兵どもが夢の後2
「なあ、本当は殺されたんだろ? シドもログも。クリス殿も」
「……そうだ」
父親はそう言ってから、記憶を思い起こすように繰り返す。
「……そうだ。今までいなくなった使用人も、召使も執事も下男も傭兵も……、等しく私の元から旅立って行った」
父親は寂しげに呟き、厳かな動作で、開いていた革の表装を閉じる。 ゆっくりと言葉を紡ぐ彼の表情は下を向いていて窺えないが、震えまじりの口調からそれは容易に想像できることだろう。
「殺し屋を送ってきてるのは、王都から派遣されてきた役人だろ?」
「……おそらく。私たちが死ねば彼の者が領主となる故に」
父親はもうじき六十を数える古老ではあるが、目に見えて衰えていると言うわけでもない。何らかの病気に掛かったりしなければ、この先十年以上はその辣腕を奮い、市井を導いていくだろう。
しかし、彼の領主としての力は、その老衰を待たずに弱まりつつあった。
度重なる使用人や執事の失踪により領主及び、領地に関する悪い噂は絶えず、その中で起こる政への影響力は年々弱まるばかり。それでいて傭兵長まで失踪したとなれば、政治的、軍事的な面でますます市井への影響力は弱まってくる。
民の不満は目に見えるほどに膨れ上がっており、今や領民のほとんどが王都から派遣された役人たちを支持している。
先代が一代でまとめ上げた領地だったが、一族の手から貴族の称号と共に離れていくのも時間の問題だった。
「しかも、確たる証拠はないときた」
カイが子供の頃は読めなかった文字も触れることを許されなかった書類も。今は自由に閲覧することができ、読むことができる。決して愚かではない青年が、隠されていた秘密に気づかないわけがなかった。
そして、もう自分たちの一族を再建することは不可能らしいということにも。
「いっそ、殺し屋にでも生まれてればよかったかもな」
そう言って、カイは窓の外を眺める。視界の中央では、鎧やら何やらで武装した物々しい集団が、正門の前に人垣を作っていた……。
*
「お逃げください! 領主殿! 若様!」
昼下がりの静けさを破る轟音と共に、鎧を纏った壮年の男が執務室の扉を乱暴に開く。それをきっかけに、ゆっくりと流れていた時間が物語の栞をとったように動き始める。いや、物語自体は正常に進行していたのだ。それを誰もが気にしないことで、目を背け続けることによって認識の上だけでは物語は凍りついていた。
「落ち着け。彼の者たちの主張は」
父親は椅子に腰掛けたまま、あくまで冷静に、平素と変わらぬ調子で壮年の男、もとい傭兵に詳細を尋ねる。
「た……民の前に姿を表すか、領地の返還及び、領民の解放か。騎士団の援軍は望めそうもありません」
怯えを孕んだ瞳。それは緊張からか、はたまた恐怖からか。忙しなく震える口からであっても言葉は正しく紡がれる。ただ、その震えが戦いの高揚から来ていると考えるには、目の前の傭兵があまりにも頼りなかった。
焦燥を隠そうともしない口調で放たれたそれは一見、平和的な解決に向けた譲歩に見える。しかし、端的に言い換えるならば、領主の座を降りなければ命はないという警告だろう。領主への不満に満ちた民衆の前に身一つで現れるなど、鳥の足を腰にぶら下げて未開拓の森を闊歩するようなものだ。
「問答無用で門を破って火を放つよりかは、よっぽど親切だな。何にせよ、俺たちがいなくなったところで、税がなくなるわけじゃないだろうに」
「……大方、奴が唆しておるのだろう。そして、今の我々には考えるだけ無駄ということだ」
奴とは、現在領主に変わって政治の一切を取り仕切っている領主代行の男だ。
殺し屋に依頼が出されるとき、そこには誰かしらの利益が絡んでいる。
それが、領主となることで得られる様々な役得や権力、そして、貴族であることの証明である爵位だっただけのこと。
政争に殺し屋が使われることなど、別段珍しくものない。しかし、何年にも渡った依頼に対して一切の反応を見せない領主がいたとしたら、真っ先に正気を疑われること請け合いだろう。
最初に使用人が死んだときに証拠を洗い出し、公的な手続きの後に領主代行を弾劾すればそれで済んだのだ。
しかし、傭兵長が失踪したことにより傭兵団が傀儡になりつつある現状では、どれだけ多くの証拠があろうとも、それを白日の下に晒すなど不可能だろう。上に回っていくよりも先に握り潰されるか、正義の剣とやらで捌きを受けることになる。
「そうですよ! はやくお逃げください! 今ならまだ裏口から出られます!」
八方塞がりの現状。傭兵の男が言うように、逃げる他にはないだろう。
「……」
しかし、父親の重い腰が上がる気配はない。
「はやく!」
「……貴様はカイを連れて逃げるがいい。私には、やることがある」
父親はそう言って決意を決めたように立ち上がり、厳かな動作で完全に開かれた扉から長い回廊へと足を運ぶ。
「な……っ! 領主様!」
うろたえたような傭兵の声は、老体に見合わず広い背中に届くことはなかった。
傭兵は男の、自らの主である領主の歩みを止めるべく手を伸ばす。が、その鍛えられた両腕は誰に届くことなく空を掴んだ。
それを見たカイは傭兵の両肩に手を置き、芝居がかった口調で叫ぶ。
「ほら、さっさと逃げるぞ! あんたが守ってくれるんだろ、騎士様!」
「騎士……。私が?」
「ああ、そうだ、今の俺にとってあんた以上にその称号がふさわしいやつはいねえ」
傭兵は領主の奇行に戸惑っていたが、カイの言葉に覚悟を決めたのか、両肩にかけられた重みを跳ね返すように肩を竦め、これまた芝居がかった台詞を口にする。
「……書斎の隠し扉から脱出します。どうぞお手を、お姫様」
「それだけ言えれば、騎士に見えなくもねえな」
「まったく、冗談にしたくないものですね」
そう言って傭兵はカイの手を取り、階下へ向かう回廊へと走り出したのだった。




