不死の呪い
草木も眠る丑三つ時。多くの人間が眠りにつき、夜路が月明かり以外の光を失った折。怪物は闇夜に紛れて忍び込み、生なる者を永遠の闇へと誘う。
荒唐無稽な与太話だが、界隈ではそれなりに有名な言い伝えである。
「……バカみたい」
いつものようにそんな小話を思い出しながらも、標的の寝室に足を踏み入れた少女は宵闇に親しんだ目を凝らす。
目の前に広がるのは、これから起こる出来事を象徴するかのように殺風景な空間だった。加えて、生活感のかけらもない部屋だった。
壁にかけられた時計の針はあらぬ方向を指し、その下に置かれた、所々に虫の喰った跡の残るカレンダーは何十年も前の日付から破られた形跡もない。
また、月明かり以外に一切の光源もないのにもかかわらず肉眼で見渡せるほどに狭い室内では家具らしい物の一つすら確認することはできず、あるのは床全体を灰色に彩る埃のカーペットくらいのものだろうか。
もっとも、ここ最近は世界が灰色に見えなかった試しはないのだが。
「……見つけた」
心の中で呟かれた冗句を仕舞い込むように呟き、ある一点を睨み付ける。
視線の先にあったのは、一面が埃の間の中央において、そこが寝室であることを象徴するかのように鎮座する簡素な寝具だった。
そして薄い毛布から顔を出す、無造作に散らばった錠剤のようなもの。それを握りしめる、細く弱々しい人間の腕。
それらと事前に入手した人相書きとを月明かりにかざすように見比べ、早速仕事に取り掛かる。
『ボロいね。もちろん二つの意味で……って、いたいいたいっ!』
取り掛かろうとして、そのまま額に手を当てる。そして自分の頭にだけ煩わしく響く声をを咎めるように上下に揺する。
『ちょっと、コインは大事にしないとろくな死に方しないよ? 銅貨であっても、白金貨であっても』
しかし、自分の意に反して大きくなるその声に、昔の出来事を蒸し返すような皮肉により一層、眉間の皺を深くする。何か一言言ってやりたいところだが、少しは時と場合を考えてはくれないかという心からの願いは、とうの昔に無意味だと痛感していたのだった。
些細な物音が文字通り命取りとなる殺しの場に置いて似つかわしくない問答をしていたミアとユーリだったが、その間もカーテンから覗く夜の帳が相変わらずの静けさを保っていたのは流石と言うべきか。
まったく、小さいながらも忌々しい相棒である。と、ミアは声もなく洩らす。
そして、もし自分が堅気として真っ当に生きていれば彼に出会うことはなかったと内心で嘆息しつつ、すぐにそんな夢物語を切って捨てた。
もとより、彼女には選べなかったのだ。生業も、育ち方も、自分の生き方さえも。そして、それが自分にはどうしようもないことだったということは、物心がついた時には生き方、もとい、人の殺し方と共に骨の髄まで刻み込まれていた。
「……」
夢ならば切って捨てたとしても血振りをくれなくて済む、と苦笑する彼女は、気が付いているのだろうか。
その鋭い瞳の切っ先に、自分にはどうしようもない後悔の光が滲んでいることに。風前の灯火の如くか弱いその光はどれだけ血振をくれても、どれだけ風に煽られても。両の目に焼き付いて消えることはないということに。
「う……」
ふと、ごそりという音が鼓膜に届く。濡れ仕事に慣れたミアの細腕が一人の人間の命を刈り取ろうと動き出したのは、それとほぼ同時だった。
音を立てず、しかしてそれ自体が音だと錯覚してしまうほどに素早い動作でミアは標的の上に馬乗りになり、手綱を握るかの如くその首筋に手をかける。
「あ、あんたらは……かは……」
そして、それにより上がった弱々しい声とともに宵闇が静寂から解き放たれ、
「……あたしはミア。冥土の土産に教えてあげるから、真っ直ぐ天国に届けなさいよ」
というお決まりの殺し文句。そして、それに次いで響いた、命を断ち切らんとする音と共に濁った呻き声が夜空に滲み、溶け込むように消えていった。