第37話 年上の俺がリードしないと
「文都、まだお風呂出ない?」
強制的に兄を排除したバスルームで、向かい合って湯船に浸かる文都に声をかける。
乳白色のお湯が揺れて、小さな波が出来た。
「俺は今、出れません」
文都が俺から顔を逸らす。
「出れない?」
「察してください……」
文都の濡れた髪から、水滴が落ちる。
わぁ……文都、めちゃめちゃカッコいい……。濡れてると色気やばいな。
俺の中に、何のとは言い難い、欲が芽生える。
文都とはもう、たくさんキスしてるし、そろそろ次のステップに進んでもいい頃だよな……?
「……」
学校の昼休みに理人から、性欲強めと言われた事が、脳裏に浮かぶ。
「違う! 文都が悪い!」
文都がカッコいいのが悪い!
「え? 何の話ですか? ごめんなさい」
湯船に深く浸かりながら、文都の顔色を窺う。
「先輩? 苦しくないですか?」
「ふんふん(苦しくない)」
そういう雰囲気にするには、どうすればいい?
俺、誘惑の仕方がよく分からないんだよな……。本来、吸血鬼は獲物を誘惑して、血を吸う生き物なのに。
う〜ん、とりあえず色気のありそうな仕草でもしてみるか。
「おい、文都。お前、俺の事見てろ」
「え? はい」
髪を掻き上げて、首筋を見せる。
「首、痛いですか?」
「……」
「明日、接骨院行きますか?」
ダメだ。まるで伝わってない。
切り替えて次。
バスタブの縁にもたれて、背中を晒す。
「文都、ちゃんと見てる?」
これならいける?
「見てますけど……。どうして……」
文都がハッとした顔をする。
俺の意図に気付いた?
「羽はまだ生えてません!」
「あ〜天使に進化したって話な。分かった分かった」
やっぱりダメか。
おかしいな。今までの文都の口ぶりからすると、俺とそういう事したいみたいだったけど。
「はぁ……熱い……」
バスタブの縁に腰掛けて、顔に風を送る。
明日、試食控えてるし、そういう気分じゃないのかも。
諦めて寝る支度するか。
「俺、先に出てるから……」
「先輩」
湯船から上がろうとする俺の手首を、文都が掴んだ。
「一緒にお風呂入ったら手出しますって、俺、言いましたよ?」
「え……?」
「まさか、忘れてないですよね?」
俺の体に、文都の素肌が触れる。
ち、近い……。
「でも、ここだと声が響きそうなので……」
「へ……」
「先輩のベッドルームでしませんか?」
「亜蘭、やけにソワソワしているな」
文都より先にお風呂から出て、キッチンに立つ俺を、兄が不審な目で見る。
「ソワソワ!? 全くしてません!」
「ならどうして、ペットボトルの水を持ってウロウロしているんだ?」
望んでいた事とはいえ、すごくドキドキする!
ついに文都と……。あれ? でも男同士って、どうやって……。
どうしよう。年上の俺がリードしないといけないのに。
「……」
「どうしたんだ? 亜蘭」
早くしないと、文都がお風呂から出てきちゃう。
「何か困っている事があるなら、話してみろ」
「いや……男同士って、どうやってするのかなと思って……」
俺は焦っていた。
こうして言わなくていい事を口走ってしまったのは、間違いなくそのせいだ。
兄の手に握られていたスマホが、ピシッと音を立てて、蜘蛛の巣のような亀裂の模様を作った。
「亜蘭、今日はお兄ちゃんの部屋で寝なさい」
「何で!?」
「理由はいいから、お兄ちゃんの言う事を聞きなさい」
「絶対嫌です! それと、お兄ちゃんって言うのやめて下さい!」
「お兄ちゃん」
「だから……」
「お兄ちゃん」
「やめろって……」
ん? 俺の声?
兄のスマホが、俺の声でお兄ちゃんというワードを繰り返す。
「すまない。亜蘭の声で、アラームを設定していたから」
「どんな設定!? 今、夜ですけど!?」
「俺の聞きたいタイミングで設定している」
「何そのいつ鳴るか分からないドキドキの設定!」
最悪だ! 早く何とかしないと、いつ誰に聞かれるか分からない!
兄が、俺を爆発させる装置を持って行動しているように思えてくる。
まさか、こんな事になるなんて……。
これじゃ、俺が爆弾を解除するまで、誰も兄に近づけられないじゃねーか!
「亜蘭く〜ん。フルーツ切って〜」
「お風呂いただきました」
「ヒィッ」
突然キッチンに現れた姉と、お風呂上がりの文都に、肩を震わせる。
「亜蘭くん?」
「先輩?」
ヤバい!
またこの三人が集まってしまった。
ええと、何を誰に聞かれたらマズいんだっけ? 混乱してきた。
「おにい……」
「スヌーズ!!」
兄のスマホが、再びアラームを鳴らすのに合わせて、大声を出す。
「先輩?」
「おにい……」
「あー! あー! 喉の調子が!」
「亜蘭くん? 今、希惟くんのスマホから、亜蘭くんの声が聞こえたような……」
「おにい……」
「全く!? 俺は全然、聞こえなかったけど!?」
ハァ……ハァ……辛い……。
「先輩、今日はどうしたんですか? いつもと様子が違いますけど……」
「そう? 普通だけど?」
「本当に大丈夫ですか?」
文都が俺の顔を心配そうに覗き込む。
「うん。平気平気」
「じゃあ……」
俺の体を抱き抱える文都。
「へ!?」
「おい人間! 亜蘭を離せ!」
「先輩と俺は、これから二人の時間を過ごさせていただきます」
「なっ!? 俺は許していないぞ!?」
顔を歪ませて掴みかかろうとする兄を、姉が後ろから羽交い締めにした。
「おやすみなさ〜い」
「貴様! 亜蘭に手を出したら、その首を噛み切ってやるからな!?」
「こらこら希惟くん。二人は付き合ってるんだよ〜? そういう事もするでしょ?」
俺、本当にしちゃうんだ。文都と……。
この時、俺は気付くべきだった。
一番大切な事を忘れている事に。
まさかそのせいで、人生最大ともいえる失態を冒すことになるとは、浮かれる俺には、想像もできない事だった。




