第8話 俺にする?
限界だ……。
魂が抜けたように、リビングテーブルに突っ伏す。
誰か、俺の嗅覚奪ってくれないかな……。
もう10日、10日もまともに文都と会話してない。
「ありえない」
もちろん、俺だって何もしなかった訳じゃないけど……。
朝は、同じ時間のバスに乗ろうとしたし、昼休みには文都の教室も覗いた。放課後は昇降口で待ち伏せした。
文都が俺に会いに来てくれた事も分かってたけど、距離が近くなって、あの甘い匂いを感じると、自分が抑えられなくなりそうで不安で……。
何がきっかけで、強く血を欲するのか分からないし、うかつに近付いて、理性を失った俺が文都に襲いかかったらと思うと、ゾッとする。
そんな事を考えている内に、時間だけが過ぎて……。
「俺、こんなに臆病だったかな? 手に入ったから、失うのが怖いのかな……」
文都は、どう思ってるんだろう。
「……」
結局逃げてばかりで、春休みになっちゃったし……。
ああもう、俺のバカ〜……!
こんな事があとどれくらい続くって?
本当に死ぬぞ!?
頭を抱えて苦悩していると、家のチャイムが来客を知らせた。少しの時間を置いて、姉が俺に声を掛ける。
「亜蘭くん! 後輩くんが来てるよぉ!」
「え? 後輩?」
「背が高くて全身真っ黒な子!」
「は?」
誰だよ、こんな時に……。
「こんばんは〜。お届け物で〜す」
白い箱を持って玄関に立つ、文都の同級生、黒石理人。
俺の事を吸血鬼だと知る、人間の一人。
前髪を自然に分け、動きを出した黒髪。涼しげでキリッとした黒い瞳に、愛嬌を感じる、膨らんだ涙袋と口角の上がった唇。褐色の肌。
黒のカーゴパンツに、ルーズ感のある黒いシャツ、黒いトレンチコートのオールブラックコーデのせいで、手に持った白い箱がライトアップされているように感じる。
前は、何を考えているか分からなくて気味が悪かったけど、色々あって今は、俺の忠犬の座に落ち着いた。文都の浮気監視役に任命している。
「甲斐くんから先輩に。キャラメル生チョコマカロン」
「……」
文都……。
触るなって言ったのに、俺の事、怒ってないんだ。
「おい犬。お前、ホワイトデーのお返しの意味って知ってる?」
「おい犬て」
「キャラメルは、あなたといると安心する。チョコは、あなたと同じ気持ちです。マカロンは、あなたは特別な人。あいつ、俺に贈るお菓子に、そんな意味を込めて……」
「いや、甲斐くんは響きが可愛くて、おいしそうだからって」
「あ゛?」
「何でもないです」
顎で指し、理人に家に上がるよう促す。
「おい、お前。ちょっと面貸せ」
「へ〜吸血鬼特有の、血を欲する時期に入ったせいで、甲斐くんに近付くと血が吸いたくなっちゃうんだ〜」
俺の部屋のベッドの上で、向かいあって座り、関心の薄い声を出す理人。
「ていうかこれ、先輩のベッドだよね? 広っ。四人でも余裕で寝返り打てるじゃん。先輩、いつもここで寝てるんだ……。へ〜……」
おい、俺の話に集中しろ。
なぜ急に黙る。
「匂い嗅いでいい?」
「あ゛?」
「いやいや、あのさ、俺からしたら好きな人のベッドだよ? 肌触りのいいリネンの上で恋愛相談ってどんな拷問? 匂いくらい嗅いでもいいじゃん!」
ウッ。謎の圧。
こんな奴でも、今は貴重な相談相手だからな……。
背に腹は代えられない。
「勝手にしろ」
「わ〜い」
理人が、ベッドに寝そべり、寝返りを打って布団に包まった。うつ伏せになり、死んだように固まる。
「お花みたいな、いい匂いしかしない……」
「何で残念そうにする……?」
お前といい、文都といい、俺に何を求めてるんだ?
「甲斐くんに、正直に話した方がいいんじゃない?」
仰向けで寝転がり、頭の後ろで手を組んで、正論を言う理人。
「嫌われたらどうするんだ」
「先輩って、意外と臆病だよね」
「血が吸いたくて仕方ないなんて、引かれるに決まってる」
「確かに、普通の人はドン引きだろうけど、甲斐くんは普通じゃないから……」
まあ、言いたくない理由は、それだけじゃないけど……。
理人が、名案が浮かんだ顔をする。
「それなら、一回思うままに吸っちゃえば? 満足して治るかも?」
「いや、それは俺も考えたけど、加減できないのは怖いし、文都に負担かけたくないから。それに、俺の問題に文都を巻き込みたくない」
「あ〜なるほどね〜」
「あいつ、どんな様子だった? 俺の事、嫌いになってないよな?」
「……」
会えなくて寂しい。
文都の話をすると、余計に会いたくなる。
「上手くいかない……。俺は、普通の恋愛がしたいだけなのに……」
理人が体を起こして、俺に顔を近付ける。
透明感のある黒曜石のような瞳が、俺を捕らえた。
何か、近くない?
「じゃあ、俺にする?」
「え?」
「俺なら、普通の恋愛をしてあげられる」
「……」
いや、なんで?
提案が予想外過ぎて、何か別の意味があるのではと、理人の顔を見て探ってしまう。
冗談?
女子からキャーキャー言われてるだけあって、まあまあの顔だな。
「別にお前の事、好きじゃないし」
「ド直球」
当たり前だろ。
俺は文都と付き合ってるんだから。
「流石に傷つく。少しはドキドキしてくれてもいいじゃん」
理人が唇を尖らせて、拗ねた表情をした。
ドキドキ? しないけど。
「先輩も危機感ないよね〜……」
「え?」
「あんな顔されたら、キスしたくなっちゃうじゃん。ま、俺、甲斐くんの事も嫌いじゃないからしないけど」
「な」
何で!?
あんな顔って何!?
「あ、やっと赤くなった〜! かわいい〜!」
「揶揄うな!」
うう……冗談ばっかり……。
こんな奴に相談するんじゃなかった……。
「甲斐くん、俺が先輩を、絶対守ってみせますって張り切ってたよ」
「へ」
「接近禁止命令くらいでは、俺と先輩の仲は引き裂けないって」
「……」
接近禁止命令?
「先輩がする事は、なんでも許しちゃうような甲斐くんが、先輩の事嫌いになると思う?」
理人が、大きく伸びをする。
「あ〜あ、俺、何でこんな損な役回りになっちゃったんだろ。バカップルに振り回される俺の日常……」
「ありがとう」
キョトンとした目が、俺に向けられる。
「お前がいてくれてよかった」
「……」
「な、何? 本当に思ってるから……」
「じゃあキスして」
「ぶん殴るぞ?」