第一部 21話 水面に滲む月
気を取り直して、俺は周囲を見回した。
すでに放棄された古い港。人の気配なんて全く感じない。
頑張れば船と呼べなくもない何かはあったが、逃げようとしても途中で沈む未来しか思い浮かばなかった。きっと船ではないのだろう。
ここが雨宮さんとの集合場所だ。
地図アプリでここを指さして『ここまで来て』と言ったのだ。
「雨宮さん……?」
今も後ろからは喧噪が届いてくる。俺を探しているのだろう。
あまり時間はない。闇に紛れようと、知らずの内に俺は肩を竦めていた。
「あ……雨宮、さん?」
まだ息が荒い。気を抜くと大きな声を出してしまいそうだ。
精一杯声を殺して呼びかける。返事はない。
ひょっとして騙されたのだろうか、なんて考える。
あるいは逃げ道なんて作れなかったのか。
そうだとしても、怒る筋合いではない。
結局、今日知り合っただけの相手だ。危険を冒す義理もないだろう。
今朝のやり取りだけ見ても、十分に助かっている。
それに、もう夜だ。帰ってしまったのかも知れない。
そう意識すると、急に肩の力が抜けてしまった。
ふう、と思わず息が漏れる。そうであれば、ここまでだな。
不意に海へと目を向ける――そうして、俺は彼女を見つけた。
広場からは古びた桟橋が伸びていて、その先端に雨宮さんは座っていた。
「雨み――」
口から出そうになった声を、思わず飲み込んでしまう。
捨てられた港はしんとして。
誰もいない広場を月は照らしている。
暗い海に明るい月が映り、滲むように広がっていた。
雨宮さんはその様子を何故か嬉しそうに眺めている。
桟橋から足を投げ出しながら、子供のように両足を前後に揺らす。
肩も左右に動かして……耳をすませば鼻歌まで聞こえてきた。
一体何が楽しいのやら。
ご機嫌な様子で雨宮さんは俺を待っていた。
緊張感のかけらもないが、その時間はとても高価なものに思えたから――
「――っ」
――声を掛けるのが勿体ないと思ってしまったのだ。
それが無性に悔しくて、俺は近づくことにした。
少しだけ大げさに足音を鳴らす。
「あ、来たね」
雨宮さんが悪戯っぽく振り向いた。
「遅いよ」
「…………」
雨宮さんが不機嫌そうな声を出す。
あまりの言い草に、俺は一瞬だけ言葉を失う。
「だから言ったじゃねえか……」
「ん?」
何とかすぐに立て直すと、俺は続ける。
お礼を言いそうになったが、今言ったら動けなくなりそうだ。
「……遠いんだよ」
「文句を言わない」
雨宮さんがぴしゃりと言った。
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