第5話 可愛いって言われるの、本当はちょっと恥ずかしい
ホワイトデー翌日の朝。
俺の家に迎えに来た文都が、玄関に背を向けて立っている。考え事をしているのか、玄関から出た俺には、まだ気付いていない。
今朝は、文都が昨日くれた服を着ているからか、すごく気分がいい。
だからかもしれない。普段と違う事をする気になったのは。
「わっ!」
文都の背中を押して、驚かす。
「えっ?」
振り向いた文都の驚いた顔を見て、つい愉快な気持ちになった。自然に口元が綻んでしまう。
「びっくりした?」
「はい……。心臓が止まったかと思いました」
え? 人間ってそんなひ弱なの!?
うわ〜……俺、気まぐれで恋人を殺しそうになったって事?
「ごめん……」
「何で謝るんですか? もっとやって下さい」
文都が、俺の両手を握る。
何でだよ。
心臓止まりそうだったくせに、よくそんな事言えるな。
「その服、着てくれたんですね。似合ってます!」
「そう思う?」
「はい! めちゃめちゃ可愛いし、めちゃめちゃ似合ってます!」
可愛いって言われるの、本当はちょっと恥ずかしいんだけど……。でも。
「俺もそう思う。だって、俺の恋人が買ってくれたやつだから」
こういう事言うのも、恥ずかしいな。
「……」
「文都?」
「あ、すみません。感情が追いつかなくて」
「……」
急に驚かしたせいで、感情に支障が?
「昨日のマカロン、おいしかった」
「あ……本当ですか? お口に合って良かったです」
「今度、作り方教えて」
「……」
文都が、ピシッと音を立てて、石化したみたいに固まった。
え? 何? その顔。
顔に、それは予想してませんでしたって、書いてあるけど。
「お前、お菓子作り得意だったんだな。今度、うち来て作らない? 俺の家族、みんな甘い物好きだから、喜ぶと思う」
パティシエになる夢の為に、恋人として協力してやらないと。俺が場所も材料も、試食要員も確保してやるから、安心して……。
「あ、いえ、それはちょっと……」
「……」
さては、遠慮してるんだな?
「作れ」
「え」
「遠慮するな。作れ。それとも出来ない理由があるのか?」
「いえ、あの、それは……。先輩? あの、何か気付いてますか?」
気付いて? 何でそんなに動揺してるんだ? 怪しい……。
「おい、俺に隠し事してる訳じゃないだろうな? 何をそんなに動揺して……」
ハッ……!
まさか協力者って、この間、文都を誘惑した、着物が似合う大人のご近所さんなのか!?
「お前、まさか俺に内緒で……」
変化は突然に訪れた。
文都の服を掴もうとした時、甘く煮詰めたキャラメルみたいな香りがして、頭の中がグラッと傾くような錯覚が起きた。
え? 何だ……これ。
「文都、お前、香水とか付けてる?」
「え? 付けてないですよ」
「甘い匂いしない?」
「匂いですか? 俺は、分からないですけど……」
いい匂いだけど、意識が持っていかれるような危険を感じる。
何なんだ?
突然こんな、甘くて、おいしそうな、ゾクゾクするような……。
匂いの正体を掴もうと集中していると、うたた寝をする時のように、心地よく頭がふわふわとしてきて、集中が途切れてしまう。
あ〜なんか今、無性に文都の血が吸いたい気分。
「先輩?」
「ハッ……」
え? 今、意識飛んでた?
一瞬、欲望が頭をよぎったような。
「あの、先輩……」
「ん?」
「涎出てますけど」
「へっ!?」
欲望が全面に出てた。
「そんなに、キャラメル生チョコマカロンが食べたかったんですか?」
「違っ……これは……」
文都が、ポケットから取り出したタオルで、俺の口元を拭く。
手が近付くのと同時に、甘い香りが強くなった。
いい匂いの正体、お前かっ!
でも、急に何で?
今までも文都からいい匂いはしてたけど、こんな風に強くは感じなかったのに。
あ〜おいしそうな匂いがする〜……!
「先輩、大丈夫ですか? 顔が赤い気がしますけど……」
体の力が抜けて、気が緩んだ、だらしない顔になってしまう。
ほろ酔い気分って、こんな感じかもしれない。