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私は食堂を予約するべきだった

 あれは歌舞伎座が立て替えられる前のことだ。

 近頃は演目をえり好みするようになったが、あの頃の私は、ほぼ毎月のように、何かしらを観に行っていた。


 その日の演目は忘れてしまったが、贔屓役者が出演している公演で、私は後援会経由で1階前方(確か3,4列目)の花道近くの席だった。

 繁忙期真っただ中の私は、いつもは歌舞伎座内の食堂を予約するのだが、幕間に食堂のある2階へ行くのも億劫だと考え、その日は開演前に1階の売店でお弁当とお茶、豆餅を購入し、座席へと向かった。


 後に、私はこの自分の判断を後悔することとなる。


 席についた私は、豆餅をほおばりながら、入り口で購入した筋書(上演プログラム)に目を通していた。

 しばらくすると、50代後半くらいの若作りのおっさんと、おそらく20代後半(私よりちょと若い)であろう女の子のふたりづれがやってきて、私の隣におっさん、その隣に女子が座った。

ちなみに、私もそのころはまだ、花もはじらう30代半ばであった。


「歌舞伎はじめてでしょ?」

 おっさんが女子に嬉しそうに話しかけだした。

「はい~。すごくいい席ですねぇ。よくいらっしゃるんですか?」

 女子は周りをきょろきょろ見回しながら言った。


 ヤバいな、これ。おっさんのうんちく講座が開催される悪寒しかない。

 くつろいでいた私は、気持ちおっさんに背を向けるように座りなおす。


「まぁね。僕は役者に知り合いがいてねぇ。今日も出てるんだ」

 おっさんは、私は直接は見てはいないが、おそらく、ドヤ顔で言った。


 きっつ。ここいらは後援会席ですヨ。周りの皆さんは御贔屓筋や常連さん、見巧者だらけですよ。恥ずかしいから、お止めになったほうがおよろしいかと。

 

「すごいですね~」

「僕は他に文楽も観るんだ。文楽ってわかる? 人形浄瑠璃」

「わかりません~。どんなのなんですか?」

「ん~そうだね。人形なんだ。人形」

「へぇぇ」


 ぐはっ。

 やめれ。豆餅が喉につまるところだったじゃないか。前列の常連感満載なお姉さま方が「あ゛」って感じで振り向いちゃってるよ。

 もしや、冷たい視線にお気づきでない?

 お気づきでない。はい、左様でございますか。


 おっさんは「文楽は人形」以上の説明をすることはなく、話題は変わっていった。

 私は開演までの間、知りたくもないおっさんの個人情報(明日から海外へ行くなど)を聞かされる羽目となった。


 そして待ちに待った開演。

 おっさんはイヤホンガイドを装着した。


  そうですか、イヤホンガイドですか。

 いや、いいんですよ。特に舞踊のときなどは、衣装や細かい所作や背景についてわかりますし、舞台の音声も拾うから耳の遠い人なんかにも有用ですもんね、イヤホンガイド。

 でもね、歌舞伎によく来るって豪語しといて、そりゃないぜ。こちとら10年以上前に卒業しましたが?

 いろいろと苦しかったが、おっさんは開演中は大人しかったというか、寝ていて静かだった。


 そして、幕間。

 私は当然おっさんたちは食堂に行くものだと予測して、いつ出てっても大丈夫なように、身構えていた。しかし、私の予測は大きく外れた。おっさんは何やら荷物をもぞもぞしだすと、あろうことか、お弁当を取り出したのだ。


 食堂を予約するべきだった。

 私は激しく後悔しながらも、お弁当を広げて食事をはじめた。


「美味しそう~」

「でしょ。何処で買ったと思う?」

 私の位置から見えなかった(そもそも見ようとは思わん)が、おっさんの問いに女子は首を傾げた様子だった。

「〇越なんだ。デパ地下のお弁当は美味しいんだよ」


 ええええ~。それ得意げに言う?

 確かにデパ地下の弁当はお弁当は美味しいよ。

 けどさ、ドヤ顔でしかもクイズ出してまで言うほどのものか? デパ地下が美味しいのは周知の事実ではないのか?

 いいか、クイズ出していいのは、専門店というか、料亭やホテル等で直接買ってきた弁当だ。あとは、歌舞伎内で予約できる〇兆の六千円の弁当。断じてデパ地下の、しかも二千円未満の弁当(当時の私は〇越地下の弁当の値段をほぼ知っていた)ではないぞ、君。


「デパ地下はなかなか良いものがあってね。僕は安くて美味しいものを知ってるんだ」

「へぇー、アキラさんって何でも知ってるんですね」


 アキラだと!! アキラ!!

 ぶはっ。

 危ねぇ。もう少しで口からつくねが飛び出るところだった。

 下の名前で呼ばせるとか、反則技を使うんじゃない。


 私はこみ上げてくる笑いと格闘しながらも、食事を続行する。一刻も早く食べ終わって、平和なロビーに避難したかった。


「僕、いくつに見える?」


 でたー。

 自分の年齢当てさせようとするヤツ。若作りのヤツにかぎって、そういう返答に苦慮する質問をしてくるんだな、これが。


「え~」

 女子は可愛い声で首をひねっているご様子。


 だよね。だよね。

 当ててもヤバいし、まかり間違って上を言ってら気まずいどろこの騒ぎじゃなくなるし。かといって、あからさまに低い年齢をいっても、面白くなさそうな顔をするしさぁ。やっかいなんだよね。

 男女問わず、こういう人、困るよねぇ、ほんと。


「僕、50代なんだ」

 女子の返答を待ちきれなかったらしく、おっさんは自分で答えを言った。

「え~、そうなんですか」

 女子はこころもち大袈裟に驚いてみせる。「見えません」と言わなかったところが、ポイントだ。


「見えないでしょ?」

 おっさんは鼻を鳴らしながら、そう言った。


 大丈夫。見えてる。全然、見えてますよ~。

 どこから見てもがっつり50代にしか見えません。

 しかも、55オーバーですよね?

 アラフィフじゃなくて、アラ還。違います?

 本人はイケオジのつもりだろうが、全くのイタオジだ。


 居たたまれなくなった私は、残りのご飯をかっこむと、そそくさとロビーに避難した。

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