三話
「買い物……一緒に……」
ぶつぶつと本を読みながら何かを呟く茜音を尻目に、僕は夕飯を作ろうとしていた。
フライパンに油を引いて豚肉を投入する。肉の焼ける音と共に食欲をそそる香ばしい匂いが空間に居座った。だいたい焼けたらもやしを入れて軽く混ぜて塩胡椒を適量。
質素だが今日のところはこれでいいだろう。そういえば、これから二人で生活するにあたって家事の当番とかを決める必要もあるな。今夜取り決めてしまおうか。
×
机は空いた段ボールで代用し、簡素な夕ご飯を食べ終え、時計は午後7時に差し掛かろうとしていた。長かったような短かったような1日の終わり際は、紺碧を空に塗りたくられていた。
「そういえばあと数分で風呂が準備できるよ。石鹸とかは適当に選んだやつだけど」
僕は食器を片付けつつ言った。
「……あ、ありがとうございます」
風呂を沸かすために押すアレのモニターにはあと一分と表示されていた。僕がそれを横目にコップに水を注いで飲んでいると、何やら茜音は落ち着かないような様子をしていた。
「どうしたの?」
「あ、いや……えっと……その……」
何かを言いたくて、それでいて言いたくなさそうに視線を泳がしていた。
「……やっぱなんでもないです」
茜音はそう言って、着替えやタオルを準備し始めた。彼女のその躊躇いの意味するところは何となく察している。異性間で同じ風呂を使用するというのは抵抗があってもおかしくない。寧ろ恥じらいや嫌悪感等の理由により拒否感があって当然である。
とはいえその推測を伝えるのもそれはそれで配慮に欠けている。僕はどういった行動を取ればいいか分からず、結局気付いてないふりをしたわけだが……よくよく考えたら同い年の女の子と同棲した時におけるこんな場面の対処法なんか分かるわけないわ。だから僕は悪くない。環境が悪い。僕は悪くない。
「……では」
「うん」
そうしてカスみたいな自己肯定をしていると、茜音は浴室に入っていった。僕は返事を返して、彼女がドアを閉めた音が聞こえた。僕はそこでため息を一つ。
「やばいな……想像以上に」
僕は頭を押さえて先刻までの空間を振り返った。無防備な女の子が同じ空間にずっといる状態がこんなに理性を削ってくるとは思いもしなかった。
その存在——幼さの残る顔や、花屋の店内のような甘い香りや、おとなしい性格がどれだけ僕に刺激的であったか。これが日常になるとするならかなりの重荷になる。
「……っ!」
何なら今風呂に入っているというその事実でさえ僕を惑わせる。水の音がピチャピチャと聞こえるだけで居た堪れない気持ちになってしまう。
それこそ昔は一緒に風呂に入ったことだってあるが……おっと水音と過去の記憶が相まって刺激の強い想像——というより妄想、それも下劣な欲に塗れた妄想が頭に形成されつつあるぞ。鎮まれ俺のerection。
食器は片付けたし、荷物は部屋に入れ終えたし、風呂に入る準備はしたし……僕は何かやることを探していた。何かをやっていないとずっとピンク色の妄想をしてしまいそうだったから。
ひとまず明後日のスケジュールを立てることにした。メモ帳を開いて、シャーペンで予定を記入していく。そうしてカリカリとペンを走らせるうち、脳内で約八割具現化しかけていたその妄想は漸く収まりの兆しを見せた。
×
ドライヤーの音が聞こえ始めた。僕はそこで彼女が風呂から上がったことを察した。暫くすると音が止んで、ドアがガチャリと開いた。
「……お先でした」
「うん」
そうしてメモ帳に予定を書き終えた頃に茜音は風呂から上がってきた。先ほどの格好とは違い、ラフなジャージ姿をしていた。しかしそれでいて妙な色気があった。風呂上がりで化粧水を使用したからか肌は潤っており、頬は少し赤く染まっていた。
「それじゃあ、僕も入ってこようかな」
「……はい」
茜音の頬はさらに色づいた。長めの前髪によってその表情は窺いづらいが、どこか恥じらいを帯びているような気がした。
着替えを用意し、服を脱いで浴室に入った。湯気と石鹸の香りとが僕を襲った。くらくらしそうだった。僕は僕の官能を最も刺激する残り湯を見つめつつため息を吐いた。
「……本当、やっばいな……」
せめて僕の頭まで迫り上がっているこの欲求が暴発しないよう、この日常に早く慣れようと心に誓った。