第16話 あーくんだと!?
「先輩、もっと俺の事頼ってくださいね。遠慮なくワガママも言ってください」
文都が、本の背表紙を撫で、溶けてしまいそうな甘い口調で話す。
「ワガママ?」
「この間、血が吸いたいって言った時みたいに、俺に甘えて欲しいです。やだとかダメって言って、俺に子供みたいに甘える先輩、キュンとしました」
「キュン?」
それって、あのキュン?
教科書に載ってたやつ?
「お前、キュンッてするの?」
「え? しますよ。先輩といるといつも」
ま、マジ!?
「俺に教えて! キュン! 俺もしてみたい!」
勢いよく顔を近付けると、文都が目をパチパチする。
ずっと気になってたんだ! キュンの正体!
「ダメ……?」
「ダメではないですけど……」
もしかして、吸血鬼の俺には難しいのか?
キュンは人間限定?
肩を落としてシュンとする。
「どんな感じかだけでも、教えて欲しい……」
「えっと……心臓がキュッてなって、息が詰まるような……。その人の事が、どうしようもなく愛しくなる感じです」
へぇ……文都って、俺の事を、どうしようもなく愛しく思ってるんだ。
……。
「はわっ!?」
「はわ? 何ですか、それ。かわいいですね」
ウワァーン!
俺、愛されてる? 嬉しい!
俺の恋人、格好良すぎてヤバい!
おい! その顔、他の奴の前でしたら、誘惑してるのと同じだからな!?
「俺も、先輩にキュンッてして欲しいです。どうすればいいかな……。いつもと違う事するとか?」
文都が視線を上に上げて、考える仕草をした。
「文都、無理しなくても大丈夫。俺、十分満足したから……」
「あ、名前とか呼んでみますか?」
1日の間で、最もやさしくて温かい瞬間があるとしたら、今なんじゃないか。
そう思えてしまう眼差しを向けられて、思わず心臓が跳ねる。
「亜蘭」
「……」
あ、ら、ん……!?
自分の名前を呼ばれただけなのに、心臓が締め付けられて、息が詰まる。
文都の手が俺の髪に近付いて、毛先に指先が触れた。
「亜蘭、かわいい……。今日は、俺の誕生日だから、こんなにかわいいの? いつもかわいいけど、いつも以上にかわいく見える」
「へあっ!?」
処理能力の限界を超えて、オーバーヒートする俺。過熱した頭から、湯気が出ている気がする。
も、もう無理!
心臓がおかしくなって、倒れそう……。
これって……。この感じって……。
あれ?
「……」
これが、キュン!?
俺、文都と一緒にいる時、こういう事何回もあったぞ!?
「すみません、図々しかったですね。これ、買ってきちゃいます」
俺にキュンを気付かせたとは知らず、文都がレジへ向かう。
「ヤバいな……キュン……」
キュンのせいで、死にそうになった。
レジの前で、火照った顔に手で風を送っていると、隣で文都が封筒型の小さなケースを出した。
図書カード? 何か、書いてある……。
あーくん誕生日おめでとう?
文都は、少し迷ってそれをしまい、現金を払う。
「使わないの?」
「ご近所さんに貰ったんですけど、使うのが勿体無くて……」
「……」
刹那、俺の体に、雷に打たれるような衝撃が走る。
ご……!?
天にも昇る気持ちだったのに、一気に転落させられて、地上に叩きつけられた。その高低差に頭がクラクラする。
ごごごご、ご近所さん!?
例の文都に気がある、和服が似合ってお茶が趣味の、大人の女性、ご近所さん!?
「あ……あ……」
あーくんだと!?
なっ……なんっ……な……!
「先輩?」
「お、お前……そう呼ばれてるの?」
「え? あ、これですか?」
文都が、一度しまった図書カードを取り出して、俺に見せる。
愛おしそうに見つめて、柔らかく口元を緩めた。
「子供扱いされてますよね」
「……」
文都が、ご近所さんに大人の魅力を感じてる!?
「受け取らないと怒られるので……。でも、こういうさりげない贈り物って嬉しいですよね」
俺の脳内で、大人の色気を感じさせる、和服姿のご近所さんが、文都の手に触れて、図書カードを握らせた。あーくん、めっ! と言って、頬を膨らませ、拒む文都を嗜める。
「……」
めっ!?
なぁ〜……!?
「先輩? 涙目になってますよ?」
しかも、大人の余裕を感じる、さりげないプレゼント!?
俺が勉強した、人間式の誕生日祝いと違う!
えええ、さりげないのがいいの?
俺、バルーンいっぱい膨らませて飾り付けしちゃったし、プレゼントもいっぱい買っちゃったけど!?
そういえば、理人も買い過ぎって言ってたし……。
俺、これから家でお祝いするのに、どうしたらいいんだ!?