兵どもが夢の後
回想ですが、すぐに本編に戻ります。お付き合いいただけたらなと。
暗澹としたかつての領主邸の一室を、蝋燭の光が淡く照らしていた。
浮かび上がるのは暖色を伴った木造りの部屋だった。
清潔に掃除の行き届いた室内。本の内容を声に出して子供に読み聞かせる父親。興味深げに聞き入ってている十才ほどの黒髪の少年、カイの横顔。中央のベッド以外には何もない、二人だけの秘密の空間。
父親の顔は、蝋燭の光に当たっていてもなお、影になっていて判別することができない。しかし、その横顔からは穏やかでありながらも厳格な雰囲気を感じさせる。
蝋燭の火が揺れるのに合わせて、そんな二人の影も揺れていた。
「お父さん……、シドはどうしたの?」
カイは仲良くしていた使用人の名前を、思い出したかのように呟く。つい先日、領主邸から一人の使用人が姿を消したのだ。
「彼は悲しい殺し屋さんとはちがって新しい人生を歩み始めたんだよ。私には、それを引き止めることはできなかった」
父親は、そんな使用人のことを今読み聞かせている物語に擬えて説明する。誰かを殺すことで、本当は人殺しをしたくない自分すらも殺すという、『悲しい殺し屋』の物語だった。
「でも、それは幸せなんじゃないの? シドが幸せになってくれて僕は嬉しいよ。だって、悲しい殺し屋さんは生まれてから殺されるまでずっと殺し屋だったから、ずっと幸せじゃなかった。最後まで自分の人生を生きられなかったから、幸せじゃなかったんでしょ?」
「そうだね。彼は新しい人生を歩み出し、幸せになったんだ。だから、彼の未練になるようなことを思ってはいけないよ? そして、私たちが未練を持つのも同じように、悲しいんだよ」
「うん!」
シドは粗野な外見だが、笑顔が似合う茶髪の青年だった。カイは彼にまた会えることを楽しみにすることにしつつ、彼が困ることがないように、その帰りをを待たないことにしたのだった。
*
「……父上、ログはどうしたの? ……やっぱり、旅に出たの?」
十四歳のカイはテーブルとその上で明るく食卓を照らす燭台を挟んで向かいの父親に問いかける。
使用人シドが姿を消してから四年。あれから何人かの人間が屋敷から姿を消していた。最初は二年の間を開けて。次は一年。次は半年。
その間隔は日に日に短くなっていき、また、目に見えなくなった者たちの数は、目に見えるほどに増えていた。
「そうだ。私たちには旅の成功を祈ることしかできない」
燭台から漏れる光は、父親には届かない。しかし、その声音からは頼もしくも優しげな雰囲気を感じられる。
「でも、自分探しの旅なんてしてなんになるの? 『悲しい殺し屋』は自分の人生を歩めなかったけど、お金のために殺す。殺し殺されの世界から解放されるために殺すっていう自分だけの生きる意味があった。生きる意味がなくても、それを探し求めることに意味があった。でも、自分の生きる意味がないと……あ。もしかしてログは……それにシドも!」
カイは、まだ少し幼さの残る相貌を蒼くして黙り込む。それは気付かない方が幸せなことに気づいてしまったからではない。続く言葉を制するようにこちらに向けられた掌が目に入ってしまったからだ。
父親は食卓から雑音が消えたのを確認してから、あくまでも穏やかに、カイを諭すように言う。
「彼らは旅に出たんだ。私たちのやるべきことは彼らを不幸せな存在にすることではない。私たちが彼らのことを幸せな存在だと認識すれば、彼らは幸せな存在になるんだ」
カイは一瞬泣き出しそうな顔になり、それを引っ込めるように下唇を引き結び、そのまま顎を引いて、下をむいて呟く。
「……それが幸せっていうなら……幸せなんて」
ポタリ、蝋燭の滴が落ちた。
*
「……」
昼下がりの執務室に、筆を走らせる音が響いていた。
かつての少年もすでに二十二歳の青年。街人として生まれていれば今頃、家業を継いでいる頃合いである。
そんな青年、カイは万年筆を砂で乾かして、ふと、たわいもない雑談を振るように、卓の上で本を読む父親に尋ねる。
「……親父、クリス殿が傭兵長を辞めたんだってな」
「そうだな」
陽の光を読書灯代わりに項を繰る父親の顔は当然、こちらを向いていても逆光で黒く染まっていた。しかし、その佇まいからは重々しくも勇ましげな雰囲気をこちらに感じさせる。
「あの人も、旅に出たってのか?」
「ああそうだ。だから我々は……「待ってはいけない、だろ?」
言葉を遮ったカイは定型分めいた返答にふっと嘆息し、なんの前触れもなく、触れてはいけないことを尋ねる。
「なあ、本当は殺されたんだろ? シドもログも。クリス殿も」
初投稿作品なので至らないところなどがあるかもしれませんが、お読みいただきありがとうございます。
是非続きもお楽しみください。




