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Ep.2 [8]


 アエリは眠気の取れない頭を振るい、別棟のニコラの元へと向かっていた。

太ったメイド「ちょっと待ちなよ」

 この別棟に居るはずの無いメイド達が、ずらりとアエリの前に立ちはだかった。

アエリ「…………」

茶髪のメイド「なにこいつ。無視するとか、生意気なんだけど」

 そのまま通り過ぎようとするアエリの前方に腕が伸ばされる。

ポニーテールのメイド「これ、なーんだ」

 細い鎖が擦れる音を立てて、そのメイドの手から光る何かがぶら下がった。

アエリ「……それは」

アエリ「返して!」

ポニーテールのメイド「おっと。それ、パス!」

太ったメイド「ほいよっと」

アエリ「お母様の形見なの。返して!」

茶髪のメイド「えー。それが、わざわざ落し物を届けに来てくれた人にする態度~?」

アエリ「落し物……?」

茶髪のメイド「一昨日さぁ、あんたが無様に転んだ時にー、落としていったわけ。それを親切にも私達がお届けに来てやったってのに」

太ったメイド「ほんと、ほんと。私達だって、こんな不気味な別棟に好き好んで来たくねぇって」

ポニーテールのメイド「ほら……感謝は? それなりの態度で示してもらわなくちゃ」


 その時だった。廊下の向こうからワゴンの押される音と共に人影が現れる。

威圧的な声「ちょっと、邪魔ですの。どいてくださる」

 アエリが振り返ると、そこには不機嫌に顔を歪めたベルシェスが居た。

太ったメイド「はぁぁぁぁあ? なに、こいつ」

ベルシェス「あ?」

ベルシェス「あんたたちこそ、なんですの。遊ぶのならお城の方でやってくださる」

茶髪のメイド「むかつくー……」

太ったメイド「ちょっと、あんた。顔かしなよ」

ベルシェス「汚い手で触らないでくださる。この豚!!」

 ベルシェスの腕を掴もうとした、その太い手は派手にはたき落された。

太ったメイド「なっ…………!!」

 顔を真っ赤にして太ったメイドはいきり立ち、ベルシェスに掴み掛ろうとする。

太ったメイド「ふざけんな!! この!!」

 ベルシェスはワゴンの上に乗った銀の蓋を取り去り、その皿を勢いよく、太ったメイドの顔に叩きつけた。

太ったメイド「ふごっ!!」

 皿には見事なケーキが乗せられていた。

 そのケーキはメイドの顔に当たり、ぐしゃぐしゃに崩れてしまう。

ベルシェス「召し上がれ」

 皿をぐりぐりと押し付けて、ベルシェスは笑った。

茶髪のメイド「何すんの!? あんた、信じられない!!」

ベルシェス「何を騒いでいますの。こんな醜いお顔、今更どのように汚れたところで誰も気付きませんわよ」

 くすくすと笑うベルシェスの声だけが廊下に響く。

ベルシェス「むしろ、生クリームでお化粧してあげたほうが、可愛らしくなるくらいではなくて?」

ポニーテールのメイド「お前!!」

 勢いよく振り上げられた平手はベルシェスの頬を狙っていた。

 ベルシェスはそれを軽々と振り払い、メイドのポニーテールを強く引っ張って、反った腹に華麗に蹴りを入れた。

 その蹴られた体は、予想以上に派手に吹っ飛び、アエリのすぐ横の壁にぶつかった。

ベルシェス「先に手を出したのは、そちらですわよ」

ポニーテールのメイド「痛い、痛い!! この事、言ってやるから! 言ってやるからな!!」

ベルシェス「ご自由に。でもいったい、どなたに言うというのかしら」

 ベルシェスの胸元のリボンが揺れる。

 顔に着いたクリームを払いながら、太ったメイドが低い声で言う。

太ったメイド「やめな。もう行くよ」

ポニーテールのメイド「どうして!? これ、暴力よ!!」

アエリ(私に色々しておいて、よく言う……)

茶髪のメイド「あの色、高位の使用人だよ。無理だって」

 ベルシェスの付けているリボンの色は、アエリとも、ここに居るメイド達のどの色とも違う。

ベルシェス「そうですわよ。格下がぎゃあぎゃあと、よくもこのベルの邪魔をしてくれましたわね。悔しかったらここまで登り詰めてらっしゃいな。ま、貴方達みたいな家畜共には無理難題でしたわね」

 メイドの群れは、こちらをちらちらと振り返り睨みながら、だがそれ以上は何も言わずに去って行った。


ベルシェス「あの豚が落として行きましたわよ」

 捨てるように投げ渡されたそれは、先程のペンダントだった。

アエリ「ベルさん……ありがとうございました」

ベルシェス「勘違いしないでくださいませね」

ベルシェス「ベルは別にあんたがどうなろうと、知った事じゃありませんわ。でもね、ノア様が住まうこの別棟であのような汚らしい豚達と遊ぶのはよしてくださいな」

 そして、ベルシェスはワゴンを押して早々に廊下の角へと消えた。



     ◇◇◇



【××××年×月×日 休憩時間】


 城へと向かい、大きな両開きの扉の前へと辿り着く。

 ノックしようとした瞬間、その扉は中から開かれた。

アエリ「あ……」

エストール「アエリ、いらっしゃい」

 少しはにかむような微笑のエストールがそこに立っていた。

エストール「あはは、ごめん。驚いたよね」

エストール「人の足音が聞こえる度に、君が訪ねてきたのじゃないかと、そわそわしてしまって、演奏も手に着かなくてね」

エストール「来てくれてありがとう。嬉しい」

エストール「ね、今日は少し外に出ないかい?」

アエリ「外……ですか?」

エストール「うん。といっても、城の敷地内からは出られないけれど。以前話した綺麗な薔薇園があるんだ。君にあげた薔薇もそこで咲いた物だよ」

アエリ「素敵ですね。是非」

エストール「よかった。それじゃあ行こう!」

 少年の様に無邪気に笑うエストールは、アエリの手をごく自然に取って歩き出した。


 見事な薔薇園の横を少し進むと設けられたベンチがあり、二人はそこに座ることにした。

 眼前に広がる一面の薔薇がよく見渡せる。

エストール「あのずっと上。ほら、見えるかな? あの窓がある部屋が、僕の自室だよ」

アエリ「本当に、薔薇園の真上なのですね」

エストール「うん。窓から見下ろす景色は、とても気に入っているよ」

アエリ「もしかして、この薔薇園は殿下のご希望で設けられたりしたのですか」

エストール「ううん。薔薇はね、僕の母が大好きでね」

エストール「華やかで美しい人だったよ」

エストール「……アエリのお母様は、どんな方だったのかな」

アエリ「私の母は……」

 アエリは途端に酷い眩暈を感じた。

 目の前の景色がゆらりゆらりと傾ぐ。

 世界が反転した。

 そこはどこか薄暗く、鼻をつくような臭いと、虫の羽音。

 美しい薔薇園はもう見えない。

アエリ(おかあさま。おかあさま、おかあさま、おかあさまおかあさまおかあさまおか)

アエリ「…………!!」

 アエリは込み上げてくる吐き気に、口元を押さえて必死に堪えた。

エストール「アエリ……!? 大丈夫……?」

 エストールはアエリの背をさすって、心配そうに見上げた。

エストール「医者を、呼ぼうか?」

 立ち上がろうとしたエストールの服の裾を、無意識にアエリは掴んだ。

 その恰好はどこか、子供のする仕草の様であった。

アエリ「嫌です。誰にも会いたくない。どこにも行きたくない」

 虚ろな瞳で呟かれる言葉は、目の前に居る人物が王子殿下であるという事も失念してしまっているようであった。

エストール「うーん……。じゃあ、少し横になるかい?」

 アエリが顔を上げる。

 その瞳は凛とした光を灯しており、

 普段通りのアエリが戻ってきていた。

アエリ「そんなことをしたら、殿下を立たせてしまうことになります」

エストール「うん。確かに人が寝そべったら、もう一人座るスペースはないね」

 なんでもないように言ったエストールは、何故かさっさとベンチの端に腰を下ろした。

アエリ「……?」

エストール「ほら」

 ぽんぽん、と自らの腿を軽く叩いて笑った。

 事情が呑み込めないで茫然とするアエリと目が合って、エストールは更に、おかしそうに笑い声をあげた。

エストール「枕代わりにどうぞ。こうすれば僕は座って、アエリは横になれるでしょ」

アエリ「そんな!? 王子殿下にそのような」

エストール「大丈夫、大丈夫。僕はそんな大層な人間じゃないよ。“王子殿下”なんて、ただの名前のおまけみたいな物だから」

 腕を引かれたアエリの体勢は崩れて、気が付いたらもう横になっていた。

アエリ「殿下、やはり……その……」

 優しく見下ろすエストールの顔がじっとアエリを見つめていた。

 その顔が、本当に心配げであったため、アエリはそれ以上何も言えなくなってしまった。

エストール「こうでもしなきゃ、君は絶対に横になってくれなかっただろう」

エストール「僕は、君にとっての王子様でありたいと思っている」

エストール「でも君と壁を作ってしまう王子殿下なんて肩書きはいらない」

 ゆっくりと伏せられた睫を、ただアエリは見上げていた。

 ゆるやかな風が流れてくるだけの静かな時間が過ぎてゆく。


 そうしてしばらくの間休んだ後、アエリはすっと身を起こした。

アエリ「殿下。ご親切に、本当にありがとうございました。おかげで具合は良くなりましたので」

エストール「そう……よかった」

 冷静になったアエリは自身に疑問を感じていた。

アエリ(私、どうしてしまったのだろう。おかあさまの事を考えた途端に、何だかおかしくなってしまった)

アエリ(そうだ、きっと最近嫌な夢ばかり見るから……)

 沈んだアエリの表情を眺め、エストールはしばし思案していた。

 やがて背後の薔薇へと手を伸ばしその一輪を手折る。

 そしてアエリの髪へ、そっと薔薇を挿した。

アエリ「え…………?」

エストール「うん。やっぱり、君の髪の色にとてもよく似合う」

 エストールは嬉しそうに微笑んでいる。

 だが、やがて真剣な表情になり、アエリをじっと見据えた。

エストール「ねえ、僕は気になっているんだ。やはり君……何かあるのではないかい?」

エストール「心配な事、辛い事、怖い事、なんでもいい。君を悩ます何かがあるのなら、僕を頼って」

 エストールの声音は、何故か内容とは裏腹に、冷えている。

 その事にアエリは少しばかり恐怖を覚え、エストールと距離を取った。

 エストールは何かに苛立ち、怒りを滲ませていた。

 しかしそれは、アエリに対してでは無い。

 アエリを脅かす何かに対してである。

 エストールの声は、アエリを悩ます存在を決して許さないと、そう空気を震わせながら伝えていた。

エストール「僕は頼りなく見えるかい?」

エストール「大丈夫だよ。君のためなら何でもする」

 冷たい風が二人の間をよぎり、エストールの金の髪を激しく揺らした。

 エストールはもう一つ薔薇を乱暴に毟り取り、その花弁に口付ける。

 棘に擦れて白い指から微量の血が飛んだ。

アエリ「え……あの……殿下、指、お怪我を……」

 エストールは睨みあげるかのような鋭い瞳で告げた。

 睨み据えるのは、アエリの敵。

エストール「優しい君には、例えで話すよ」

エストール「例えば……この薔薇が君に、牙を向き傷つけるのならば」

エストール「――今すぐ全てを手折って、踏みつぶして、炎を放ち灰にしても構わないんだ」

 ぐしゃり、と握りつぶされた薔薇は地面に散った。

 エストールの顔に笑みは浮かんでいない。

 アエリは、固く唇を閉じた。

 しかし次の瞬間にはエストールの表情は優しく、いつもの雰囲気に戻っていた。

エストール「……そろそろ、戻ろうか。部屋まで送るよ」

 差し出された手を取ると、温かく、アエリはエストールの異質には目を瞑った。

 だがそれは、ただの逃避でしかなかった。



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