Ep.1 [4]
夢を見た。誰かが泣いていた。
アエリ「どうして、そんなに泣くの」
???「どうしても欲しい物が手に入らないんだ。やれることは全てやった。頑張ったのに」
アエリ「その、欲しい物って、なに」
???「…………だよ」
激しい雑音。ちりちりと脳裏が焼け付く音がした。
???「……は、貴方を……愛しています」
すっきりとした覚醒、クリアな視界。
だが、アエリの心は晴れない。変な夢を見たせいだ。
◇◇◇
別棟へと無表情に歩を進める。途中、通りかかった使用人室から複数の声が聞こえた。
廊下に立つアエリの耳に入ってきた単語は聞き慣れたものであった。
恰幅の良い男「ニコラだ。あの男だよ」
“ニコラ”確かにニコラと言った。気にかかったアエリは扉に近づき耳をすませる。
上品な男「ですがね……。死体はいずれも、この城で発見されている。彼の住む別棟で起こった事では」
恰幅の良い男「わからないかね。奴は自分の別棟に運び込んでいるのだよ」
上品な男「死体を?」
恰幅の良い男「死体の破片を」
上品な男「なんのために」
恰幅の良い男「きっと……食べているのだよ」
アエリは一歩後ずさる。
アエリ(冗談だとわかっているのに……)
上品な男「つまらない冗談ですな。まだ、実験に扱っているなどと言ってくれたほうが……」
恰幅の良い男「それだ!!」
恰幅の良い男は大きな音を立てて、勢いよく椅子から立ち上がる。
そして、どすどすと太い足を床に叩きつけ、興奮気味に言い放った。
恰幅の良い男「マッドサイエンティストなのだよ、奴は!!」
アエリ(マッドサイエンティスト――ニコラ様が?)
◇◇◇
【日記2】
高位の使用人である彼女がめくるページにも所々血の汚れが付着している。
捧げます捧げます 生贄を捧げます
我がささやかなる望みを叶えたまえ
[本日の罪深き生贄]
勉強馬鹿のエセ紳士
暑苦しい体育会系
[■■■が来てから三日目]
許せない。
◆◆◆の後をつける。
◆◆◆に話しかける奴の数を数える。
◆◆◆に届く手紙を全部読む。
今日は二人始末することにしよう。
間に合わない。
仕方ない。片方は“簡単な者”を選ぶことにする。
広いその背中に手を添える。
何が紳士か。欲に塗れた豚野郎だ。
ほら、こんな簡単に●に気を許す。
次だ。
こいつは面倒だ。
わめくんじゃない。ガキが。
★★に放り込む事にする。
そして◆◆◆がやって来た。
◇◇◇
“今日は二人死んだ”静かに呟かれた声が裏庭の木漏れ日に溶ける。
エストールは少し俯いたまま、足元の小鳥に餌をやっている。
少し日に焼けたような優しい色合いと白が可憐な、ころっと丸い鳥だ。
そして、その鳥の膨れた頬を優しくつついて顔を上げた。
少し疲れたような顔だ。
エストール「今回亡くなった二人は、僕もよく知っている人物だよ。一人は、遺体が見つかっていない。でも生きているという希望は……」
遺体が見つかっていないと聞いて、アエリは今朝聞いた使用人達の話を思い出し、思わずその名を呟いた。
アエリ「ニコラ様…………」
エストール「え?」
アエリ「今日、城の使用人室から話声が聞こえて。ニコラ様が疑われている様です」
エストール「ニコラが……?」
アエリ「この城へ来てから、色んな噂を耳にしました」
びくっと、微かにエストールが体を震わせる。
しかしアエリは気が付かなかった。
アエリ「ニコラ様の噂は……」
エストール「ああ、ニコラの、ね」
どこか安堵した様子のエストールは少しばかり挙動不審だ。
アエリ「夜な夜な何かを引きずって徘徊しているだとか。誰も居ない部屋で、誰かに向かって話しかけているとか」
アエリ「殺人容疑に関しては、別棟に極秘の地下があって、死体と踊っている。死体の血を啜り、食べている、なんて」
エストール「……はは。あまり現実味のある話じゃないね」
アエリ「わかっています。ただの噂なのだと。こんな立て続けに殺人が行われて、皆不安なのですね」
アエリ「確かに……ニコラ様は、少し普通の人とは変わっておいでかもしれませんが。独り言なども多いし。ですがそんな、猟奇的な事は」
しないと言い切れるのだろうか。
いや、むしろアエリは心の底では疑っていた。
――ニコラの事を。
アエリはそうではないと言葉にする事で、安心しようとしていたのだ。
自分が今仕えているニコラという人物は普通の人間なのだと。
エストールはニコラへの疑いは興味が無いようで、それよりもアエリとニコラの関係を気にしているようであった。
エストール「君は、少しニコラを理解したの? まだ数日だけれど。一緒に居て、過ごして。それは……少し悔しいな」
アエリ「いえ、そんな。黙々と自分の仕事をこなすのみですし、あまりニコラ様の事はわかりません」
エストール「ねえ、ニコラと同じくらい僕の事も好き?」
アエリ「え…………」
アエリの言葉がちゃんと耳に届いているのか、いないのか。
エストールの透けた青の瞳は何を思っているのかいまいち判断が難しい。
アエリは、時々こうしてエストールとのやりとりがズレる度に思う。
エストールに対して生じる違和感。
自分達は本当にお互いを見て、向き合っている状態なのだろうかと。
まるで、二人の間に、見えない存在が立ちはだかっている様な不気味な感覚。
アエリ(やはり、王子殿下の事はよくわからない。私の事を好きだと言ったり、優しく触れたり。守るとも言った。そういうのは普通、親しい間柄で交わすものだ。私と殿下はここに来て初めて会ったのだから)
しかし、エストールはいつも不安定に揺れた後、すぐになんでも無かったかのように明るく微笑むのだ。
エストール「ごめん、僕は嫌な奴だ。困らせちゃったね」
それはカチリ、と何かが切り替わったようである。
こうしてエストールが優しく微笑むと、不思議とアエリの小さな違和感も溶けてしまう。
エストール「僕は結構、嫉妬深いんだ」
ふふっと笑う、その顔の真意はやはり読めない。
エストール「忙しいところを、いつも呼びつけてごめんね。でもこうして会ってもらえるのは嬉しいよ」
エストール「ねえ……君が僕に会ってくれるのは“王子殿下の呼びつけを無視する訳にはいかない”という理由かい?」
アエリ「私は……」
アエリは自らの胸に手を当てて考えてみる。
意識してみると、今の様にエストールと裏庭でのんびり過ごす時間は、アエリが城に来てからの時間の中でも割と穏やかなものであったと感じた。
アエリ(王子殿下に会う理由。私は身売り同然で、城にやってきて)
アエリ「ニコラ様の使用人としてやってきて」
アエリ(目にした“死”白い部屋。真っ白の部屋)
アエリ「不気味な噂に戸惑って」
アエリ(そうだ。ここに来て、自分が目にした最初の“死”はあの真っ白な部屋で死んでいたニコラ様だったのかもしれない。寝ていただけの彼は、本当に死んでいるようにしか見えなかった)
アエリ「ですから……私、たぶん半分くらいは命令関係なく殿下に会いに来ていたと思います」
アエリの返答にエストールは表情を崩して喜んだ。
エストール「嬉しい、アエリ。ありがとう」
だが、未だ晴れないアエリの顔をしばし見据えた後、エストールはゆっくりと言葉を発した。
エストール「不安、だったんだね。君は」
エストール「閉塞的な雰囲気に覆われた、だがそれにしては広大で静かなほの暗いこの別棟で顔を合わせるのは、ニコラだけで」
アエリ「殿下は、きらきらしていたのです。きらきらしていて、どこか温かいような」
エストール「ん……きらきら、か」
エストール「懐かしいなぁ。そんな事、昔も言われたよ“おにいちゃん、きらきらしている”って」
アエリ「……どなたにですか、ご兄弟が?」
それは、と言いかけたエストールの顔は曇る。
言葉を飲み込んでから、続けた。
エストール「ああ、うん。言ったのは兄弟じゃないよ」
体を伸ばして、エストールはあからさまに話題を変える。
エストール「そうだ。ねえ、明日はとても良い天気なんだって。良かったらピクニックしようよ」
エストール「最近、城も暗い雰囲気だしさ。気分転換にいいと思うんだ」
アエリ「ピクニック? もしかして……ここで、ですか」
エストール「あはは、うん。よくわかったね。ここで、なんちゃってピクニック」
エストール「お菓子作りが得意な者が居るんだ。頼んで作ってもらうよ。バスケットに入れて持ってくるね」
アエリ「あ……じゃあ私、よろしければ紅茶を用意していきます」
エストール「本当、君が淹れてくれるの? 楽しみだなぁ」
エストール「……と、そろそろ時間か」
エストール「名残惜しいけれど、僕は城へ戻るよ。アエリ、また明日ね!」
傾きかけた陽をその背に落とす、エストールを見送りながらアエリは思った。
“懐かしい”
『僕と君は初対面?』エストールの言葉が脳裏に反芻される。
アエリ(そう、王子殿下にはどこか懐かしさを覚える。でも何故)
心の奥底にわだかまった層へと触れようと、アエリは手を伸ばす。
しかし――そこには降り積もった毒が溢れていて、アエリは無意識の内に逃れるのだった。
◇◇◇
アエリは自室に戻りベッドに伏せる。
アエリ(また人が死ぬのだろうか。今夜、凄惨にそれは行われて。実行者は笑い、誰かが泣いて。朝日が照らしだす、その血の海。かつて人だったものの形)
アエリ(そうだ。きっと、明日もまた朝からこの城は血生臭いのだ)
◇◇◇
朝日が眩くアエリは顔をしかめた。
手早く支度を済ませ、部屋を出る。
そこには……騒然とする人々など居なかった。
静かな朝だ。
アエリ「誰も、死ななかった」
呟いたその言葉は、どこか残念がるようにも聞こえた。