本当のターゲット4
短剣を振り抜いたリーシャはミアが回避したことに目を見開くも、その攻撃を中断することはなかった。
「く……っ」
そして、そのままの勢いで短剣を振るうリーシャと守護者は切り結び、一瞬だけ拮抗した後にリーシャの短剣が弾き飛ばされる。同時。周りの窓ガラスが大きな音を立てて割れ、あたりにその破片が飛び散った。
「吾輩もいるぞ、守護者よ!」
ついで、殺しの現場に青年の声が意気揚々と、そして高らかに響く。
周囲の視線の全てをその身に集めながらの登場。飛び散った窓ガラスによって乱反射した光に紛れ、命を盗む大怪盗は漸く殺しの現場に姿を現した。
勢いもそのままに、命を盗む大怪盗は侵入した守護者へと一直線に接近し、ステッキに仕込まれた剣を抜いて斬りかかる。
「……ハアッ!」
どちらが放ったとも取れない勇ましい掛け声が響き、直後、聞いたこともないような甲高い音がその場にいる全員の耳を擘いた。
「ちょっとあんた、どういうことよ……っ!」
リーシャは状況を理解できないでいるミアの問いに、それを遮るように拳で応える。
「……」
面食らったように驚いたミアの相貌に、まずは裏拳。そして、ミアが後ろにのけぞって回避するのに合わせて踏み込んで距離を詰め、勢いもそのままに、ミアの腹部に右の拳を打ち込んだ。
「かは……」
今度はミアの体がくの字に折れ曲がり、肺腑から空気が漏れ出ていくのを覚える。ついで、視界が赤く染まる。
「ふっ!」
そんな唐突の襲撃に混乱する暇もなく、リーシャの拳はミアに向かって途切れることなく繰り出される。
『左で二回と本命の右! 上段!』
リーシャはユーリの伝えた通りに左手で一回。そして、ミアが首を捻って避けたのを確認し、距離を調整して、黒手袋に包まれた拳をもう一度繰り出した。ミアは体勢を立て直しつつそれらを首から上だけ捻るようにして回避する。
一方のリーシャは身体中の溜めを使い、渾身の一撃を繰り出すためにもう一歩踏み込み、三度目の拳を繰り出す。
「うわ!」
しかし、その拳が伸び切ってミアの顔面に直撃する直前。ミアは体を大きく左に傾けるようにしてその右手から逃れつつ、空いた右手で手首を掴む。
そのまま体を入れ替え、右手で手首を。左手でその肩を押さえようにして拘束し、そのまま地面に押し付けた。
「うっ……」
ミアはそのまま、あの日カイに手をかけたときのようにリーシャの背中にまたがり、その動きを完全に抑えつけることに成功する。こうなれば、もう拳を繰り出すことはできないだろう。
リーシャの頭上から、睨み付けるようにして問いかける。
「……最初から、これがシナリオだったってわけ?」
「……」
ミアの問いかけに、リーシャは押さえつけられた肩の痛みを抑えるように、悔しがるように歯を食いしばり、振り向いてミアを睨み付ける。その間、回廊には守護者と命を盗む大怪盗の戦いによる激しい剣戟音が途切れることなく響いていた。
「メアが言ってたのは、こういうことだったのね……」
ミアはこの不可解な状況について考えを巡らせたあと、得心したと言わんばかりに、ため息まじりに呟く。
思い起こせば、最初から違和感は多かった。
まず、自分への攻撃を相手に跳ね返す男、すなわちカイを殺す依頼が出されたことだ。
冷静に考えればおかしい話である。長年依頼を管理するバーテンが、三回もの失敗を受けてその原因を調査しないはずがないだろう。そして、殺せない男を殺す依頼などという人的資源の損失を彼が見過ごすはずもない。
次に、翌日バーテンと共に屋敷に現れた暗殺者。バーテンが依頼失敗の原因を調査しているとすれば、その情報は事前に共有されているはずである。
そして、殺せない男をどうにかしたければ、必要なのは腕のいい暗殺者ではなくカイを拘束する縄か何かだろう。カイを拘束してしまった後に実験なりなんなりして殺す方法を見つけるか、牢にでも入れて放置していればいい話だ。
加えて、暗殺者組合が場末の組合と結託することは本来あり得ない。であれば、先日の依頼は暗殺者組合によるものと考えるのが自然だろう。暗殺者とは組合で出された依頼しか請け負わない集団であるからして。
最後に、何かをほのめかすようなメアの発言。
依頼はまだ終わっていない。最初はいつもの言葉遊びだろうと受け流していたが、解釈を変え、他の不可解な点と結びつければ、次第にある結論が浮かんでくる。
「本当のターゲットはカイじゃなくて、あたしだったってことね……っ!」
そう考えれば、全ての辻妻が合う。
暗殺者組合からミアに依頼が出され、本来はそこでミアがカイを殺そうとし、逆に命を落とすはずだったのだ。
そして、ミアが死んでいないことを知った組合が急いで暗殺者を派遣したと言ったところだろうか。
暗殺者組合から依頼があったことを不審に思ったバーテンがあえてミアではなく他の殺し屋を派遣したか、ミアに警戒させるために三人が失敗した依頼だという嘘を伝えたのかは想像するしかない。ただ依頼額が十分の一になっていることから、ミアが自発的に依頼を請け負わないようにする配慮とも取れる。
暗殺者と共に現れたのは、ミアという稼ぎ頭が死なないために、目付役としてついて行ったからだろう。だとすれば、バーテンが暗殺者を制止しようとしたのにも納得がいく。
「そして、さっきの奇襲であたしを殺して、あたしとの戦闘で消耗した守護者を『命を盗む大怪盗』と一緒に叩く。確かに、完璧なシナリオだわ」
あくまで自分の持っている情報の中から辻妻が合うように考えたらそうなるというだけで、確証はない。ただ、今起こった襲撃が何よりの証拠であることに変わりはない。
「……殺しなよ、早く。それとも、大事なものを背負ってるから女子供は殺せないってわけ?」
震えまじりにつぶやかれたリーシャの言葉に、ミアは応えない。いつもならナイフでしか殺しをしないことにしてるだの、女は捨てたのではなかったのか、だのと軽口を並べるところである。しかし、リーシャの小さな震えは、カイにまたがったときには感じなかった柔らかな体温は。そして、
「……」
その頬を流れる一筋の涙は、それを止まらせるのに十分だった。
もとより、ミアが依頼以外で殺しをした経験は少ない。相手が少女だというのならなおのこと、まだ、覚悟も準備もできていないのだった。
加えて、自分と境遇の似た少女である。生まれる場所や時期が違えば、同業者ではない何かになる道もあったのだろうか。
『……ミア、避けて!』
そんなことを考えて、ふと、相棒の叫びが頭に響く。
それと同時。先日、守護者の襲撃を受けた時のような嫌な殺気が首筋を刺激したのを感じ、ミアは慌ててリーシャを拘束から解き、転がるようにして離れる。
直後、風を纏った白い影がリーシャのスカーフを片手で乱暴に掴み、拾い上げるようにして、引きずるようにして駆け抜けて行った。
「ぐえ、締まる……」
「飛ばないだけましであろう! 吾輩の管理下で貴様が死んだとなれば、吾輩の首も危ういからな。では、また会おう、月夜の怪物。そして守護者よ!」
そう残して、命を盗む大怪盗は侵入する際に破壊した窓から、少し欠けた明月に重なるように飛び立って行ったのだった。そんな怪盗の後についていくように、その軌跡をなぞるように月明かりに煌めいていたのは、最初に侵入したときに砕けて散らばった窓ガラスではなく。
「……月夜の怪物も、女の涙には弱いということか」
そんな美しさと情けなさの交錯する光景に守護者は肩を竦め、皮肉混じりに呟いた。その佇まいからは、先ほどまでの殺気は微塵も感じられないように見える。
「そんなんじゃないわよ……それで、やるの?」
ミアは、守護者に向き直り、その言葉を否定しつつ問う。守護者が自分を狙っている以上、戦闘は避けられないだろう。ミアは懐に手を伸ばし、そのまま腰を落として構え、戦闘の準備を整える。
しかし、それを見た守護者の返答は意外なものだった。
「いや。もとより、俺は貴様を殺すためにここに来たわけではない」
「……どういうこと?」
「用がある、と言ったはずだが」
ミアは、先ほどから不可解なことを言う守護者を胡乱げに見つめる。
用がある。そう守護者は言ったが、そもそも一番最初に襲撃してきたのは守護者である。であれば、ミアを殺すために守護者たちが動き始めたと考える方が自然だった。
だが、守護者の口から伝えられたのは、想像もしない事実だった。
「……我々の主が貴様のことを買っていてな。俺はスカウトに繰り出されたというわけだ」
「じゃあ、最初からそう言えばよかったじゃない。なんでいきなり襲ってくるのよ」
ミアの嫌味に、守護者は困惑げな表情を浮かべる。が、すぐに平素通りの表情を取り戻し端的に説明する。
「……すでに酒場へ何度か手紙を送っていたはずだが? まあ、雑魚と共に仕事をするなど許容できんからな。直接交渉に行くのと同時に、少しばかり貴様の実力を試させてもらったということだ」
すでに酒場に手紙が送られていたということは、またもやバーテンが裏で糸を引いていたということだろうか。そして、いつまで経っても返答をよこさないことにしびれを切らした主とやらが目の前の守護者に命令を出したという。ミアはその旨を含んだ守護者の発言に得心したように呟く。
「……なるほどね。つまり、あたしに守護者になれってこと?」
「強制はしない。本気で守護者として世界を変える気概のない奴はこちらがお断りだからな」
守護者はそう言って首を振り、腕を組んで続ける。
「だが、今の状況を変えたいのだろう? この停滞した世界はそう簡単に変わることはない。であれば、俺たちと共に、守護者としてこの腐った世界を変えようではないか。貴様も、人間に恨まれる立場ではなく、人間を不条理から開放する立場になるのだ」
「……」
守護者の言に、ミアは顎に手を当てて考え込む姿勢を見せる。
確かに、それも選択肢としてありだろう。そもそも、殺し屋という生き方がなければミアは殺しをしていることもなかったはずである。そして、殺し屋がいなければミアの両親も。
何より、守護者として世界そのもののあり方を変える。それは正しく、自らの手で、自らの力で自由を掴もうとする行為に他ならない。それは今までの数ある選択肢の中でも、最もミアの信条に合致していると言えた。
「……考えておくわ」
しかし、いきなりの提案に裏がないとも限らない。ましてや、先ほどまで命をかけた文字通りの殺し合いをしていたのだ。暗殺者組合がそうだったように、その提案自体が罠である可能性も否定できない。そんな状況でミアが慎重になるのも、ある意味当然だった。
「……そうか。良い報せを待っている」
守護者は、結局決断を保留したミアに背中を向け、厳かな動作で歩き出したのだった。
『……で、どうするの? これから』
「あたしはもう、疲れたわ。何も考えられない」
ユーリの問いかけに、納得のいく答えが返ることはなかった。そして、それに嫌味や皮肉が返ることも。
『帰ろっか』
「……そうね。初めて、帰るところがあって良かったって思ったわ」
そう言ってミアはため息をつき、守護者が帰って行った道をなぞるように屋敷へと歩き出したのだった。
久しぶりに長いエピソードです。
どこで区切ればいいかわからなかったので。
お読みいただきありがとうございました。




