一話
今度こそ不定期で、ゆるく書いていこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。
保育園から小学校低学年の間まで、僕、柳沢佑夜には幼馴染みというものが存在した。名を福宮茜音といい、活発で好奇心旺盛な女の子だった。
仲良くなったきっかけは親同士の仲が良かったという安直なもの。しかし彼女と過ごした数年間は確かに脳に刻まれている。わざわざ死にかけなくても走馬灯を脳内で流せるくらいには、その数年間は僕の中で特別味を帯びていた。
しかしその時間は終わりを告げる。小学校二年生のとき、福宮茜音は転校することになったのだ。親の仕事の都合だったらしい。
最後に言葉を交わしたのは、引っ越しの日。お互いに泣いていて、
『……やーちゃん、ぜったい、おてがみかいてね?』
『うん、ぜったい!』
——結局、手紙を書いて数回やりとりしたのち、いつの間にか送り合わなくなってしまった。純粋な気持ちで取り決められた約束は、都合数回でどちらからともなく破られてしまった。なぜそうなってしまったかといえば、単純に互いへの興味が薄れたのが理由だろう。
僕の親と福宮夫妻は未だに連絡を取り合っているらしいが、僕と茜音に関してはもう、人生で関わることはないだろうと、僕は見当をつけていた。
それが中学生までの話だった。
×
そのうち、僕は受験を終えて進学先の高校が決まった。県で二番目の偏差値を誇る南雲高校だった。進学実績、および部活の充実さで選んだが、生まれ育った実家からはかなり遠い。同じ県内とはいえ、電車で片道3時間くらい要してしまう。
毎日6時間電車で揺られるのは中々にしんどいことから、いっそのこと高校の寮に入れてもらって、そこで生活でもしようかと、親に先日相談した。その数日後。
「ああ、そうだ佑夜。少し話があるんだが」
「ん?」
夕食時、父さんにそう切り出された。恐らく、相談に対する返答だろう。
「この前の相談についてなんだがな。高校から近いアパートを借りることにしたんだ」
「え?」
意外な話だった。しかし僕にとっては嬉しい話でもあった。寮だと相部屋だったりして一人の時間が作りづらい上に、何をしようにも高校の監視下に置かれるのが少し息苦しかったから。
「そっか……ありがとう」
「いやいや。せっかくの高校生活だし、なるべく不自由は感じて欲しくなくてな」
父さんはそう言って回鍋肉をぱくりと食べた。僕はその親心に少し泣きそうになった。こんなにも息子のことを思ってくれるなんて、ありがたいことこの上ない。両親の元を離れるのはちょっと寂しいけど、いずれ自立するときのいい練習にもなるだろう。
全部ひっくるめて、僕は今一度、謝辞を述べようとした。
「……本当に、ありが」
「あ、あと茜音ちゃんもそこに住むことになったから」
「は?」
前言撤回。僕は父親が何を言っているのか分からなかった。茜音、って昔遊んでた幼馴染みだよな。尚更何を言ってるんだ?
「茜音ちゃんは覚えているだろう?彼女も南雲高校に受かったらしくてな。ただうちと同じように通学で不自由すると言っていて……彼女の両親と話すうちに、お金を出し合って一つ部屋を借りて、そこで二人に暮らしてもらったら良いのでは、って結論になったんだよ」
「なったんだよ、じゃなくて。僕その……茜音……さんとはもう7年くらい会ってないし、そもそも二人とも寮に入れれば良かったじゃん」
「いやー、新天地で右も左も分からない状況だと、見知った仲が身近にいる方が心強いと思ってな」
どうやら親共は僕と彼女とがまだ仲良しこよしをやれると思っているらしい。高校生の男女が二人、いわば同棲をするというのはあまりに突飛で、あまりにおかしな話だ。
「いや、仮にも高校生になる男女なわけだし……」
切り札として、僕は異性が一つ屋根の下に住んだ時に起きる諸問題についてを提起しようとした。
「ちなみに敬造は『佑夜君ならいつでも義理の息子として迎える』と言っていたぞ」
「詰んでんじゃねえかクソが!」
敬造というのは茜音さんの父親であり、このバカ親父の中学生からの悪友らしい。
とにもかくにも断る理由は悉く叩き潰されて、僕の眼前には従うという行動しか残されていなかった。僕は捨て台詞を吐いて自室に帰り、現実逃避をしようとゲーム機を起動した。
×
現実逃避は意味をなさず、とうとう引っ越しの日がやってきてしまった。今日までに荷物の整理をしておきなさいと言われたので、一通りしておいたが、どこか上の空で作業をしていた。
「本当に……今日でお別れかあ……」
段ボールを車に詰めて、生まれ育ったその家屋を見つめ、様々な、本当に様々な感情を込めて僕はそれを呟いた。
「不安か?」
「おかげさまで」
皮肉っぽく言うと、
「はは、その減らず口、父さんそっくりだなあ」
父さんは笑っていた。おい仮にも息子が家を離れるんだぞ?もっとなんかこう……あるだろ。
「……大丈夫だぞ。父さんも、母さんもしっかり寂しいから」
「……!」
胸の内を見透かされたような感じがして、僕はくすぐったいような心持ちがした。
「……じゃあ、いいや。はい、荷物積んだよ」
僕は強引に話を変えた。
「おお、おっけーおっけー……んじゃあ……出発だな」
しんみりと、寂しそうに父さんが言った。父さんの車に乗り込む前、母さんが僕の手を握った。
「……佑夜。辛くなったら帰ってきて良いからね」
「……うん」
僕は母の慈愛の精神に満ちた台詞に心を動かされそうになったが、結局母も同棲に賛成したバカ親四人衆のうちの一人なので涙が引っ込みました。
エンジン音が庭に植えられた、7分咲きの桜の木を揺らした。花びらがそれに合わせて散った。
「それじゃあ、ね」
「頑張るのよ!」
窓を開けて最後の挨拶を済まして、車は動き出した。僕はようやくそこで、父親に見られないように涙を流した。さっきは泣かなかったのにな。
×
「……荷物は搬入し終わった……な?おっけー! あとは明日、洗濯機とか冷蔵庫とかを業者が運んできてくれるはずだから、そのつもりでな。じゃあ、これが鍵だから」
「ああ、うん……」
アパートは高校から徒歩二分くらいで着いてしまうくらいには近かった。清潔感のある白い壁に赤い屋根が特徴だった。造りは2LDKで、玄関を入って廊下の途中に部屋が二つと、洗面所と風呂。その奥にリビング、ダイニング、キッチンがある。
「それじゃあ、父さんはこれで……だな」
「……うん、あのさ」
「ん?」
僕はドアを開けた父さんを呼び止めた。彼は振り返って、僕の言葉の続きを待つ。
なんだかんだ、こんな決断をするには様々な考えがあって、かなり費用も必要だったはずだ。それに対する感謝をちゃんと述べようとしたのだ。
「……なんだかんだ、ありがとうね」
「……おう……ああ、そうだ」
父さんは嬉しそうに頷いたのち、何かを思い出したように、僕に近づいて、少し声を小さくした。
「……もしするなら、避妊はしろよ?」
「はよ帰れバカ」
もうやだこの父親。
そうして親父が帰ったあと、僕は一人になった。独り、の方が適当だろうか。リビングで寝そべって、今はまだ見慣れない天井を見続けた。
電気は既に通っているはずだからゲームをしようと思えばできるが、なぜかする気になれなかった。
「あー……買い物でも行ってくるかな」
僕は起き上がって呟く。現在午後三時。やることもないから夕飯の材料を買いに行くことにした。といってもまだ冷蔵庫がないから余らせないよう気をつけなければならない。
×
両親の帰りが遅い時には作っていたこともあり、料理は苦手ではない。とはいえ今日のところは簡素なもので済ませてしまおうかな、なんて考えながら歩く。
南雲高校の前を通り過ぎて、坂を下ったところにスーパーがあった。恐らくここにはだいぶ世話になるだろう。
ひとまずもやしを一袋。あと食パンと特売の豚肉をカゴに入れた。家から持ってきたフライパンがあるので今日は肉もやし炒めでいいや。どうでも良いけどこう書くと肉を燃やして炒めるみたいだな。オーバーキルじゃねえか。
あとは2Lのミネラルウォーターを2本カゴに入れ、向こう数日の間で必要になりそうなものを考えて手に取り、会計を済ましてスーパーを出た。西の空は既に青色から橙色に切り替わっていた。
坂には夕陽が当たっており、標識の影は長く伸びていた。これから使う道だから今は新鮮に感じられても、どんどん慣れて日常になっていくのだろう。
やがてアパートに着いて僕は鍵を開けた。ドアを開けてなんとなくただいまと言ってみた。
「……あれ」
玄関に知らない靴があった。まさか、と思った。いやしかし今日この部屋に訪れる人物は一人しかいない。
恐る恐るリビングの方を覗いてみると、そこには。
「……!」
壁際で僕と同い年くらいの女の子が本を手に座っていた。実に、7年ぶりの再会だった。