第29話 お兄ちゃん連呼するな
「小さい頃に構ってやれなかった分、たくさん甘えて欲しい。どんなに忙しくても、お前の為の時間は惜しまない」
兄が俺に向かって、キラキラの笑顔を向ける。
「あ、はい。大丈夫です。間に合ってます」
「だからこれからも、お兄ちゃんを、お兄ちゃんを頼りにするんだぞ? 何かあったら必ず、お兄ちゃんを……」
お兄ちゃん連呼するな。
もう言わないぞ?
言わないからな?
何はともあれ、恋人にいい報告が出来そうでほっとする。
文都、喜んでくれるかな?
もうバイト終わって、うち帰ったかな?
早く話してあげたいけど、新学期まで取っておこう。
俺が進級の宴を催されている頃、文都が俺の事で会合を開いているとは、俺はその時、知る由もなかった。
第29.5話 先輩を俺達で守ろう
ホワイトウッドのタイルと、ベージュの壁紙が落ち着いた雰囲気の8畳ほどの部屋。
ベランダ側にベッドを配置し、中央にテレビ、ローテーブル、ソファが置かれている。
カーテンやラグ、ソファはベージュ系で揃え、テレビボードやローテーブルといった家具は、やさしい色合いの木目調で統一し、存在感のある観葉植物が、部屋のいいアクセントになっている。
「緊急の招集にも関わらず、こうして集まってくれてありがとう。では早速、本日の議題を……」
分かりやすくモテを意識した兄の部屋で、関係者一同を前に、司会を進行する俺。
「ちょっと待てえーい!」
そして、それを妨害する兄。
「いきなりうちに来て、妙な会合開くなよ! 知らない不良少年までいるし!」
完璧なバランスの顔のパーツ、万人に好かれやすい、犬っぽい顔立ち。自然に分け目を付け、おでこを出した爽やかなダークブラウンの髪。
平日は皺一つないワイシャツに、きっちりとネクタイを締め、すれ違う女性を振り返らせるような兄だけど、今夜は、よれよれのTシャツにスウェットパンツ、前髪をパイナップルのヘタのように縛っているせいで、素材を台無しにしている。
「あ、兄貴と音春くんは、初対面だっけ」
「九十九沢音春、15歳。もうすぐ高校生っす。よろしく」
「よろしく〜。文都の兄の、甲斐公都だよ。年齢は秘密。今をときめくサラリーマン」
ノリには素直に従う兄に、冷たい視線を注ぐ、俺、理人、音春くん。
今日は、この四人で大事な話し合いをしなければいけない。
「いや、待って!? 俺、仕事から帰って風呂入って、これからビール片手にカップラーメン食べる所なのに、野郎どもで集まらないで!? ここ1Kなの、覚えてる!? むさ苦しいよ! 連れてくるのは亜蘭くんだけでいいんだよ!」
兄は、先輩を実の弟のように可愛がっている。
時々、兄弟の枠を超えているけど。
「俺もバイト帰りだけど」
「俺もバイト帰り」
「俺は、伊織さんのパシリ帰りっす」
兄に言い返す俺に続き、理人が手を上げ、音春くんがそれに続く。
音春くん、鬼ちゃんさんにパシられてるんだ……。
「甲斐くんのお兄さん、お腹空いた〜」
「ラーメン食べながら話そう」
「いいっすね」
「俺のストックしてるカップラーメンが、野郎共に奪われていく!」
「今日は大事な話があって……」
カップラーメンをズルズル啜りながら、話を切り出す。
「へ〜公都さん、亜蘭くんのお兄様とルームシェアしてるんすね。すげ〜」
「あいつがしつこいから、仕方なくね」
「マジすか、かっけ〜。お兄様って呼ばせてもらってもいいっすか?」
「かまわん。呼びたまえ」
「甲斐くん? 緊張感がまるで伝わってこないけど?」
自分がこの場において、重要な役割を担っている事を、薄々気づき始めている理人。
「実は、先輩の事で話があって……」
先輩の事と聞いて、誰もがラーメンを食べる手を止めた。
静寂が支配した部屋で、全員の視線が俺に注がれる。
「すごく衝撃的な事だけど、覚悟して現実を受け止めて欲しい」
俺の真剣な様子を見て、みんなが身構えているのが分かる。
もしかしたら、ショックで息が出来なくなるかもしれない。
それでも、この事実を共有しなければいけない。
「実は……」
「実は?」
「先輩は……」
「先輩は?」
「進化したんだ」
「し……」
「進化したんだ! 天使に!」
時計の針が時を刻む音だけを残して、一切の音が消えた。
「甲斐くん? バイト帰りで疲れてるのかな? 妄想が行きすぎて付いていけないよ」
「亜蘭くんが……天使に……?」
口元を引き攣らせて呆れる理人の隣で、音春くんがプルプル震え出す。
「そんな……進化? 聞いた事ねえ……。まさか、薬の副作用で? そんな事があり得るのか?」
「心の声ダダ漏れだよ、音春。薬の副作用?」
「でも、亜蘭くんならあり得るかも!?」
「あり得る訳ないだろバーカ」
音春くんの独り言に、一つ一つ丁寧にツッコミを入れる理人。
「甲斐くんの方こそ、現実を受け止めなよ」
「理人、信じられないかもしれないけど、先輩が自分からそう言ったんだ」
「先輩が? 何でまたそんな嘘を……」
「あのさ……」
俺と理人の話に、兄が割って入る。
「お前、何言ってんの?」
兄が、冷たい声で俺を否定した。
「そうだよ甲斐くん。先輩が天使な訳……」
「そんなの出会った時から知ってたけど」
「……」
な、なんだってー!?
「お前、バカなの? あんなピュアでかわいい子、天使以外あり得ないだろ」
平然と言い放つ兄。
「え? え? でも先輩は……。え?」
「バカに惑わされるなよ、バカ。せめて主張を一貫させて。ツッコミが俺しかいないのに、これ以上ややこしくしないで」
「そうじゃない、先輩は進化したんだ! 天使に!」
「人間から天使に?」
「そうじゃないけど、そう!」
「ややこしいよ!」
兄は、先輩一家が吸血鬼ファミリーだという事を知らない。
兄が、
「たまごっちじゃん」と言った。
「それもう、たまごっちじゃん」
たまごっち。
「上手に育成したから、くりてんになったの? お祈りとお風呂が大好きで、いつも天使の輪をシャンプーハット代わりに使ってて、アヒル型のグッズを集めるのが趣味で、お気に入りはアヒルのおまる。ステキなステッキ、スーパーエターナルッチョマロンタクトでお祈りしてくれる、語尾に、くりんとつけるのが口癖のくりてんに?」
「くりてん……? お風呂大好きって、それ、もう先輩じゃん……」
音春くんが真剣な顔で、
「語尾に、くりんが付く亜蘭くんとか最高」と呟く。
「てんしっちは修行を終えると、てんしっちの都に帰天しちゃうんだぞ?」
「何だって!?」
「ここにはバカしかいないのかな?」
話の重要性に、まだ気付いていない兄が、カップラーメンを啜り始める。
「それの何が問題なんだよ。天使と付き合えてよかったな。羨ま死ね」
羨ま死ね?
お前、まさか先輩のこと……。
まあ、それは今は置いといて。
「今日、天国の使者が先輩と接触した」
「何だって!?」
テーブルが揺れて、カップラーメンの汁が飛び散る。
もう何もかも諦めたような顔の理人の両脇で、兄と音春君が驚愕の声を上げた。
「先輩を犬扱いして、俺が作ったワンちゃん用のメニューを、無理やり食べさせたんだ」
「え!? 甲斐くんの作ったものを!?」
え? 理人?
驚く所、そこ?
「なんて酷い事を……」
その反応、モヤモヤするな。
「先輩は、救世主が救済を与えたって言ってたけど、きっと先輩を油断させる為の作戦に違いない。先輩が天使に進化した事を知ったら、必ず天国に連れて行くはず」
「亜蘭くんはピュアだから、まだその事に気付いていないんだな?」
「亜蘭くんを連れて行かれてたまるか! 救世主だかなんだか知らねーけど、亜蘭くんを連れて行く気なら、オレが許さねー!」
「見事に妄想が組み立てられていく……」
今日、先輩をいじめた人、見た目がもう天国の使者だった。
髪も白に近い金色だし。
どこかで似たような人を見た気がするけど……。
先輩も人間じゃないって言ってたし。それに向こうは、先輩の事を知ってたって……。
「おい、天国の奴らが本気でかかって来たら、個人の力ではどうにもならないぞ?」
「兄貴……。そうなんだ。悔しいけど、俺一人の力じゃ先輩を守れない。みんなの力を貸して欲しい」
音春君が、俺の背中を強く叩く。
「言われるまでもねー! 亜蘭くんは必ず守る!」
「音春くん……」
痛いよ……。
わざと強く叩いてないよね?
兄が俺の肩を抱く。
「お前に頼まれなくても、何でもするに決まってるだろ? 俺の亜蘭くんを連れて行かれてたまるか!」
「兄貴……」
先輩はお前のじゃないだろ。
俺のだろ。
「まあ、天使どうこうはともかく、甲斐くんの作ったものを食べさせるような奴が、いい奴の訳ないよね」
理人?
それ、どういう意味?
テーブルの上で、それぞれの手を重ねる。
「先輩を俺達で守ろう」
この日俺達は、先輩を守る為に、共に戦う事を誓った。




