嵐の後で
ミアとカイが、バーテンと暗殺者の襲撃を受けた翌日。二人は、その後処理に駆り出されていた。
「……次は大広間を頼む。俺は寝室を片付けたら手伝うから」
カイは水の入ったバケツを突き出し、それを受け取ったミアはいつものように軽口を叩く。
「分かったわ。……寝室だからって寝たら殺すわよ?」
「相変わらず殺すのが好きだな」
「……殺すわよ?」
「分かった分かった。寝言を言って悪かった」
「わかればいいのよ」
打てば響くようなやりとりが深夜の回廊に響き、お互いは背を向けて自らの掃除分担区へと歩いていく。
殺し屋組合。厳密には暗殺者組合の組合員とバーテンの襲撃があった翌日。二人は長年放置されていた屋敷の清掃に取り掛かっていた。
バーテンが依頼を取り下げたことにより、さしあたって最も重要な仕事はミアの生活空間の確保と死体の処理となった。ほんの少しの間、当面の行動方針が決まるまでではあるものの、家主となったからには持ち物である屋敷が汚いなどという事態はあってはならないのだ。
ミアは大広間への扉を開き、バケツをくすんだ大理石の上に置き、そのまま汚れた水仕事に慣れた手が、真っ当な水仕事を始めるべく手拭いを絞り始める。
『あれが命をかけて守った存在?』
「何が言いたいのよ」
そして頭に響く声。それはいつもより小さく、しかしミアの心にまで深く、そして暗く。ゆっくりと浸透していった。
『別に? ただ、滑稽だなと思って。憎まれ口のために命をかけれるんだ、キミは。こんな世界であっても流石に正気を疑うよ』
「殺し屋なんて、みんな異常よ。そして、それが日常なの」
確かにそうだろう。生きていくだけでも困難な世界。他人の命を好んで奪いにいくことで商売にするなど、考えた者は人の心どころか正常な思考すら持っているとは思えない。ただ、それは殺し屋に依頼を出した者も同じこと。
そんな悪い評判も殺し屋が被っているとくれば、一概に殺し屋を責めることはできないだろう。ただ、そうなってしまっては殺し屋の存在意義が薄れ、結果的にミアの生きる意味が再び暗闇に包まれてしまいかねないのだが。
『確かにね。でも、それを言い訳にしちゃダメじゃない? 筋は通さないと。キミはあくまで自由になるために殺す。それ以外の行動は、何かしらの形で精算しなければならない。酒代と一緒にね』
「具体的にどうしろと?」
ミアの疑問に、すぐに具体的な答えが返る。
『宿に戻って、ここ数日のことは忘れる。キミは依頼を失敗してなんかいないし、お兄さんとは出会ってなかった。屋敷は確かに魅力的だけど、高級な宿屋で泊まっただけだと思えばいい。夢から覚めて、ついでに酔いから醒めれば酒代も浮く。いつかは、自由だ。夢に目覚めて現実の道を踏み外すなんてキミらしくないよ?』
「確かに正論ね。でも、その心配はいらないみたいよ?」
『それって……』
どう言う? という疑問は、ミアの耳に届くことはなかった。
「さて、家主としてお客をもてなさないとね。あいにくこの屋敷では、相手が殺し屋でも歓迎するのが規則みたいだし」
何か言いたそうなユーリの返答を待たずにミアは腰をさすりながら背筋を伸ばし、大広間から回廊へ、回廊から階下へと歩を進めていく。
「ごめんください」
そして玄関の扉が視界に入ると同時。聴き慣れた渋い声がミアの鼓膜にだけ的確に届く。
それは、玄関越しにいつもの格好で佇んでいるであろうバーテンの用いた、殺し屋特有の発声術だろう。
そして、それをわざわざ使うということは、単にバーテンが扉を開くのを厭うたからではない。彼が裏で糸を引くことに関しては存外勤勉だということは、長い付き合いであるミアにはよくわかっていた。
バーテンの平素より真剣な色を共なった声音にミアは直感する。珍しく真剣な相談か、あるいは交渉か。どちらにせよ、それなりの心持ちで臨まなくては後で困るのは自分である。
「……開いてるわよ」
「いえ、今日も酒場でお話しいたしましょう。ターゲットにみられるとまずいでしょうから」
「どういう意味よ」
『まあまあ。バーテンさん寒そうにしてるし』
ミアの疑問に返った、先ほどとは随分と声音が違う、茶化すようなユーリの声に疑問を持ちながらもミアはいつものバーテンを思い出して憎まれ口を叩く。
「腕を組んでのけぞってるのは自分に酔ってるだけなのよ。あいつの癖ね」
「人聞きの悪い独り言はやめていただきましょうか」
「うっさい! 誰も聞いてないわよ!」
と言ってミアは乱暴に扉を開く。しかし、心の扉は全力で閉ざした上で、だろう。流石に重要な話と何か含みがある友人の呟き。頭の中と外から、しかも的確に脳内と鼓膜に響くそれに耐えられる人間などいないだろう。扉を開く代わりに耳か心を閉ざさなければ、比喩でなく頭が割れかねない。ただ、それは殺し屋の死因としてはマシかもしれないが。
「……はい」
内心をざわつかせる相棒の嫌味はミアにとって文字通りの死活問題ではあるが、そんな事情はバーテンの預かり知るところではない。
「それでは、エスコートいたします。お嬢様」
ミアに睨まれたバーテンはその勢いにたじろぎながらも、肩を竦めて苦笑して言ったのだった。
その言葉は、豪華な邸宅を背後にしたミアにこそ相応しいだろう。喋らなければ、というのは大前提だが、本来のミアは華のある年頃の少女であるからして。
「できればごめん被りたいわね。あんたについてったら、二度と普通の生活なんかには戻れない」
「刺激的な毎日を、約束いたしますよ」
こうして二人の汚れ物が、偽りだらけの親子が、血に塗れた手を取り合って歩き始めたのだった。
そろそろ暗殺者組合の描写が入ると思います。ご感想ご評価等お待ちしております。




