不死の呪い2
「うぅ……ここは……?」
木製のベッドの上で、弱々しい呻き声が響いた。
ミアが血みどろの夢から目を覚まして始めに感じたのは、体の芯から肝を冷やす夜の風。それが巻き上げる埃の匂い。目の前に広がる木板の天井。その中央に吊り下がり、あたりを淡く映し出す角灯の光。安っぽい寝具が肌を刺激する感覚。
あたりを見回すと、見覚えのある殺風景な空間。加えて、生活感のかけらもない部屋が広がっていた。
慣れない寝床で寝違えたのか、単純に寝具の質が悪かったのか、体の節々が鈍い痛みを発している。
平素なら感じることはないそれらの感覚に困惑しつつも、ミアは昨晩の記憶を思い出して納得する。自分は殺しに失敗し、どう言うわけかターゲットの寝室で眠っていたのだ。
——玄関から侵入した方がよかったわね……、なんにせよ。
現状を整理しないことには何も出来はしない。一寸先は闇。それはただ単に周りが埃だらけで床が見えないことに対する比喩ではない。
ただ、現状を整理するより先に室内を整理した方がいいだろうとは切に思うが。
『ねえねえ、男の人のベッドはどんな感触? ねえねえ? ついでに、いつも虐げてる相手に一杯食わされる気持ちはどう?』
ミアが目を覚ましたのを待っていたように、安っぽい毛布に包まれた足元から聴き慣れた声が頭に響く。それは寝起きで頭が働かない現状において、ミアの倦怠感をより一層増幅させた。
月が登った夜であっても、二日酔いの朝のように頭の中で鐘が鳴る。そんなところに忌々しげな相棒の声が一つ。ミアはそれを抑えるように額に手を当て、何もない空間を睨みつけ射殺さんばかりに、凄むように言う。
「……あとで鋳潰すわよ?」
『言ったじゃないか、コインは大事にしないとって。それこそ胸元に大事にしまっておくぐらいに……。まあ、君には無理だろうけど』
ミアの放った凄みのある声に、ユーリは動じる気配すら見せることはなかった。それは物理的に動くことができないからではないだろう。彼がこんな状況でも飄々とした態度を崩さないのは、硬貨が誰の手に渡ったところで硬貨たりうるからだろうか。
そんな彼の発言はミアが今まで彼をぞんざいに扱っていたという経験則と、何がとは言わないが、薄いこととをかけた皮肉だった。皮の下には肉がないという意味が込められているわけではないだろうが、実に痛烈である。
「フーリー、うるさい」
そんな発言にミアは口の端を歪めて、名前をもじることによって罵倒するしかないのだった。
『ちょっと、その名前で呼ばないでよ! ばかみたいじゃないか!』
ただ、その罵倒は相棒にとって効果覿面だったようだ。なんにせよ、これが二人の呼吸。長年仕事を共にしてきた中で築き上げたバランス感覚だった。
「馬鹿なんだからしょうがないじゃない……。何かがとられてるってことはなさそうね」
ミアは上体を起こして足元をまさぐり、固くなった毛布の上に置かれた外套をつまみ上げて言う。そして中身に異変がないことを確認した彼女はふあ、とあくびを一つ。次いで、「癖になってるじゃない……」と二つに結んだ金髪を解きつつ悪態を吐く。まったく、配慮が足りないと内心で愚痴をこぼす。が……
『ご丁寧に解かれてたら、それはそれで気色悪いって言うんじゃない?』
と言う相棒の指摘に自らの考えを改める。
それは仮定の話ではあったが、どこの誰かもわからない男に自分の身の回りの世話を任せるなど自殺行為に等しいだろう。それも殺しの標的とくれば、こちらに尋常な感情を抱いているはずがない。もっとも、殺し屋が尋常な思いを向けられることは、どんな時代のどんな辺境においてもありえないのだが。
「……」
ミアはふっと嘆息した後に再び背嚢を弄り、一枚のコインを取り出した。
たおやかな女性の横顔が流麗に彫刻された、親指の先程の白金貨であり相棒だ。それは見た目に反して確かな重量を感じさせ、しかし、見た目通りに角灯の光を反射して眩く光り輝いている。
ただ、それとは対照的に碧く光るミアの目には、その様がこの上なく嫌味に映るのだが。
「……あれから何かあった?」
コインをかざし、ミアはそれに向かって問いかける。幾本もの死線を共に潜り抜け、そして、いくつもの死線に巻き込まれる元凶となった予定調和の体現であっても、自身の唯一の話し相手であることは変わらない。
『なにも? あれから、驚くほど何もなかったよ』
あれから、とは昨夜気を失ってから、という意味だろう。ミアは昨夜ターゲットの首筋に手をかけ、血に塗れた両の手の指が確かに頸動脈もろともそれを貫いたはずだった。
しかし、ミアがベッドの上で仰向けになっていることから分かるように、気を失って床に伏したのは彼女自身だった。
彼女が相手の首筋を握り潰さんとした瞬間に、手にかけ、首に伝えたはずの衝撃がそのまま自身に跳ね返り、結果的に自らの細腕で自らの首を絞めることとなったのだ。
軋む首の痛みは、明らかに寝違えたことだけが原因ではないだろう。
首が痛いのにもかかわらずミアは底知れぬ不安を誘う現状に内心で頭を抱え、それに耐え切れないと言った様子で掌の上の相棒に問いかける。
「……これから、どうなると思う? あたしたちに何が起こる?」
『それは君が決めることだ。今まで、君はどんなピンチでも一人でくぐり抜けてきた。ただ、どうすればいいかわからないならやることは一つじゃない?』
「……そうね」
忌々しい相棒もたまには良いことを言う。ミアは内心で彼への評価を一段階上げた。
上げつつ、親指の爪と人差し指の腹で挟むようにつまんでかざす。
『ちょ、ちょっと。一体何をするつもり? 嫌な予感がするんだけど……』
そして、そのまま頭に響く声を置き去りにするように、指先で勢いよく弾き上げた。
人差し指と親指との間で力の均衡が崩れ、その一定方向へ向けられた力は回転となってミアの指から離れると同時に、残像によって球体となった。コインは天井にぶつかる寸前で減速し、一瞬の停滞の後に再び逆方向に加速し、彼女の手中に収まった。
「……裏ね」
掌の上で、死神が笑う。それは掌の上で踊っているわけではないだろう。抗いようのない運命に踊らされているのはミアの方であるからして。
『ちょっと! それ絶対にやめてって言ったじゃないか! 目の前がグルグルする!』
「いよいよ不吉になってきたわね。神には元々見放されて悪運までが底を尽いた。おまけに、死神に気に入られてるわ」
ミアは掌で上がった情けない声に取り合わず呟く。
マイペースに見える言動は、いつもの調子を取り戻し始めたことの証明に他ならない。それは放られたコインであるところのユーリからしてみればたまったものではないが、皮肉にも彼の、持ち主の不安を除くという目的は達成されたのだった。
『でも、殺されかけたのにベッドが用意されてるし、申し訳程度にベッドメイクまでされてる。殺すつもりならそんな手間をかけないんじゃない?』
「……それ、自分で首を絞めてるわよ? コイントスでは裏が出てる。自分で自分が信用に値しない存在って言ってることに気づかない?」
その「自分で首を絞めている」という発言自体が、比喩ではなく自分の首を絞めた経験ができてしまった彼女自身の首を絞めていることを棚に上げてミアは語る。
しかし、それを指摘するだけ野暮というものだろう。昨夜起こった現象を説明できる存在は、少なくとも発言の主であるミアの視界には存在しない。
こんな状況においてのんびりとした口調を保っていられるのは、それこそ殺される心配がコインの如く薄いユーリくらいのものだろう。
『裏なんだから、裏のないおもてなしが始まるんじゃない? ふんぞり帰って奉仕されればいい。手取り足取り。それこそ、髪の手入れも含めてね』
「……」
その発言を待っていたかのように弾んだ声は、ミアのことを気遣ってのものではない。むしろ、平素通りのものと言えるだろう。相棒はコインであっても裏表のない性格であるからして。
そして、実際に勢いよく弾んだ後によくそれだけ弾める物だと感心する余裕は、未だミアの中に戻ってはいない。であるからして、次に起こりうる現象は一つ。
——いたいっ!
ミアは無言でコインを弾く。勢いよく天井に激突したコインは、床に落ちた後も裏を示し続けていたのだった。
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