第10話 甘くて、おいしそうで、ゾクゾク
「文都……。俺、まだ不安なんだけど……。試している内に、俺が文都に……」
今日は、側にいられるか試す為に、文都が家に来ている。
はぁ……やっぱりいい匂いがして、ソワソワする。
この間は、向井の前で服脱がせちゃったし、気を付けないと。
「先輩……」
文都が、真面目な顔で俺を見つめたまま、動きを止めた。
俺を心配しているようにも見える。
文都も不安なのかな?
所で、こいつ、俺が側にいられない理由、何だと思ってるんだろう。確信持ってる感じだけど……。
「大丈夫です。屋根があるから干渉されないと思いますし、何かあっても俺が何とかします」
「お前の屋根への信頼何なの?」
いい笑顔で、自信満々に言うな。
干渉?
「とりあえず、この距離を埋める事から始めませんか?」
うっ……。
さ、早速?
俺と文都との間に、不自然に空いた約2mの距離が、乗り越えなければいけない壁のように感じる。
こうなる前は、一緒にいる時は常にくっ付いてたのにな……。
「お互いに一歩ずつ近づいてみましょう。危うくなったら言ってください」
「う、うん……」
どうしよう、また前みたいになったら……。
いや、どの道このままじゃ、俺が耐えられない。ああなるきっかけが何か掴めれば、側にいられるかもしれない!
「いきますよ〜、一歩、二歩……」
相変わらずいい匂いはするけど、距離が近付いても変わった事はないな。
足元に向けていた視線を上げると、同じタイミングで顔を上げた文都と目が合った。
体は触れていないものの、並んで手を繋いで歩く距離。久しぶりに間近で見る、恋人の顔。
「あ……大丈夫ですか?」
「……大丈夫、かも」
俺、こんな近くに……。
う、嬉しいっ!
側にいたから、ああなった訳じゃないんだ!
文都の近くにいても、自分が正気のままでいることに安堵する。そして、それに遅れて、苛立ちが襲ってくる。
「……」
俺の10日間を返せ。
この世の終わりかと思うくらい絶望したのに……。
悲しくて涙出そう。
ていうか、ここまでくると欲が出てくるな。
「文都……」
「あっはい! すみません! やっぱり危うい感じですか?」
「いや、大丈夫なんだけど……」
文都がハッとして、俺を気遣う。
慌てた顔が愛しく思えて、じっと見つめてしまう。
「ぎゅってしたい」
「……」
なんで真剣な顔になるんだ?
緊張の糸が切れて、肩の力が抜ける。
文都から感じる甘い匂いにも、大分慣れてきた。
俺、バカだな。
こんな簡単な事から逃げてたなんて。
文都から離れて、耐えないといけないとばかり思ってた。
「でも、よかった……。俺、この距離でも大丈夫みたい!」
「……」
なんで眩しそうな顔するんだ?
「やっぱり屋根があるから……」
「いや、屋根は関係ないけど……」
文都の言う通りだった。
怖がらずに試すって、大事なんだな。
文都の背中に腕を回す。隙間なく体が触れるように、ぎゅっと抱きしめる。
「先輩!?」
「この際、どこまで大丈夫か試してみようと思って」
体に伝わってくる体温や鼓動に、温かくて柔らかな布団に包まれるような幸せを感じた。
つい、ずっとこうしていたいと思ってしまう。
「ど、どうですか? 何か変化ありますか?」
「ぎゅってできて嬉しい。あと、いい匂いがする」
「……」
ん? 文都、心拍数上がった?
心臓の音、バクバク聞こえるけど、気のせい?
あ〜それにしても、いい匂い。
甘くて、おいしそうで、ゾクゾクするような……。ゾクゾク?
「あ、でも……」
「えっ?」
頭がふわふわして、お酒に酔ったように、気が緩んだ顔になってしまう。
体の内側から熱せられているみたいに暑い。
「やっぱりダメかも……」
「は、離れますか?」
どこか、気恥ずかしさを感じるような表情と、俺の熱が移ってしまったみたいに、薄っすらと赤みのある顔。
クッ……。
俺、そんな顔させる程、文都の前で、だらしない顔を……。
は、恥ずかしい! でも……。
「待って」
目を瞑り、欲を振り払うように首を振る。
「もう逃げない。俺は戦う」
せっかく文都に触れられたのに、離れたくない!
「無理しないでくださいね」
「文都、何秒耐えられるか数えてて」
うう……でも、我慢するの辛い……。
体も熱いし、頭もふわふわして……。
集中したいけど、集中できない。
「ん……はぁ、あっ」
や、ばい……。
口の中に涎が溢れてくる……。
文都から腕を離し、両手で口元を押さえる。
あ……も、もうダメかも……!
背中がゾクゾクして……。
うう〜……っ! 文都の血が吸いたい!
「あや、とっ……離れ……! あ……あっ、だめ、もう、無理っ!」
第10.5話 ぎゅってしたい
はあ……緊張する……。
何が緊張するかって?
先輩が可愛過ぎて、天国からの接近禁止命令に逆らってしまわないか緊張する。
理人にお菓子を届けてもらった日、先輩が俺に会いに来てくれた。
「側にいると、俺の問題にお前を巻き込んでしまいそうで怖くて……」
何かに怯えるように、そう話した先輩が、か弱くてすぐに壊れてしまいそうな存在に見えて……。
あんなにスキンシップ大好きな先輩が、俺の側にいられないと言うほど、恐怖を感じていたなんて。
やっぱり、天国からの接近禁止命令に逆らうと、自傷行為に至るようにされているんですね。なんて卑劣な。
今日は、天国からの干渉を避ける方法があるのではという、俺の提案のもと、それを検証する為に、先輩の家に来ている。
ガラスのテーブルや窓辺に、花とキャンドルが飾られた広いリビング。
広いソファとふわふわのカーペット。オシャレなクッションと大きなテレビ、遊び心のあるデザインのサイドテーブルがあり、大勢の人を呼んでパーティーが楽しめそうなリビングと続く空間。
アートが飾られた壁、部屋の片隅に置かれた植物が癒しを与え、個性的な間接照明が、白を基調とした室内にアクセントを加える、調和されたインテリア。
相変わらず美しいな、先輩の家。
庶民な俺の家とは置いてあるもの全てが違う。
「文都……。俺、まだ不安なんだけど……。試している内に、俺が文都に……」
先輩が眉尻を下げて、不安そうに上目遣いを向ける。
「先輩……」
かわいいな。
いや、普段の強気でスキンシップ過剰な先輩もかわいいけど、大人しくてシュンとしてる先輩もかわいい。
そもそもしばらく会ってなかったせいもあって、終始光の粒が先輩の周りを舞っているくらい、先輩がかわいい。
あ〜〜〜俺が守ってあげたいっ。
「大丈夫です。屋根があるから干渉されないと思いますし、何かあっても俺が何とかします」
「お前の屋根への信頼何なの?」
先輩が眉間に皺を寄せ、呆れるようにため息を吐いた。
「とりあえず、この距離を埋める事から始めませんか?」
そう、俺達は今、約2mの距離を置いて話している。
ソーシャルディスタンス!
常に0mの距離にいた先輩が遠い……。
「お互いに一歩ずつ近づいてみましょう。危うくなったら言ってください」
「う、うん……」
「いきますよ〜、一歩、二歩……」
とはいえ、2mって数歩の距離だよな。
足元に向けていた視線を上げると、同じタイミングで顔を上げた先輩と目が合った。
体は触れていないものの、並んで手を繋いで歩く距離。久しぶりに間近で見る、恋人の顔。
大きくて猫のようにクリッとした、キラキラと光が反射して宝石のように見えるヘーゼルアイ。透き通る白い肌と、生まれたてのような桜色の柔らかそうなリップ。
「あ……大丈夫ですか?」
「……大丈夫、かも」
先輩の頬に、湯上がりに上気したような赤みがさす。
その瞳が、希望を見つけたようにキラッと光った。
「……」
ああ〜〜〜今すぐ天国壊滅してきていいですか? こんなかわいい先輩に触れられないなんて、これ何て拷問? 神は何故、俺に試練を与えるのか。
「文都……」
「あっはい! すみません! やっぱり危うい感じですか?」
「いや、大丈夫なんだけど……」
先輩が潤んだ瞳で俺を見上げた。
「ぎゅってしたい」
「……」
やっぱり、今すぐ天国に殴り込みに行こうかな。
「でも、よかった……。俺、この距離でも大丈夫みたい!」
「……」
先輩が満開に花が咲くように笑う。
まっまぶしいっ!
守りたい! この笑顔!
ああ〜〜ホッとしてる先輩がかわいいっ!
「やっぱり屋根があるから……」
「いや、屋根は関係ないけど……」
俺の主張をやんわりと否定しながら、先輩の腕が俺の背中に回された。ぎゅっと抱きしめられて、隙間なく体が触れる。
え?
いきなり距離0ですか?
「先輩!?」
「この際、どこまで大丈夫か試してみようと思って」
だ、大胆な……。
でもそういう所も好きです。
「ど、どうですか? 何か変化ありますか?」
「ぎゅってできて嬉しい。あと、いい匂いがする」
「……」
ぐうっ。な、何の匂いですか?
よくある柔軟剤の匂いですか?
ちなみに先輩からは、お花のようないい匂いがします。
「あ、でも……」
「えっ?」
俺に救いを求める様に向けられた顔が、先程よりも上気して、お酒に酔った時のように色っぽく見えた。目もトロンとして、涙の膜を張り、うるうるになっている。
「やっぱりダメかも……」
「は、離れますか?」
「待って」
先輩が目をギュッと瞑り、不安を振り払うように首を振る。
「もう逃げない。俺は戦う」
先輩がついに、天国に立ち向かう覚悟を!
「無理しないでくださいね」
「文都、何秒耐えられるか数えてて」
怖がり痛がりの先輩が、俺とのスキンシップの為に……。先輩、その戦う姿、すごく……。
「ん……はぁ、あっ」
俺から腕を離し、両手で口元を押さえる先輩。
少し荒い息遣いや、首筋に浮かぶ汗に、ドキドキしてしまう。
その戦う姿が、すごく……。
「あや、とっ……離れ……! あ……あっ、だめ、もう、無理っ!」
エロいですとか言えない。