第39話 俺の初体験はどうなったの?
やってしまった……。
途中から何があったのか、全く覚えてない。
時計は、まもなく午前6時になる事を告げている。
俺を引き留めるように、温もりを残した布団の中で、文都がスヤスヤと寝息を立てていた。
前にもこんな事あったな。
俺は二度も同じ過ちを……。
昨日、色々あったから、薬飲むの忘れて……。バカだな俺、本当に……。
「……」
それで、俺の初体験はどうなったの?
目覚めてから、ずっと気になっている問題を直視する。
「落ち着け、大丈夫。よく観察したら分かるはず。とりあえず薬を飲んで、一度状況を整理しよう」
引き出しから薬を出して、口に放り込む。
文都の首筋の跡を見るに、俺が文都の血を吸った事は間違いない。
それから……俺も文都も着衣の乱れはない。寝具も整ってる。体に痛い所はない。
「何もなかった……? また血を吸って寝ちゃっただけ?」
いや、待てよ?
昨日俺、暑くて服脱いだよな? って事は、色々あった後で文都が着せてくれた? 再生能力のせいで、痛い所がないのは当たり前だし……。
「どっち!? どっちなんだ!? したの? してないの!?」
気持ちよさそうに寝息を立てる文都に、そっと顔を近付ける。まだ、起きる気配はない。
「直接聞ける訳ないし」
文都、寝顔もカッコいいな。いや、ちょっとかわいい?
「早く起きないと、襲っちゃうぞ。な〜んて……」
いや、こんな事言ってる場合か。状況によっては、超気まずいぞ?
初体験を覚えていない俺に、がっかりする文都の姿が浮かぶ。
そうだとしたら、人生最大の失態。
「嘘だろ!? 嘘だと言ってくれ!」
「う〜ん……」
ハッ……文都が起きちゃう!
「先輩……ごめんなさい……」
「え? 寝言?」
文都が、目を閉じたまま舌足らずなしゃべり方をする。
かわいい……。
俺の夢見てるのかな?
でも何で謝ってるの?
自分が抱える問題を忘れて、文都の寝顔を眺める。
「まだ溶岩しか作れなくて……。鬼ちゃんさんの……特訓して……でも、溶岩に……」
ん? 今、何て言った?
鬼ケ原伊織?
あの、お前のことが好きで、兄の秘書をしてる、目障りな鬼ケ原伊織?
「先輩……俺、お菓子作りとか、できません……。マカロンも……鬼ちゃんさんと作らないと……。俺は、溶岩しか……」
は?
「俺、早く希惟さんに認められて、先輩と……ムニャムニャ……」
「おい、起きろ」
文都の胸ぐらを掴んで揺らし、乱暴に起こす。
「ん……先輩? 寝起きで一番に先輩の顔を見られる幸せ……」
「お前、鬼ケ原伊織とスイーツ特訓してたのか?」
「……」
文都が開いた目を再び閉じた。
「寝たふりするな」
「な、なぜそれを?」
「お前が今、寝言で話した。お菓子作りできないって、どういう事?」
文都の眠気が覚めた顔が、俺に聞かれたことの動揺を物語っていた。
「俺が貰ったマカロンは、鬼ケ原伊織と作った!? お菓子作りなんて全然できない!?」
文都は、俺に全てを白状した。
「溶岩しか作れないって……どうするつもりなんだ? 今日、兄にスイーツ見せるんだろ? 殺されるぞ?」
溶岩って、逆にどうやったら作れるんだよ。
「コンセプトとか、使う食材と組み合わせ、仕上がりのイメージは出来たんですが、俺には、それを形にする事ができなくて。今日は、鬼ちゃんさんが何とかしてくれると申し出て下さって……」
「ダメだ! あいつを頼るな!」
文都に顔を近付ける。
「あいつはお前のことが好きなんだぞ!? 信用できない! 大体、何でできないのに引き受けたりしたんだ? 俺だって、お前がパティシエになりたい訳じゃないって知ってたら……」
「先輩に喜んで欲しくて」
文都が申し訳なさそうに呟いた。
「え?」
「先輩に喜んで欲しくて、つい……」
ついって……。
お前、本気で頑張ってたじゃん。
お菓子作りのお金が足りないからって、バイトしたりして……。
「俺に喜んで欲しくて、無理してたの?」
「いえ、無理ってほどでは……」
「お前の料理スキルを考えたら、十分無理してるだろ」
文都が叱られた飼い犬のように、しょんぼりと肩を落とす。
「俺の期待に応えようとしなくていいから」
「え!? 俺、期待する価値ないですか!?」
「そうじゃなくて、俺は文都のしたい事を応援したいし。やりたくない事をやらせるつもりはないから」
俺のせいで、文都に負担かけちゃってたんだな……。
「試食は中止させよう。大丈夫、俺からうまく言っておくから」
「いえ、やらせてください」
え?
「何でだよ。頑張ってもメリットないだろ。俺の事は気にしなくていいから……」
「先輩の喜ぶ顔が見たかったからだけじゃないんです。俺の夢を叶える為に、必要な事なので」
「お前の夢?」
あれ? でもお菓子作りには興味ないみたいだけど……。
「俺は、先輩との甘い同棲生活という夢を叶える為に、希惟さんに認められたいんです!」
へ?
「朝目覚めたら、俺の隣に可愛い寝息を立てる先輩がいて、俺は先輩を起こさないように、先に起きて二人分の朝食を作り、まだ眠そうな先輩を起こし、朝食を食べさせて……」
「ちょっと待て。朝食は俺が作る。朝食だけじゃない、料理は俺の担当だ。それだけは譲れない」
じゃないと、そのうち死ぬ。
「分かりました。でも、その他の担当は、全部俺です」
文都が、俺の手を取って口付けた。
「先輩の髪を洗ったり、乾かしたり、服を着せたり、爪を切るのも。先輩を甘やかすのは、全て俺の担当です」
「えっ!?」
な、何それ。
そんな、すごい愛されてるみたいな……。
「本当は、掃除とか別の分野で希惟さんを認めさせたかったんですけど。先輩が作って下さったチャンスを無駄にしてはいけないので」
いや、掃除で兄を認めさせようとか、能天気すぎるだろ。
「待っててください。必ず、希惟さんに認められて、先輩との甘い同棲生活という夢を叶えてみせま……」
文都の話を遮るように、勢いよく部屋のドアが開かれる。
早朝に似合わない声量で、兄が文都を呼んだ。
「おい! 人間! 人の家でいつまで寝ている!?」
いや、俺のプライバシーは?
「希惟さん! おはようございます!」
律儀に、いい返事するな。
罵倒されてるんだぞ?
「来い! 今すぐ昨夜何があったか報告しろ! 事によっては、貴様を処刑する!」
この世の中で最も嫌なタイプの兄。
「あの、俺と文都の事に口を挟まないでくださ……」
「亜蘭、まだ早いから寝ていなさい。俺が起こすまで寝ていて構わないし、何なら多少遅刻しても、試食会の予定を遅らせて……」
ダメだろ。
部下から嫌われるぞ?
「先輩、もう少しゆっくりしていて下さい。希惟さんには、俺から説明しておくので」
「え!? 文都!? そんな必要ないから……」
何があったか、お前が説明しないといけない相手は、むしろ俺。
「来い!」
文都が、兄に引きずられるように連れて行かれる。
「文都!」
「先輩! ご心配なく!」
あああ〜……昨夜何があったか知りたいのは、俺なのに〜……。




