Ep.3 [1]
小さなオルゴール。
蓋を開けネジを回すと、舞台の上の二匹の洋服を着たウサギがくるくると踊る。
流れる音楽は単調。
だが、どこまでも優しく温かい。
エストールは暗い部屋で、ただ踊るウサギを眺めていた。
『エストおにいちゃんに、プレゼント!』
『え、でも……大切な物なのではないのかい?』
『大切な物だから、だよ!』
『アエリの事、忘れちゃ嫌だよ。これを見ていつも思い出してね』
背伸びして手渡される、小さなオルゴール。
『…………ありがとう。アエリ』
『なんだか、贈り物をもらうのなんて、すごく、久しぶりだ……』
『おにいちゃん、また遊びに来て。絶対だよ』
『うん、もちろん。また絶対会いに行く。
来年の冬の休暇になるかな。今度は僕が君にプレゼントを持ってくるよ』
『クリスマスプレゼントだね。楽しみにしていて』
ゆるゆるとウサギの動きが遅くなり、やがてオルゴールの音色は終わった。
エストール「…………」
エストール「いつから世界は、おかしくなってしまったのだろう」
エストール「昔は皆、笑っていた。幸せだった」
エストール「アエリ。君と過ごした日々は、忘れていた幸福を思い出した。君が居れば、僕はまた幸せになれるのだろうか。君が居れば……」
エストールの瞳はどこまでも空虚で何も映してはいない。
エストール「そうだ。僕にはアエリが必要なんだ」
その時、廊下に高慢な靴音が響いた。
エストールはびくっと身を震わせ、頭を抱えて俯く。
エストールにとって、もはや靴音だけで判断できるようになっている人物であった。
扉が勢いよく開かれる。
国王バルタザール「エストール」
◇◇◇
国王バルタザールはエストールの前に封筒を突き出す。
エストールはそれに見覚えがあった。
目を大きく見開いて唇を少しばかり震わせる。
国王バルタザール「お前はつまらない子だな。あぁ、全く、ほんとうに」
ひらひらと封筒を揺らした後、びりびりと裂いて空中に放った。
紙のクズがひらひらふわりと落ちていく。
エストールはその様子を、ただ眺めていた。
国王バルタザール「お前はどこに行くつもりだ。私を置いて出て行くと言うのか。許されると思っているのか」
区切りも無く、次々と早口で流れてゆく父の声が、俯いたエストールに響く。
国王バルタザール「誰が手紙を許した」
バルタザールは床に落ちた紙屑をぐり、と踏みにじる。
エストール「…………」
国王バルタザール「希望を抱くな。今後一歩たりとも、お前が外に出られる時など来ないのだから」
エストールの頭がさらに力無く項垂れてゆく。
国王バルタザール「聞いているのか」
ぐい、とバルタザールの大きな手がエストールの顎を掴みあげる。
そしてそのまま、エストールの頬を打った。
エストール「…………」
エストールの白い頬に赤みが徐々に浮く。
叩かれた部位だけが主張を始める。
やがて何も言わないエストールを見据えた後、バルタザールはつまらなそうに、歩き去って行った。
エストール「…………」
薄く開いた唇が震えた。
エストール「アエリ――」
エストール「今の僕の状況を伝えるよ。といってもおかしくて信じてもらえないかもしれないけれど」
エストール「僕は玉座に縛り付けられている」
エストール「ううん。比喩などでは無く、本当に。笑っちゃうよね。あはは」
エストール「玉座の背に、縄で縛り付けられた。身動きも取れない。困ったよ」
笑い声をあげると、合わせてギリ、と縄が食い込む。
少し顔を歪めたエストールであったが、すぐに瞳は空虚に落ちた。
エストール「僕は、一人だ」
エストール「もう誰も居ない。助けてくれる人も。話を聞いてくれる人も。一緒に居てくれる人も」
エストール「もうなにも、ないんだよ。アエリ」
エストール「…………」
エストール「アエリ。君は城を見てみたいと言っていたね。こんな有様を見たら、笑うだろうか」
エストール「綺麗なのは、外見だけ。ここはとっても汚いんだ」
エストール「アエリの小さい手が、背伸びして僕の手に触れる。引っ張られて、苦笑する僕」
エストール「君の笑顔は僕をわくわくさせた。君が連れて行ってくれた後には、いつだって楽しい事が待っていたから」
エストール「知っているかい。あの頃、あんなにも優しい気持ちで僕に触れた者は君だけなんだよ」
エストール「僕はもう優しさというものすら、どんなものだったのかおぼろげであった」
エストール「アエリ……君だけは、僕の事を愛してくれた」
ギ、と縄が軋む。
エストールは眼前に広がる謁見の空間と、大きな両開きの扉を色の無い瞳でいつまでもいつまでも眺めて時間を過ごしていた。




