命を盗む大怪盗3
ところ変わって、民を守る騎士団達の本部。その簡素な木造りの回廊の突き当たり。
そこに所属する、所々をきらびやかな鎧に包まれた騎士団の青年は副団長室の前であっても憂鬱を隠そうともしなかった。
「なんのためにこんな面倒なことを……」
いや、だからというべきだろうか。
文字通り身を削るほどに過酷な入団試験に合格して早一年。齢にして十六。異例の速さで出世街道を駆け上っていた彼は、副団長室の扉を目の前にしてその歩みを止めつつあった。
騎士団。殺し屋の恐怖から遍くを守る正義の剣。聞こえはいいが、実際はいつ起こるかもわからない襲撃に神経を張り巡らせ続ける貧乏くじを引いたものたちである。もっとも、自分以外はそのことに気付いてもいないのだろうが。
それは彼の奢りを反映したかのように傲慢な考え方だったが、他の騎士団員が同じ人間に思えない彼からすれば至極当然の考えでもあった。
「はあ……」
一つ、大きなため息。そして、意を決したように扉をたたき、騎士団にふさわしい勇しげな表情を顔全体に貼り付ける。
「失礼いたします」
貼り付けて、ドアノブに手をかけ勢いよく開け放つ。
たった一年で副団長の側近。たしかに快挙とも呼べる異例の実績だろう。実際、彼は確かな剣の才能に加え、武術や体術、そして政に関する知識を自由に手に入れることができる環境を生まれつき有していた。要は、やんごとなき立場ということだ。
実際はそう広くない領地を運営するだけで手一杯の木端貴族。その三男でしかないのだが、少なくとも本人はそう思っている。
それこそ、懐の封筒の差出人である『命を盗む大怪盗』であっても返り討ちにできるだろう。何せ、自分は優秀なのだから。それは最近巷を騒がしている『月夜の怪物』であっても同じこと。
自分が出世した暁には、騎士団総出で殺し屋を叩き、この世から裏社会を抹消して見せる。
それでこそ生まれてきた意味もあろうというものだ。世界中の人々から感謝され、ゆくは帝か王族か。どちらにせよ、自分にふさわしい生き方だろう。生まれたからには、自分にふさわしい生き方をするべきだ。
「……副団長。ご報告が」
「言われんでも分かっている! 何をしている!手紙をおいたらさっさと下がれ!」
そんな自分が、どうして、こうも愚鈍で頭足らずな男に顎で使われなければならないというのだろうか。自分ならまだしも、たかが一人の殺し屋相手に怯えることしかできない能無しに、国を守る剣であり盾である騎士団の副団長が務まるわけがない。
「は、はい! 失礼しました!」
先ほどから様々な恨み言が青年の頭をよぎるが、それは言っても誰も得しない類の言葉だ。よって、今恨むべきは恨み節たりうる言葉の数々。目の前の阿呆は恨むにも値しない。そう自分を納得させて青年はすごすごと引き下がり、扉の向こうへと消える。
絶対にここからのし上がる。強くそう決意しながら……。
*
「……ご苦労だったな」
扉の開閉音が寂しげに響いた副団長室。その中央に設えられた執務机の上に置かれた封筒を確かめ、副団長は顎髭をさすりながらため息まじりにこぼす。
全く、哀れな男である。自己顕示欲から来る不器用さを隠し切れてもいない。いや、隠そうとしないからこそ不器用なのだろうか。
そこまで考えたところで、副団長は目の前から消えた側近への興味を失った。
今は手紙の内容を確認し、しかるべき人材を配備するのが最優先だ。そして、先ほどの哀れな男はしかるべき人材ではないだろう。まだ手紙の中身は確認していないが、それだけは確かだった。騎士団であっても後方勤務がお似合いだ。
「……私のようにな」
副団長は白髪混じりの頭をかいて俯く。
確かに、書類上の優秀さという面ではあの男に勝るものはそう多くないだろう。しかし、酸いも甘いも、表も裏も。使い分けるからこそ引き立ち、成り立つ。それを両方表にしたところで矛盾が生まれるだけ。
それこそ、コインが片面しか向かないように。
その矛盾が、騎士として成り上がることを夢みながらも他の騎士団員を見下す同族嫌悪とはなんとも救い難い。
「……表の人間だからこそ裏がある、か」
なんと痛烈な皮肉だろうか。しかし、そう考えれば納得がいく。
この世界では殺し屋に狙われないように、目立たないように自分の実力や権力を隠す必要がある。その過程で隠してきたものは確かに裏面と言えるだろう。
あの男が他人を見下すのも、ある意味当然というべきか。
何せ、自分の裏面と他人の表面。自分の隠すべき長所と他人のさらけ出すべき短所を比べているのだ。それは心地の良い優越感を味わえただろう。
いや、何も思うまい。これでいいのだ。これで世界はうまく回っている。なれば、回り続ける歯車の一つとして自分の責務を全うするのみ。
表社会は裏とは違い、そうして回っているのだから。
「拝啓、副団長殿。命を盗む大怪盗より」
封をとった封筒の中身を途中まで意味もなく読み上げ、ため息をつく。
毎週のように送られてくる手紙は、例外なく不吉な内容を知らせるものだった。やれあいつを殺すからせいぜい用心しろだの、あいつの首を取りに行くから首を洗って待っておけだの。
なぜわざわざ予告をするのか。それは側近である大馬鹿と同じだろう。
要は、自分の威を示したいのだ。あえて予告をし、大勢の騎士や傭兵を跳ね除けて目標の命だけを奪ってさっていく。ある意味で災害とも呼べる存在。そんな怪物を何人も擁す裏社会とは、なんとも空恐ろしい。
しかし、威を示さなければならないのは騎士団であっても同じこと。本来は手紙の内容など無視したいところである。たった一人の人間のために何人もの人間を動かすなど、時間と人的資源の圧倒的損失。非合理極まりない。
本来騎士団の本文は威を示すことであり、高々一人の殺し屋を追いかけることではない。が、たった一人の殺し屋に翻弄されては、騎士団の沽券に関わるのも事実だった。
——それも今更だがな。
差出人である暗殺者、『命を盗む大怪盗』とはすでに文通相手になりつつある。それはつまり、幾度も手紙をやりとりし、また幾度も任務。防衛対象を守ることに騎士団が失敗していることを指す。
守られるべき民衆からすれば体たらくこの上ない事態だろうが、決して騎士団が無能なわけではない。
それほどまでに、殺し屋の中でも暗殺者、とりわけ『命を盗む大怪盗』が優秀なのだ。
暗殺者に似つかわしくない白マントに白いシルクハット。そして、同様に白い手袋に白いステッキを携えたその姿は、まさに御伽話に出てくる類の大怪盗だろう。マントをはためかせて宙を舞い、瞬きの間に首を飛ばす。そして、それらが誇張表現ではないということはこの目で何度も見て確認している。
「さて、そんな怪物相手にどうしたものか」
結論から言うと、どうしようもない。暗殺者組合の所在は謎に包まれており、また、命を盗む大怪盗に勝る力量がある存在は、記憶している限り、表舞台にはほとんど存在しない。
気づいた時には防衛対象の命だけを掻っ攫っていくその様は、怪盗というより誘拐犯だろうか。まったく、誘拐犯が快楽のために殺しをする愉快犯とは手のつけようもない。と心の中で冗句を漏らしたところで……。
「……心配はいらん」
「……っ! 何者だ!」
突如として背後からかけられた重々しい声に立ち上がって振り向き、副団長は腰の剣に手を掛けて声を上げた。が、背後に佇む無造作な長髪を携えた男は、その必要はないとばかりにこちらに手をかざす。
灰色の薄汚れたマントを羽織り、背中には両手で抱え切れるかも怪しいほどの大きさの禍々しい大剣を携えたその姿は、何度も間近で目にした死神達よりもなお鋭い重圧を放っている。
それをみて、否、それに原始的な恐怖を覚えて副団長は構えを解かざるを得なかった。身体中、特に背中のあたりから嫌な汗を流しながらも、副団長は男を刺激しないように続く言葉を待つ。
「守護者と呼んでいるんだったな、貴様らは」
「……守護者、だと? 裏の手勢がなぜここに」
漸く男の口から告げられた言葉に、副団長は息を飲んだ。守護者。単体だけなら暗殺者よりも恐るべき存在。本来なら目指す場所は同じはずの、正義のために裏で活動する少数精鋭の戦闘部隊。それが表の中枢に姿を現すなどあってはならないことだった。
「懇意にしている占い師から言伝があってな。どうやら、今日の夕刻、月夜の怪物がここに乗り込んでくるという。毎度の如く法外な情報料を要求されたが、その分信用できる情報だ」
「なん……だと……?」
守護者の口から告げられたのは、またもや驚くべき事実だった。
命を盗む大怪盗。守護者。そして月夜の怪物。本来ならいずれも最優先で警戒すべき裏の強者達が一人の重要人物を殺すべく手を組んだとすれば、それは数百の兵を動かす理由にすらなりうるだろう。
目の前に自分を殺しうる強者がいるのにもかかわらず、部下にどういった指令を出すかを考え始めてしまったのは元来の、そしてこの世界では損にしかならない生真面目な性格ゆえだろうか。
「その手紙」
「……あ、ああ。これがどうした」
守護者の言葉に、そんな思考を中断して相槌を打つ。そして、手紙から意識を離してしまっていたことを思い出し、慌てて、握り締めてしまっていたそれを再び開く。かなり深い皺が幾本も寄っているが、読めなくはないといったところだ。
「最後まで読んでみるといい。今、貴様がどんな状況にあるかわかるだろう」
「……私が? どういうことだ」
確かに、騎士団の失敗は団長ではなく、副団長である自分に責任として重くのしかかってくる。もとよりそれが役目であるからして、今更疑問に思うことはないが……。
そんなことを思いながら、開いた手紙の内容が目に入ると同時。その目を大きく見開いて驚愕する。
そのくすんだ目に写っていたのは、それでも反応として足りないほど衝撃的な一文だった。
『今宵、月夜の怪物と共に貴様の命を頂戴する。せいぜい、大勢の兵を集めて待っていることだな』
初めて守護者が描写されましたね。そして、命を盗む大怪盗とは一体何者なのか。次回もお楽しみに。
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