初めてのおつかい
たとえ昼間とはいえ、仮にも裏の領域である商会ナイトメアで放心してしまうことがミアにあるだろうか。いや、ない。あったとすれば、尋常ならざる事情があることだろう。
それが、今日という一日だった。
「……それで、ご用件は」
そんな事情を知ってか知らずか。メアは手元の帳簿から目を離して顔を上げる。
「……そこの馬鹿に聞きなさいよ」
「え、人の話聞いてなかったの? 買い物だけど?」
メアの言葉に目を覚まし、挑発するようなリーシャの言葉が鼻につく。どうやら夢の中に、過去の出来事に浸っている暇はないらしい。
胡乱げに絡みつく二つの視線に、ミアはなんでもないとばかりに、視線を振り払うように頭を振る。
「ここに買い物に来るってことは依頼でしょ。どこの大馬鹿からお呼びがかかったのよ」
頭を振り、わざわざ彼女が呼び出された理由であろう仕事の話について尋ねる。
買い物とはいえ、商会ナイトメアは裏の領域。子供のお使いとは訳が違う。そして、そんな場所で殺し屋が買い物をするのであれば、情報か仕事道具か、もしくは値切り交渉の末の些細な喧嘩くらいのものだろう。
「悪いけど、組合ではその辺開示されてないんだ。わかってるのはターゲットとその身辺情報だけ。まあ、今回はその身辺情報すら自分たちで集める必要があるんだけど」
「不親切ね。暗殺者がノルマに必死になるのもわかる気がするわ」
ミアの問いかけに肩を竦めるリーシャ。肯定とも否定とも取れない反応をするのは、逃げ道を用意するためだろうか。その意図はどうであれ、会話が噛み合わないことにミアは一抹の苛立ちを覚える。
そんな二人の様子を確認したように、メアは大仰に頷いて、水晶を確認しつつ問いかける。
「……つまり、守護者に関する情報をお求めなのですね?」
「え、知ってるの?」
「情報料をいただきますが」
「いくら?」
相場はどうあれ、今欲しい情報がすぐに手に入るのならそれ相応の代価は払うにやぶさかではないだろう。そう思ってか、リーシャはメアの言葉を疑いもせず懐を探り始める。
そして不敵な笑みと共に煌びやかな金貨を一枚。カーテンにかざし、確かめてから放らんとして……
「待った」
「……どうしたの? って、いたいいたい!」
ミアの呆れたような声と細腕にそれは遮られる。ミアはそのまま卓に乗り出したリーシャの耳を引っ掴み、諫めるように告げる。
「やめなさい。今のは、わかるかわからないかってこと。そこの詐欺師がよく使う手口ね」
「……どういうこと?」
先ほどのメアの発言はその情報を知っているかどうかという『情報』を提供することへの代価として金銭を要求する物だろう。
「あんたがバカだってことよ」
「ひどい!」
ただ、それをわざわざ教える義理もないのも事実だった。それこそ、情報料でも受け取らない限り。
少なくともミアから見れば微妙なところにある彼女とリーシャの関係性だったが、二人の間にはすでに不本意な流れともいうべき、やりとりにおける法則性が形成され始めていたのだった。
「……失敬な。私は店を開いて以来転職をした覚えはありません。言うなれば、占い師が天職です」
そんな空気を打ち破るように、ミアに詐欺師呼ばわりされたメアは不満げな声をあげる。
「その割にはいろいろ適当なのよね……」
そうは言っても、メアの適当な言動から来る生来の胡散臭さは間違いなく天性のものだろう。そして、胡散臭い占い師こそが真に信用に足る殺し屋の友だというのだから、占い師が信用できないのも無理はない。
コインの導き然り、水晶の輝き然り、人を突き動かす思念然り。信用できないものを信用するのが当たり前になれば、目に見えるものを疑うようになる。
表にせよ裏にせよ。人は何かを疑わずには生きてはいけないということだろうか。
そんなことを考えてミアはため息をひとつ。メアはその様に怪訝そうな顔を浮かべるも、すぐにいつもの真顔に戻って白々しく言い放つ。
「この時間帯は本来勤務時間外なのです」
「はいはい」
これまた胡散臭い口上。しかし、信用できないことを信用するのは裏の仕事である。放たれたメアの言葉にも、本質的には意味などないのだろう。勤務時間外という言葉自体にではなく、なぜその発言をしたのか考える方が建設的である。
「それで、ホシの目星はついてるの?」
そして、考えても詮無いことは考えない方が建設的だ。仕事とは金銭の対価に行う労働であり、勤務時間外ということはつまり、無償で面倒を請け負う時間帯。
勝手な解釈でそう結論づけたミアは厚かましくも催促する。平素から重要な情報を無償で提供しているのだから、それも当然だろうか。
本来は依頼を持ってきたリーシャに尋ねるはずの案件だが、ミアに言わせれば下っ端暗殺者である彼女は何も持たずに依頼を請け負わされたらしい。少なくとも、ミアにはそうとしか思えないのだった。
「それはこちらのセリフです。月夜の怪物は月明かりの下で……「そんな与太話を信じるわけ? 商会ナイトメアの名が泣くわね」
唐突に触れられたくない部分に触れられ、ミアは前のめり気味にメアの言葉を遮る。
「信憑性があるからこそ信じる気にもなるのですが」
「本当に胡散臭いわね。一体何を信じればいいのよ」
嘆くように呟かれたそれは半分がごまかし。そして半分が本音の発言だった。もっとも、常日頃から冗談や軽口しか出てこないのだから関係のない話。周囲にはいつもの軽口として映るだろう。
「私を信じてもらわなくても構いませんが、信じないと死にますよ?」
ついで「それに、私がいつも本音を隠しているとは限らないですし」と、聞こえるか聞こえないかといった声量で呟く。
「そうそう」
軽口には軽口が。場の空気に合わせた適切な会話は意思疎通の上で重要である。
「……あんたのその呑気さはどこから出てくるのよ」
「さあねー」
「……まあ、信用できないのも無理はないでしょう。占い師とは、元来そういうものなのです。ひとまず応接室へ」
そう言ってメアは椅子を引いて立ち上がり、拵えられた扉を開いて闇に姿をくらました。
「どうしたの? はやく」
「……なんでもない」
ミアはまたもやその適切な空気に従うように立ち上がる。
そして、応接室へと足を運ぶリーシャの背中を睨み付けてため息をひとつ。
空気には従った方がリスクが少ない。つまり、損をしないが故に得である。
「……」
ただ、その空気は誰が作り出したものだったか。
「ほんとに、何を信じればいいっていうのよ」
それは考えても詮ないことだろう。であれば、考えずに進むしかない。
——ほんとうに信用できないのは、メアじゃなくて……。
カーテンの隙間から差し込む西日が、やけに後ろ髪を引く。
ミアはそれを振り払い、新たな一歩を踏み出すことにしたのだった。
再び出てきた守護者の名前。
占い師であるメアの口からその単語が出てきたということはつまり……。
次回もお楽しみに。




