第3話 俺の先輩に、他の人の匂いが付くのは嫌なので
体育の授業の為に、体操服に着替えて、廊下を歩く。冷気にさらされた腕に鳥肌が立った。
「亜蘭、半袖? 気合い入ってるな」
クラスメイトの向井綜一が、場違いな格好の俺を笑う。
黒髪の短髪が爽やかで、まっすぐで太めの眉に誠実そうな印象を受ける。
向井とは、中学の時から一緒で、気兼ねなく話す仲だ。当然、文都と俺が付き合っている事も知っている。俺が、吸血鬼って事は言ってないけど。
「寒くないの?」
「ちょっと寒い。誰かにジャージ借りてから行く」
段々と春めいてきたものの、半袖では、まだ心許ない。
腕をさすりながら、借りる相手を思案していると、騒がしい足音が耳に入ってきた。息を切らして、文都が走ってくるのが見える。
「良かった……! 間に合って……」
「文都?」
え? 何でここに?
もしかして、短い休み時間まで俺に会いたくて? お前、どれだけ俺の事好……。
「先輩に、これをお貸ししようと思って……」
息を整える間もなく、文都が着ていたジャージを脱いだ。
あ……なるほど。
「前の時間、体育だよな?」
「はい。終わってすぐ、ダッシュで来ました」
「廊下走っちゃダメだろ」
向井が、すかさず優等生らしいツッコミを入れる。
「そこまでしなくていいのに」
文都が、まだ温もりが残るジャージを俺に羽織らせた。柔軟剤の香りに混じって、文都のニオイがして、思わず心拍数が上がる。
「俺の先輩に、他の人の匂いが付くのは嫌なので」
「へ」
「じゃあ俺、急いで教室戻らないといけないので、これで失礼します」
足早に去っていく背中を見送る。
「もう、行った?」
「行ったね」
文都の姿が見えなくなったのを確認して、顔を手で覆い、その場にしゃがみ込む。
「無理……」
熱湯をかぶったみたいに、顔が熱い。
自然にジャージ貸すくらいで、ときめくのよく分からないと思ってたけど、教科書(恋愛漫画)通りだった……。
「俺のとか言われた」
「そういう所、何で甲斐君に見せたくないの?」
「はあ? 恋人が格好良すぎて悶えてるって知ったら引くだろ」
「いや、嬉しいと思うけど」
ないない。絶対ない。
あ〜やばい。ニヤける。何なんだ? この気持ち。
「はあ……俺の恋人、世界一格好いい……」
白を基調にした店内。色や形の違うテーブルと椅子。それらを調和するように飾られた花や観葉植物。パステルカラーのアイシングでデコレーションされたカップケーキが、レジ脇に並ぶ。
どこを切り取っても可愛いカフェで、放課後デートを楽しむ、俺と文都。
「先輩とショートケーキって、最強の組み合わせですよね」
注文を受けてから作られるショートケーキは、ふわふわで口溶けがいい。甘酸っぱいイチゴとクリームが、めちゃめちゃ合う。
「最強?」
「かわいい×かわいい=最強です」
言っている事がよく分からない。
「ジャージ、洗って返すから」
「そのままでいいですよ」
「いや、それは気が引ける。体育の時、結構汗かいたし……」
「……」
突然黙り込み、カフェオレを飲む文都。
「何?」
「大丈夫です。むしろご褒美とか思ってないです」
「……」
「違います! 俺のジャージに残った、先輩の香りを期待している訳ではなく!」
「……」
「汗かいた時の先輩って、どんな匂いするんだろうなとか思ってないです! 断じて! 俺は変態じゃないので!」
「……俺、何も言ってないけど」
落ち着け。
「あ……すみません」
「気になるなら、嗅いでみれば?」
「へ?」
シャツのボタンを一つ外して、襟に指をかけ、首をさらす。
「恋人同士なんだから、別にそれくらい……」
ガタッと音を立て、立ち上がった文都が、素早く俺のシャツのボタンを留めた。
勢い余って、一番上のボタンまで留められて、少し窮屈になる。
「先輩……ダメです。そういう事をするのは、絶対ダメです」
「は? 何で?」
「俺が、天使に、粗相を働く恐れがあるので!」
何で俺がボタン外すと、お前が天使に粗相を?
俺とお前と天使に、どういう関係があるんだよ。