第一部 22話 穴
「……今回ばかりは助かりました」
「びっくり。こんな時でも可愛げがないんだ」
俺がお礼を言うと、あかりさんは楽しそうに笑った。
割と本気で驚いていそうなのが嫌すぎる。
「人が素直に感謝してるのに……」
「あはは! ごめんごめん。それ、素直なつもりだったんだ」
あかりさんはきっちりスーツで固めているが、長い茶髪だけは、珍しく雑にヘアゴムでまとめていた。動き回る必要があるからだろう。
背が高くて、目鼻立ちのはっきりとしている美人だが、愛嬌もあって親しみやすい。それでも二十代でこの現場の指揮を執るくらいには偉い。
俺たちは朝霞が向かっていた先の港まで来ている。
あの後、俺は見事に警官の足止めを食らった。
それをあかりさんの身内ということで助けてもらったのだ。
俺はあかりさんの甥で、通行規制の影響で道に迷ったことになっている。
警官がこちらを見ているのが分かった。さり気なく目を逸らす。明らかに怪しい設定だが、どうせ今日限りだ。それでも顔は見られない方が良い。
朝霞はまだ見つかっていない。
だが、すぐ近くに潜伏しているはずだった。
今は警官が付近を捜索中だ。奏には捜索を手伝わせている。
……もっとも、警官と連携が取れるわけではないが。
「お兄ちゃん! こっち!」
「ん?」
しばらく経つと、奏の声に呼ばれて立ち上がった。見れば、随分と遠くから大声で叫びながらぴょんぴょんと飛び跳ねているようだ。
「……どうしたの?」
あかりさんが驚いて俺を見上げていた。
小声で「奏が何か見つけました」と囁くと、そのまま歩き出す。
あかりさんが「ちょっと!?」なんて言いながら追いかけてきた。
広場の奥は少しだけ上り坂になっていて、その先には用水路のような川があった。その用水路の近くで奏が両手を振っている。
「お兄ちゃん、ほらここ!」
「……あいつ」
奏が指さす先を覗き込んだ。
思わず歯がギリ、と鳴る。
そこには随分と古い下水管があった。
昔は海にそのまま排水していたということだろう。
厄介なことに屈めば通れそうな大きさがあった。
加えて『工事中』と書かれた黄色いテープが張られている。
「? 一体何が……」
少し遅れてあかりさんが続いた。
そして「……うわ」と頭を抱える。
……まだ新しいテープには、明らかに誰かが通った形跡があった。
「詳しくは調査中だけど、見たまんま下水道みたい」
「…………」
少し離れたところから、俺たちはその下水道が調査される様子を見ていた。
あかりさんが連絡をすると、すぐに警官が集まって大騒ぎになったのだ。
「完全に見逃していた。これは失態かな」
「……出口は?」
俺は素早く聞き返す。古い下水道ならあまり長くないはずだ。
行き先は限られるだろう。今すぐに走っていくつもりだった。
「それがね」
「……?」
あかりさんはバツが悪そうに視線を逸らす。
一度、溜息を吐いてからその先を続けた。
「さっき、工事中のテープがあったでしょ」
「……嫌な予感がしますね」
あかりさんは俺の軽口には応じず、努めて事務的な口調で続けた。
かなり気が立っているらしい。
「都市開発の一環でね、今は上下水道の整備をやってるの。この古い下水道は部分的に再利用される……新しい下水道ともすでに繋がっているらしいわ」
「新しい下水道? どこまで行けます?」
「……北部全域。回り道をすれば風見市全域に行けるルートがあるかもね」
思わず目を丸くする。
隣では奏が「わー」と口に手を当てていた。
「じゃあ……あいつは今、地下を歩き放題ですか?」
あかりさんは答えず、代わりに苦い顔を浮かべた。
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