「天井知れず」
Amazon Primeでは先取りで、シン仮面ライダーが配信されている。
撮影地にもなった奥多摩の小河内ダムから、十キロほど北へ行ったところに、日原鍾乳洞があって、去年の初秋に訪れた。
「ひばる」ではなく、「にっぱら」と読む。
風景画で著名な奥田元宋(1912-2003)の作品に、春秋の奥入瀬を描いたものがあるが、その秋の印象を想わせる色とりどりの広葉樹に囲われた、粗削りの岩肌が生々しくもある断崖が、峻として不動たるその麓に、確かな洞穴がある。
駐車場わきから、眼下を流れる渓流へ繋がった階段が伸びている。下っていくと、「日原鍾乳洞」の看板を掲げる、鄙びた券売所が見えてくる。
券売所で入場券を購入し、渓流へ渡された小橋を過ぎれば、洞穴へと突き当たる。
レジャーシーズンも相俟って、人の出入りは忙しい。
そう言えば、駐車場の一画に屋台があって、たこ焼きが売られていたことを記憶している。
恰幅の良い、四十そこらの女性が一人で切り盛りしており、いくつかの家族が、列をなしていたように思う。どこでだって、商売は出来るものだ。
洞穴入口から直路が続く。
道は狭く、独特の生臭い香りに満ちており、加えて滑りやすく、上背のある人間なら屈みながら牛歩する必要があるほど、天井も低い。
道は開けてくる。T字路へ突き当たる。左は行き止まりで、これといった見ものはない。人々は早々に、引き返してくる。
右へ曲がると、そこからは迷路である。おおよそ道順と言うものはなく(公式に認めたものはあるかもしれない)、知った道を何度もなんども行き来することで、知った顔と幾度もすれ違う。知った声もまた、遠くからこだましてくる。
印象的であったスポットをあげると、ひとつは「水琴窟」。
水が滴って着水する刹那、柔らかな指先で弦に触れたような琴音が、空間に染みわたっていく。
数千年、数万年をかけて堆積した鍾乳石は、外界から生じる音をやおら吸収し、蓄え、濾過の過程を踏んでいるようで、水滴が落ちるころ、空間は静寂を携え、ただ一音、琴は弾かれる。
一級品の静寂は、こういうものだろうと思った。ただ美しいだけではない、不安というものでもない。長居することを憚られる、恐ろしさというものがある。
さて、もう一つ。今回の題にもある「天井知れず」。
巨大な吹き抜けを指しており、見上げれば、数メートル先すらも視認すること叶わないほど、空間は闇によって満たされている。
「一寸先は闇」。一寸とは3cmで、ものの例えであろうが、「天井知れず」と同種の空間に魅せられた先人が、当時の世相を批評して造り出した慣用句であると言われれば、早々鵜呑みにするほどに、闇は近く、また途方もない広がりを見せている。
この闇に侵された空間に対して「天井知れず」とは、随分とエスプリに富んだ表現である。いつ、誰が命名したかは定かでない。
漆黒の空間を凝視する最中、「天井知れず」の言葉は蟠って、滞留し続けていた。
「蛍光灯」と言う作品で取り上げた闇は相対的な闇であり、人工的な闇である。それは経験された闇であり、繰り返される闇であり、これに付きまとう感情は万人差異あれど、いくらか類推の利く闇でもあるのだ。
翻って、「天井知れず」の空間に充溢する闇は、我々が経験によって理解しようとする行為そのものを拒絶する。待っていましたと言わんばかりに、凝視する人間の愚かな振る舞いを、沈黙と、より鮮明な闇とによって飲み干してしまう。
そうすると躍起になって、先の先まで見尽くさなければ気が済まないという人々が出てくる。困ったものだ。
先人が「天井知れず」と判断し、そっとしておいたはずの空間である。
鬼が出るか蛇が出るか、いわんや鬼や蛇の類であれば生易しいものではないか。経験は彼らを味方する。
しかし、そういう類のものではない、もっと恐ろしいものが闇の一隅に身を潜めていて、常時こちらを睥睨しており、欲望の赴くまま、人々が盲目に手探りで、その一隅を侵してしまった場合を考えると、その先、どこか空っぽな観念が永劫続いていくような情景が思い浮かばれる。
なるほど、闇は暴かれることによって相対化の餌食となり、相対化は無限の往復運動を形作る。
相対化の社会に生きる我々にとって、もはやそれは、終わりない無間地獄を不感症的に去来し続けることと変わりなく、希望は経験によって打ち消される運命にあるのかもしれない。
「天井知れず」とは、天井が知れないほどに大きく広がった空間とでも認識しておけば、十分に事足りるのである。