暗殺者組合5
「どうぞ」
黒子の無機質な声が響き、ぶどう酒の入ったグラスがテーブル上のミアの手元へと滑り込む。そして、続けて声が響くのと同時に黒子は腕を一振り。
「こちらは手形です。命よりも大事に扱うように」
「……ということは、案外雑に扱っていいものなのね」
ミアは少し遅れて放られた金属片を手中に納める。そして、赤褐色に光るそれをためつすがめつ眺めてため息をつく。
先日屋敷に乗り込んできた二人組がつけていたものと同じ形状、同じ材質の首飾り。それが戒めのように掌で光る。
「……」
それをみたミアが関係ないとばかりにため息をつくと、光っていた銅板がくもる。
「自分の命以上に、ということです。その首飾りは、暗殺者としての命の価値を証明する手形なので。値札のような考えでいいかと」
「……確かに、商品の中身より値札が大事なのはよくあることよね」と、逃避じみた軽口を叩くミアだったが、心の奥底で『暗殺者としての命』という言葉に動揺していたのは言うまでもない。自分という殻の外へ一歩でも踏み出せば、彼女は暗殺者であり、人殺しなのだ。
あれから、『月夜の怪物』だの『殺し屋』だのと呼ばれるたびに、そんな考えが脳裏を過ぎってしまうのだった。
「いきなり首飾りなんて……、信じられない」
そんなミアの思考の変遷を知ってか知らずか、リーシャが驚愕に目を見開いて漏らす。ありえないとでも言いたげなその表情は、驚かれたはずのミアすらも驚くほど普通じみていた。
そんな仕草がミアの神経を逆撫でることとなったのだが、それは発言をした本人には知る由もない。
「そうかしら? まあ、走行の妨げになる装飾品を殺し屋に身につけさせるのは、確かに信じられないわね。目立つし」
「あはは……不謹慎だなあ」
「あたしたちの存在自体が不謹慎でしょ」
頬を掻いて苦笑するリーシャにミアは意図せず邪険な反応を見せる。ただ、何度も目に見えた地雷をふみ潰された上に、無意識の二律背反を指摘までされたミアからすればお互い様と言ったところだろうか。
「……キミは殺し屋と暗殺者の違いをよく理解してないみたいだね」
と言ってリーシャは肩を竦め、「まあ、手ほどきするって言っちゃったしね」と嘆息してから頼まれてもいないのに暗殺者組合について説明を始める。
暗殺者組合では、与えられた装飾品の種類と材質で暗殺者の等級を区別している。
その装飾品の種類は上から順に首飾り、耳飾り、指輪という順に並び、材質よりも優先される。
そして、同じ種類。例えば同じ首飾りであれば、金の首飾りが一番高い等級とみなされ、ついで銀、一番下が銅といった順番となる。
「……」
ミアに渡されたものは銅の首飾り。これは上から数えて三番目と言ったところだ。ただ、事前に銅の首飾りをした暗殺者二人を返り討ちにしていることから、過小評価とも取れるだろう。
黒子に渡されたそれを懐にしまい、ミアはあくまで興味なさげに、話し相手の方を見向きもせずに問いかける。
「それで何か変わるの?」
「変わる変わる。みんな首飾りをかけるために必死なんだ」
「……どういうこと?」
「序列三位以上の手形……あ、首飾りのことね? それをつけてると、ノルマに関係なく個人で好きに依頼を受けれるんだ」
「……つまり、序列が低いあんたはノルマに追われて仕事をしなければいけない。そして、ノルマを楽にこなすために強い暗殺者と仲良くなっておかなければならない」
ミアはリーシャの発言に少し思案した後、突き放すように言い放つ。いや、実際に突き放すべくための態度だろうか。
「う……、そうだけどさ……。もっと言い方とか考えた方がいいよ?」
その辛辣な指摘にリーシャはそらしていた上体を硬直させ、座ったまま器用に肩を落とす。銀の耳飾りが、持ち主の感情に同調するように虚しく揺れた。
一方のミアは、カウンターに情報代とばかりに金貨を叩きつけるように置き、そのまま重心を引き上げ、たちあがる。
裏の人間にとって行動原理となりうるのは利害関係のみ。となれば、リーシャがミアに話しかけた理由もそうであってしかるべきだろう。
そして降って湧いたノルマという仕組み。これらはミアがリーシャへの興味をなくすのに十分すぎるほどの理由だった。利害関係に囚われない関係など夢物語である。裏社会においては特に。
「生憎、これ以上裏の知り合いを増やすわけにはいかないの。それじゃ、手ほどきご苦労様」
そうしてミアはホールの外へと踵を返す。リーシャの睨み付けるような視線に見送られながら。
人脈を作りうる機会と重要な情報とを等価交換する。これが、裏社会でのミアの情報収集手段のひとつだった。人脈は確かに重要ではあるが、自由になることを望むミアには足かせにしかならない。そう考えれば、これが正しい選択のはずだった。
「……」
扉の前で立ち止まるミア。それはひとえに、重々しい扉を開く筋力を彼女の細腕が有していないからではない。ただ、彼女を立ち止まらせるだけの未練にも似た何かを感じたのだった。
一瞬の逡巡の後に結んでいるはずの後ろ髪。それが引かれるのを厭うように、振り払うように頭を振り、ミアは扉を開いて歩き出した。




