払う。
怪物の刀を弾き飛ばす。雨宮さんが咄嗟に後ろへ跳んだのが分かった。
流石に腹を立てたのだろう、怪物は鬱陶しそうに吠える。
「トリガーは……誰かの危機? 間違いなくやり直し型の能力者。
きっと超短時間、超短間隔の身体強化だ。でも強化幅があまりに大きい」
雨宮さんが何かを言っている。
だけど聞いている余裕はない。また戻ってしまいそうだ。
今度は怪物の相手を続けられず、数合と打ち合うまでもなく戻ってしまった。
踏み込んできた怪物に右手の剣柄で真後ろに吹き飛ばされる。
「そっか。条件が厳しいからかな? でも、厳しすぎる。
これじゃ使い道が限られて、心的外傷を克服しようとする深層心理と……」
今度は雨宮さんの真横を飛んで行く。
軽く意識だけ割くが、雨宮さんは呟くことをやめない。
どうにか着地して、地面を滑りながら気が付いた。
俺の能力をより深く把握しようとしているんだ。この状況を乗り切るために。
「あぁ、違うね。もっと単純だよ。使い道なんて無ければ良いと思ってるんだ。
これは目の前の相手を――」
怪物はまた雨宮さんに踏み込んだ。
両手を振り上げて、どちらも斜めに斬り下ろす。
雨宮さんはもう動くことはしなかった。
直立姿勢で立ち止まる。ただ怪物の一撃を見上げた。
あえて身じろぎ一つせずに、ただ震えてる。
俺の邪魔にならないように。俺のトリガーを満たすために。
「――次は助ける。そのためだけの能力だ。
バカじゃない? アンタ、本気でそれしか考えていないでしょ」
その足元を抜ける。
だん、と地面を全力で踏み込んで両手を上に払う。
怪物の両腕が派手に弾かれる。
すると、初めて怪物は大きく後ろへ跳んだ。
「…………」
怪物は俺たちを睨んでいる。
出来るだけ油断なく、俺は荒れた息を整える。
俺たちと同じなら、アイツにも時間制限はあるはずだ。
前回の追い掛けっこを考えれば、そろそろ限界でもおかしくない。
一度雨宮さんを見てから、怪物は俺たちに背中を向けた。霧の中へ溶けていく。
予想は当たったらしい。反射的に後を追おうとするが、今の状態では無理だ。
少しの間があって、雨宮さんと俺は同時に地面へとへたり込んだ。
極度の緊張で荒い息を繰り返す。
「……私たち、生きてるよね?」
「……不思議だけどな」
二人して苦笑した。
そして、ふと口を滑らせてしまう。
「次は助けるって言ったな?」
「……ええ」
俺の内面に踏み込んだことを詫びるように雨宮さんは答える。
でも俺は別に謝って欲しいわけではない。
自分でも良く分からないが、聞いて欲しいのかも知れない。
いや、どちらかと言えば懺悔かな。教会が良くなかったかな。
「次は『助けたい』じゃないんだ。
もう『見殺しにしたくない』んだ」
自分が奈乃香を殺したと、俺はきっと思ってる。
俺の手が、ではない。俺の無力が奈乃香を殺した。だから小刀。
口に出してしまえば止まらなかった。
みっともなく体を丸めて、やっと俺は文句を言った。
「奈乃香の馬鹿野郎……!
一人で逃げろって言ってんだろうがッ!」
斬られる直前、奈乃香が俺に向けた表情が忘れられない。
あの瞬間ですら、アイツは恐怖を感じていなかった。
奈乃香は別に馬鹿じゃない。
付き合いが長いから分かる。どうしようもなく分かるんだ。
ただ、俺を信じていた。
俺なら怪物をどうにかして、自分の手を引いて連れ出してくれると。
「……逃げてくれよ。
俺、本当はそんな大した奴じゃないんだよ」
あの怪物を相手に、どれだけ理不尽な要求だ。
ガキが公園から逃げ出すのとは全然違う。
それでも。分かっていても。
どうしても。仕方なかったとしても。
――その全幅の信頼に応えられなかったこと。
――それが俺の癒えない心の傷だった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
このシーンがちょうど中間地点になります。
ようやく世界観的にやりたいことを見せられたかなと思います。
少しずつ執筆のペースも戻す予定です。
ここからは追われる側から追う側に変化させていきます。
趣味が合うという方、どうかお付き合いください。
どこまで書けるか分かりませんが、精一杯やります。
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