第12話 俺のベッドの匂い嗅いで帰った
「今日は来てくれてありがとう」
玄関で、靴を履く文都の背中に声を掛ける。
文都と別れる時って、何でこんなに寂しくなるんだろう。ずっといてくれたらいいのに。
「いえ、こちらこそ。先輩が元気になって良かったです」
うん。俺も正気を失うきっかけが、文都との接触だって分かってスッキリした。
触れられる時間は短いけど、側にいる事はできるし、しばらく我慢すれば血を欲する時期も過ぎるから。
「あ! そうだ。お前、何か欲しいものない?」
「え?」
もうすぐ文都の誕生日だから。
リサーチしておかないと……。
「欲しいものはあるんですけど……」
「何?」
財布とか? 服? 時計?
それともお菓子作りに使う道具かな?
文都が、少し困ったように笑う。
「内緒です」
え?
「俺に言えないもの?」
「もう少し、待っていたいだけです」
「……」
え? 何それ。
すごく気になる……。
玄関のドアを開けると、心地いい風が髪を揺らした。新しい生活を待ち侘びるような、期待と不安が入り混じったような、この時期の空気が、俺は嫌いじゃない。
ドアの前で、文都が俺に振り返る。
「キャラメル生チョコマカロン作れなくて、すみませんでした」
「いいよ。調子が悪い時もあるって」
「……」
なぜ黙る。
「この間貰ったの、美味しかったよ。理人が届けてくれたやつ」
「あ、あいつ何かしませんでした? 意味深な事言ってたから……」
「いや、特に何も。俺のベッドの匂い嗅いで帰ったけど」
「……は?」
呆気に取られた様子の文都が、一瞬フリーズする。
「それって……」
俺を背後のドアに追い詰めるように、顔の横に手が置かれた。
「先輩のベッドに、理人を上げたって事ですか?」
「そうだけど……」
これ、教科書(恋愛漫画)で見た。
壁ドンとかいうやつ?
脅すような構図なのに、されてる側がときめいてるから、ずっと不思議に思ってたんだよな。
人間の感覚って、よく分からな……。
「俺以外の人間を、先輩の寝室に入れたらダメですよ」
冷たさは感じないのに、一切拒む事を許さないような視線に、心臓がドキッと鼓動を打った。
射すくめられたみたいに、声がうまく出なくなって、心臓の音が外まで聞こえてしまいそうなほど、ドキドキする。
「あ……ごめんなさい……」
何がダメなのか分からないけど、反射的に謝ってしまう。
「いくら相手が理人でも、ベッドの上はダメです。先輩は、俺のなんですから」
「俺の……」
「嫉妬します」
「嫉妬!?」
え……? ヤバい。
心臓が痛いくらいドキドキする!
顔熱い……。
視線から逃れるように顔を逸らすと、顎を引かれ、強制的に目を合わせられる。
「あや、と……?」
「1分、でしたよね?」
文都が、ふっと息を吐くように笑い、唇を重ねた。俺の反応を揶揄うみたいに、軽く触れたまま動かない。
「……」
え? な、長くない?
な、何? キスってこんな感じだっけ? 触れてるだけだけど……。
俺から何かした方がいいの?
正解を焦らされてるみたい……。
どうしたらいいか分からなくて、戸惑いの視線を向けると、俺を許すような微笑みが向けられる。
ホッとした俺に、文都が、安堵の息を飲み込むようなキスをした。
へっ!?
角度を変えて、唇の感触を楽しむようなキスが繰り返される。
「んっ……はぁ……」
ここここんなの、教科書に載ってなかったけど!?
なんか……慣れてない!?
「……1分ってどれくらいでしたっけ?」
文都が、名残惜しそうに口を離し、そう聞いた。
「……」
な……何で、そんな普通にしてられる訳?
「まだ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない……」
眉を寄せて睨み、低い声で威圧すると、宥めるみたいに髪を撫でられる。
「大丈夫そうに見えますけど」
「ちょっ……もう、一回離れろ」
びっくりして、血を吸いたいと思う暇もなかった……。
「せっかく、先輩が気持ちよさそうにしてたのに……」
「は……」
顔、熱っ。
「な、何で、急にこんな所で、何回も……」
「先輩が好きなので、1分間キスしました」
「……」
別に特別な事じゃないって顔してるし。
「やっぱり、1分って短いですね」
「長い!」
「え?」
こいつ……こういう事出来たの?
し、知らなかった……。
何か、俺より年下なのに、大人な感じ……。
「先輩、何がいけない事なのか、分からなかったんですよね?」
「へ……?」
理人の事? だって、あいつは……。
「大丈夫です。俺がこれから教えていきます。だから、約束守ってくださいね」
やさしく子供に諭すような口調で、俺に語りかけると、文都は、いつもの何もかも受け止めてくれそうな笑顔で笑った。
「理人は、俺がぶん殴っときます」
俺、そんなにいけない事したの?