プロローグⅠ
最近になってどうやらどうやらこの世の中はおかしくなってしまったらしい。
いやもしかしたらずっとそうだったのかもしれない。ただ私が気づかなかっただけで。
ずっとそう。
いつか分かり合える日が来ると信じても、いつか分かり合おうと願っても、そんな日は来ないのだろうか。
私が世界を見てもその空が彼方まで広がるように、そんな願いもまた広大な大地をただ霧散し消えていってしまう。
こんな、"スキル"という神の天啓にのみ縋った盲信的で盲目的な人類の姿など誰が望んだんだろう。
こんな世界など間違っているんだと叫んでやりたいくらいに。
だから、私はいつかこの世界に証明して見せるんだ。
§
「おいおい、ありゃあとんだ上玉じゃねぇか」
「おっ、マジじゃん。それにありゃ本物だな」
「しかも新顔じゃねぇか?よくこんな迷宮くらいしか取り柄のねぇ街に来たもんだぜ」
「そんな華奢なじゃ、ゴブリン相手でも出来ねぇーぞぉー!」
「「「ちげぇねぇ!」」」
私を嘲笑う狂騒がやけに耳に残った。
日中の酒場であるにも関わらず、どうやらすでに出来上がっているらしい。
そんな奴らを一瞥したのち、私は当初の目的通りに机の間を抜けていく。
昼間っから酒に溺れる様に呆れながら。
「お?なんだぁ?……もしかしてアイツもマスター目当てかよ」
「げ、なんでい。つまんねーの」
「あ?マスター目当てってなんだよ?ここのマスターにゃ、なんかあるってのか?」
私はそんな小言に耳を傾けながら、マスターが来るまでの間をお冷を待って過ごす。
どうやらあの四人組のうちの一人、中肉中背くらいの男はここのマスターの持つ役割というのを知らないらしい。
「テメェしらねぇのか!?」
「あ、あぁ。いい店あっからっつーからズミについてきたんだが……」
「ばっかやろ!冒険者なら天の柱のオオグマ屋って言う異名をしっとかねぇとあぶねぇぞ!?」
天の柱のオオグマ屋?
ここら辺ではそう呼ばれてるのかしら。
確かこの居酒屋の名前は天の導の小熊亭だったはず。
「ここだけの話だぞ?絶対!ぜぇったいにマスターにゃ知られちゃならねぇ異名だ」
彼らはそういうと丸いテーブルを囲む体を寄せ合いながら小言で語り合っていた。
時折彼らのうちの一人から声にならない悲鳴が聞こえるのは気のせいではないんだろう。
それから少し経って耳を傾けるのもこの辺にしておこうと思ったところで「ゴスロリ巨漢!?」という不吉な単語が酒場内に響いた。
咄嗟にそれを発した男の口を押さえに行く他の三人の姿はひどく滑稽そうだ。
ただそれももう遅かったとでもいうように、テーブルを囲む男たちの震え上がる音もまた酒場に響き渡った。
どうやら話し合いに夢中になっているあまりその強烈な存在感に気づいていなかったらしい。
というか私も気づいてなかった……。
あ、あんなにすごいとは……。
話を聞いてはいたけど実際に見てみると随分と印象が違うわね……。
いつのまにか男たちの囲むテーブルの後ろにはブランケットを抱えたマスターの姿があった。
「なにか、聞き捨てならないことが聞こえたようねぇ?何か聞いてない?坊やたち」
「「「「ヒィッ」」」」
先ほどまで飲んだくれ、顔を好調させていたむさ苦しい男たちがいつのまにかその顔面を白く染め上げてしまっていた。
そしてその硬直もさることながら、一瞬にも満たないうちに勘定を済ませたのちに「すみませんでしたぁ!!」と勢いよく酒場から立ち去ってしまった。
その一連の動作はまるで、ボスの威を借りたゴブリンのようだった。
はぁ、結局話に聞く通り、人っ子一人いない状態になったってわけね。
彼女のいう通り、昼間には確かにこうなる傾向が多いみたい。
むしろ従業員一人のみの酒場にマスターが常駐してない時点で昼に経営する気はないみたいだけど。
私はそんなことを思いながら、どうやらこの酒場唯一の従業員らしい老人の入れてくれたお冷を飲み干す。
せめて何か頼んだ方がいいかとも思ったが、冷静になってみると私が飲めるものがここには少なかった。
特にここらの飲み物は特に美味しくもないが安いのが売り、というのを聞いてから特にその気が強まったものだ。
「で、そこのお嬢さんはなんの御用かしら?」
そのあまりある巨体をうねらせ、マスターは私の背後を超えていく。
間近でみると余計にその違和感が遺憾なく発揮されるているのがよくわかる。
特にその筋骨隆々な腕にギチギチと音を鳴らすブランケットはよくお似合いになってない。
わざわざ腕にかける必要があったのかしら、と思ったところでマスターは所定の位置とでもいうように正面のカウンターに収まった。
「で、なんの御用かしら?」
「あ、すみません……」
「?」
マスターはその無精髭の生えた顔をにこやかに歪めたものだから咄嗟に謝ってしまった。
彼女はつかみが肝心と言ってたけど……確かにこれはつかみで失敗するのも仕方ない気がするわね。
「まずは自己紹介を。私はフィリア、ただのフィリアでございます」
「あら、いい名前じゃないの」
「どうも」
マスターは少し思案したと思うとすぐに察したかのように言う。
「自己紹介ということは、そういうこと、ね」
「えぇ」
「最近は特に多いわねぇ。そんなに魅力があるものでもないんだけどねぇ」
「持っているだけで十分意味があると思いますが」
「こういうのは地道な実戦が身を結んで初めて得られる資格なのよ、本来は」
マスターは本来は、という語を強く嗜めるようにして言った。
マスターのいうようにこの方法は色々と段階を飛び越えた裏道のようなものだ。
彼女も言っていたが、それゆえに危険がこれまで以上につきまといかねない。
「とある情報筋からここのマスターが推薦状を見出す権利を持っていると聞きました」
「あら、随分私も有名になったものね。それなら」
わかっているわね?というようにマスターはそこで言葉をとぎる。
「えぇもちろん」
私はそう言うと、慣れた動作で懐にしまう古典的な杖を取り出しカウンターに置いてみせる。
「これは、何かしら?」
「もちろん、必要なものは知っています。ただ私にはそのどれも明かす気がありませんので」
マスターに推薦状を書いてもらうのに必要なもののうち、スキルの鑑定証があるのは知っていた。
彼女もそこで大まかな資格を判断すると言っていた。
ただし、そうでない方法でも認めてもらうことは可能だということもまた。
「へぇ〜、あなた。その端正な見た目の割に強情、それも自信家のようねぇ」
「そういうわけではありませんよ。ただ認めてもらえるだけの特異性を見せることは可能だと思います」
マスターはどこか笑ったようにして腰を据えると、瞬く間に私の飲み干してしまった空のコップを持って立ち上がる。
「つまりは私とやるってことね」
「えぇ」
その一言で十分だった。
その後しばらくの支度の時間をマスターが取った後、この居酒屋の裏手にあるちょっとした広場に移動した。
二人の人間が模擬戦をするには十分すぎるほどの広さも誇っている。
「あなたもわかってるように、ここで私にその実力を認めさせたなら。私が推薦状をしたためてもいいわよ」
「どうも」
マスターはさっきまでのゴスロリ衣装ではなく、上半身をタンクトップに着替え、戦闘するには十分な格好を整えている。
さっきまでの衣装の印象によるミスマッチ感が無くなったと考えれば容姿としての違和感は減ったが、未だにその口調とのギャップには耐え難い。
本当にこの人がAクラス等級の力を持っていると言うの……?
確かに体つきやその筋肉のつき方は常人とは一線を画しているけど。
このスキル至上主義の現代において、男女や体格の差異など誤差に過ぎなくなっているという背景もある。
いくら体格を鍛えたところで、最低のスキル等級であるF級の肉体強化系のスキルを所有しているだけで、その差に意味がなくなるとも言われているほどだ。
そんな中でこの体格にAクラス等級のスキル持ち。
相当な実践経験があると言うことかしら。
「一応ルールは確認しておきましょ」
「はい」
マスターはそれに微笑んだ後、続けた。
「互いに殺傷性が高い攻撃はしないこと、広域魔法を使う場合は範囲を最低レベルに抑えること、地形はなるべく荒らさないように善処しましょう」
マスターは変わらずニヤニヤと笑っているのはこれまでのことあってのものなのだろう。
なにせ今立ってるこの空き地も地面はガタガタだ。
一体どんな魔法を打てばここまで荒れるのかしら。
私はそんなことに思いを馳せながら、軽く地面を踏みしめる。
「そういえば、あなたは私のこと、それなりに知ってるって考えていいのかしら?フィリアちゃん」
「Aクラス等級のスキル保持者であり、この辺一帯の統率に貢献したとだけ」
「あら、嬉しいわぁ〜。そこまで知ってくれてるなんて」
彼女はここ数年での魔族側の侵攻の防衛に一躍買ったとも聞いている。
国内最強クラスと謳われるA級の中でも中堅を担ってるほどの強さとも。
だからこそ余計に気になるところ。
一体どんなスキルを持っているのか。
必要とあらばこれだけでの対処はできないかもしれない。
「でもちょっと残念。天使の制裁の方も知っといて欲しかったわぁ」
「エンジェルズ……フィ?」
「天使の制裁。私のスキルの名よ」
「スキル名……ですか?」
そんな滑稽無稽なスキル名など聞いたことがない。
「そ。ま、一般的には腕力強化っていうF級にもある凡庸なスキルなのだけどねぇ。でもそんなの華がないじゃない?」
腕力強化……。
確かに言ってしまえば凡庸なスキル……ではある。
でも見方を変えれば、凡庸なはずの腕力強化のスキルがAクラス等級にまで高いなんて。
少なくとも私はこれまでみたことがない。
ただ……
「……なぜわざわざ手の内を晒したのですか?」
「ーーそりゃ、私が試す側だから、よ」
「なるほど。マスターも随分自信があるようで」
「それなりには、ね」
まぁ、そのほうがいいかもしれない。
「じゃあそろそろやりましょ」
「……そうですね」
マスターはそう言って、これまでの女性らしい所作の一切を感じさせずに首を捻って見せた。
私はそんなマスターにただ、と注釈を入れるようにして杖を構える。
「私の力はこれなので是非によろしくお願いいたします」
「……?!……あなた、もしかして古式魔法で戦おうとしてるのかしら……?」
古式魔法。
その名の通り、現代ではすでに過去のものとさえなりつつある、過去の産物。
魔法の発生に魔石や詠唱、魔法式を媒介にしなければならない、スキルが根本となる現代魔法と比べれば劣化版の魔法だ。
詠唱の隙は狩られやすく、魔法式の展開で魔法の発生タイミングが読まれやすい。
そんな古式に比べ、現代魔法は詠唱も魔法式の展開も必要とせず、即時発射が可能ときている。
こんなスキル至上主義の現代において魔法とはそれすなわち、スキルによる魔法使用である現代魔法が主流なのである。
この杖だってそれなりの魔石が内蔵され、さらに魔法式を付与していたりもする。
古式魔法を使う上で最重要なものの一つでもある。
だからこそマスターも一目見て察するに難くないのだろう。
「……あなたの言った特異性というのがこのこと、なのね?」
「まぁ、そういうことになりますね」
「……」
マスターはしばしの沈黙を決めた後、私への目配せをする。
その視線には本気?、という疑問を孕ませて。
「安心してください。マスターの思う期待は裏切れるほどには」
自信も、実力もあると思っている。
「……はぁ。全く、なんでこうも今年はおかしな子が多いのかしら」
「?」
「気にしないで。……あなたがそこまで言うなら私も受けて立ちましょう。期待を裏切れると良いわね、フィリアちゃん」
マスターはそうしてウインクして見せてすぐ、この戦いの火蓋は切って落とされた。