浅草の人力車に無視される体質
私は浅草の人力車に無視されるという体質だ。
いや、私だけではない、私の母も無視をされるどころか、ガン無視される体質だった。
大昔、母と2人で電車で小一時間ほどかけ、浅草に行ったときのこと。
車夫が私たちの前方にいたグループを勧誘していた。しかし、残念ながら車夫は断られた。
車夫は次なるターゲットを求めて視線を動かす。
車夫の視線は、すぐ目の前にいる田舎者の私たち母娘を素通りした。そして、車夫は私たちのすぐ後ろにいたカップルに声をかけた。
別の日、私たち母娘は再び浅草に降り立った。
雷門へ向かい歩いていると、前方に車夫が看板を持って立っていた。
母は車夫の目の前に立ち、車夫の持つ看板を無言でジッと見つめる。
と、車夫はスッと微妙に身体の向きを変えた。
それでも母は無言でガン見する。
と、車夫は、あろうことか、反対側からやって来た親子連れに声をかけ、営業をはじめたのだ!!
なんたる屈辱。
「乗りたかったの?」
しばらく歩いたところで、私は母に尋ねた。
「いや別に。なんて書いてあるか気になっただけ」
母は乗る気はさらさら無かったようだった。
してみると、車夫は母の乗る気なしの気配を察知したのかもしれない。
また別の日。
浅草で会社の忘年会をすることになった。
私は店のお嬢さん(スタッフ)たちと、早めに浅草入りして、浅草を散策していた。
いつの間にか、私が先導するかたちになり、私の後ろをお嬢さんたちがついていくというかんじになった。
前方に人力車、そして車夫が見えた。
私は車夫の横を通り過ぎる。
車夫は身じろぎもしなかった。
と、なんと、車夫は私のすぐ後ろにいたお嬢さんたちには声をかけたのだ!!
どうやら車夫の目には私の姿が映らないらい。
数年後、うちの店に佐々木さんという新人が入ってきた。
佐々木さんは以前、浅草のお店で働いていたという。
私は佐々木さんに「いつも浅草の人力車に無視される」と話をした。
「嘘でしょ。私、浅草で働いてるのに、何回も勧誘されたよ」
「本当だよ。母親と一緒でも無視される」
「またまたぁ~」
佐々木さんは、私が話を盛ってると思ったらしい。
「本当だよ。果絵さんと浅草行ったとき、私たちは声かけられたのに、果絵さんだけかけられなかったよ」
ベテランパートの浜口さんが証言した。
「え~。ホントですか」
「ほんとほんと。果絵ちゃん素通りしてた」
ベテラン事務の小西さんも証言したくれた。
「そんなことってあるんだ……」
「浅草だけだよ。浅草の人は冷たい。けど、鎌倉では勧誘されて乗ったよ」
「え? 乗る人なんているの? 」
佐々木さんは首をかしげた。
「ここにいまーす。鎌倉大仏のトコで乗りました」
私は勝ち誇って手を挙げた。
「まじで? 」
「まじで。いや、ホントは乗りたかなかったんだけど。『恥ずかしいからヤダ』っていってら『朝早いから、まだ人はほとんどいないし、とっておきのビュースポットがあるし、安くしとくんで』って粘られちゃってね。まぁ験担ぎにでもなってやろうかと思ってさ」
「へぇぇ。何時頃?」
「たしか9時ちょい前だったと記憶しております」
「始発で?」
鎌倉は、私たちの住む地域から、電車で2時間ほどかかるのだ。
「前乗りしたんだよ。前日に仕事終わってから移動して横浜のビジネスホテルに泊まったの。ビジネスホテルなら1人で泊まれるからね」
私がそう言った途端、佐々木さんは「ぶはっ」と口をおさえ、軽く前かがみになった。
「1人で人力車……ぷぷぷ」
佐々木さんは笑い続ける。
「笑うな。私は人力車が可哀想になって、乗ってあげたんだよ。人助けをしたんだ」
私は憮然としてそう言ったが、佐々木さんはしばらく悶えていた。
(ちなみに、鎌倉ひとり旅については、他にもいろいろ事件が起こったのだが、長くなるので、また後日)