八話
購入が終わった後、父さんの提案により昼食を共にすることになり、車で移動してファミレスでひと時を過ごした。僕と茜音の思い出話に両家が花を咲かせて気まずい思いをしたり、これからを話し合ったりした。
そのファミレスから出てすぐ、敬造さんが口を開いた。
「あーそうだ。みんなは先に行っててくれ」
「なんだ、忘れ物か?」
父さんが茶化すように返す。
「まあそんなところだ」
彼は曖昧な返事をした。口ぶりから特に僕には関係のないことだと思ったので、父さんに続いて行こうとした。
「佑夜くん、ちょっといいかい?」
「? はい」
予想は外れており、呼び止められた。どうやら僕に何か話したいことがあるらしい。他四名が談笑しながら車に向かい、僕と彼の二人きりになる。
「茜音とは上手くやっているかい?」
「まあ、なんとか」
「そうかそうか、それはよかった。君のことだから、心配はしていなかったがね」
敬造さんは笑みを浮かべ、頷いて言った。恐らく、この先に本題が待ち受けている。何を言われるかと身構えた。
彼は面持ちを真面目なものにして、探るように問うてきた。
「……茜音の……変わりようには何も思わなかったか?」
「!」
そう来たか、と思った。本題が茜音絡みであることは何となく察していたが、僕は返答に詰まる。
再会した初日に話したきり、一回も触れていないその話題。かつての快活で、明るかったはずの性格とは正反対と言っていいほど、今の彼女は物静かである。
「……驚きはしましたが、特に何も思いませんでしたよ」
僕は率直に、初日に感じたことを述べた。どうなろうと、茜音は茜音のままだからだ。時折見せる笑顔は、7年前から変わっちゃいない。
「そうか」
敬造さんはその三文字を発したきり、それに続く文言を言い淀んでいた。そんな間が少し間があって、
「……もし、変わった理由を聞きたいのであれば、教えてあげようか?」
探るように言ってきた。きっとこれは、本当に娘と関わらせていい人物か試されているのだ。もっとも、ここではいと言うはずもない。僕の答えは決まっている。
「いえ、結構です。本人が話したくないと言っているものを第三者から聞くのは不義理だと思うので」
「……君には、本当に心配は無用のようだね。試すような真似をしてすまなかった」
彼はそう言って頭を下げた。重ねて、
「娘をよろしく頼む」
「……勿論です」
僕は頭を深々と下げた。涙が出そうになった。敬造さんの茜音を思う気持ちの大きさや、そんな大事に思っている娘を僕に任せてくれたことに心を打たれたからだ。
視界がぼやけかけたところで、
「まあ、そういうわけで佑夜くんならいつでも義理の息子として迎え入れるぞ!HAHAHA!」
「……」
涙が引っ込みました。
×
「朝陽のこともあるからそろそろ帰るな。またな、佑夜」
「元気でね」
「はーい」
僕らのアパートの前で父さんと母さんが言い残して、車に乗って帰って行った。朝陽というのは妹の名前だ。今年で中学一年生になる。
そしてそれに続くように、福宮夫妻も車を発進させた。見送ったのち、僕らは家に入る。リビングのソファに腰掛けて、今日一日分の疲れを癒す。
「なんか疲れたね」
「柳沢くんのお父さんって……変わってますよね」
「あんま言わないで……僕が一番気にしてるんだから」
僕が悟ったような表情をして言うと、茜音は目を細めて笑った。笑い事じゃないと言いたかったが、その可愛い笑顔に免じて……てかもうこの笑顔が見られたからいいや。
時計は午後3時半を指しており、陽の光が西に傾き始めている。リビングの窓の外、アパートにある花壇に生えた山吹の木が花を咲かせて、その影が部屋にまで伸びていた。
「……柳沢くん」
「ん?」
不意に茜音が真面目な顔つきになって、口を開いた。
「今日、お父さんと何の話をしてたんですか?」
「……あー」
ファミレスでの一件が気になってのことだろう。そりゃ自分の父親と同居相手がなんか話してたら気になるよな。
僕はどう答えたものだろうかと頭のあちこちをつついて、出てきた言葉を精査して言うべき文言を拵えた。
「……茜音を頼んだよって言われたんだ」
「……!」
「んで、僕も勿論ですって答えた」
茜音は黙った。黙って、少し顔を赤くして髪をいじり出した。僕は何となく座ったままでいる事にむず痒さを感じたので、立ち上がって水を飲みに行く事にした。
「お父さん……」
その声には様々な感情が含有されている気がした。僕は微笑んで、コップに入れた水を一気に呷った。
×
その日の夜。僕は自室で、坂寺くんと連絡アプリ『メイビー』でやりとりをしていた。
【そういえばしいど、あの演説のせいで反省文食らったらしいよw】
【やば笑ちゃんと書けたのかな?】
話題は今日のことばかり。あの子がどうだとか、この子がどうだとかそんな話ばかりである。途中で種氏のアカウントが送られてきた。後で追加しておこう。後でね。決してしないわけじゃないから。
【そいやクラスチャット入ってないよね 追加しとくわ】
一頻り話したところでそう送られてきた。謝辞だけ述べると、通知音と共に『卍最強1年B組卍』という何ともふざけた名前のグループに自分のアカウントが追加された。
【kou:やーさんおっす〜】
【ゆうや:やあ】
【あっきー:おっすおっすー】
今日話した仙石昭斗くんと思われる人をはじめ、色んな人から挨拶をされた。
グループの人数を見ると15と表示されていた。クラスの人数が35なので20名まだいないことになる。恐らくできたばかりだろうから当然といえば当然だ。
そこで僕は茜音も追加しておいた方がいいかと思い立った。自室を出て、隣の部屋のドアをノックする。はーいと声がしたのを確認して、僕はそのドアを開いた。
「どうしました?」
茜音は椅子に座って文庫本を読んでいた。その小さな手に本を持つ姿は見慣れたものだ。
「茜音、メイビーのクラスチャットに追加しといていいかな?」
「……そんなものがあるんですか?」
「うん、今日できたっぽくて」
「かまいませんよ」
本人の了承も得られたので、僕への挨拶が静まったそのグループに招待をする。
【ゆうやが茜音を追加しました】
これでクラスでの連絡事項等を二人揃って見逃すことはなくなるだろう。まあ正直クラスチャットって滅多に使わないんだよなあ。
用事も済んだので部屋を去ろうとすると、
「……柳沢くんはすごいですよね」
「え?」
「初対面の人とかと仲良くなれて、すごいなって」
そのつぶやきは、単純な褒め言葉というよりかは、羨望、あるいは自嘲の意味合いを孕んでいるような感じだった。
「私には……できそうにありません」
思えば今日茜音が誰かと話しているのを見た記憶がない。茜音もクラスの人と仲良くしたい心意気はあるらしいが、性格的に難航しているらしかった。
「んー……大丈夫だと思うよ。茜音はいい子だから、すぐに友達もできるだろうし。まあできなかったら僕もいるしさ」
「……前半の部分には同意しかねますし、柳沢くんばっかりに頼ってしまうのも……」
「いいんだよ、頼ってよ。その分僕も茜音に頼るから」
立派な共依存の完成である。おい良くないじゃねえか。バッドエンドルートに直行するじゃねえか。
冗談はさておき、お互いに足りないものを補完し合って、いわば二人三脚のように生きていくのは別に悪いことではないはず。それは依存なんかじゃなくて、助け合いというものだから。
「柳沢くんに、私に頼らなければいけないことなんて……」
「あるんだなあ、それが。差し当たってはさ」
僕はかねてよりの要望を伝えることにした。
「数学を教えていただきたく思いまして」
「え?」
こうして僕は、入試の時に体感三割くらいしか取れなかった苦手教科を教わることになった。苦手なものは魚介類と数学、どうも、柳沢です。
×
軽く中学数学の問題を十問くらい解いたノートを茜音に渡すと、彼女はしばらくそれを見たのちため息をついた。
「まさかこんなに数学ができないなんて……どうやって南雲高校に受かったんですか?」
「おっと、だいぶ辛辣だねえ。僕の場合、恐らく数学以外でかなりの得点を得られた感じですので……」
当方国語と英語に関しては他の追随を許さぬほどでき、社会理科は安定してかなりの点数を取れるのですが、数学だけは無理なのです。中学二年生の時に一次関数が出てきてから点数に翳りが出始めたのです。何だよ人生における最低点数26点って。
「……ふふ」
呆れ顔をしていた茜音は、やがて笑みを見せた。
「……柳沢くんにもできないことがあるんですね〜♪」
「なんで上機嫌になってんのさ」
「なってないです」
嘘こけさっき文尾に音符ついてたぞ。
「……それじゃあ、これから数学はどんどん頼ってくださいね」
ともあれ、これで僕の懸念も彼女の懸念も解消されそうだ。あとは茜音に友達ができれば思うところは何もない。