表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/30

Ep.2 [7]


【××××年×月×日 休憩時間】


 アエリは部屋の前へと辿り着き、大きな両開きの扉を軽く叩いた。

エストール「はい、どうぞ」

 昨日と同じく歌うような美しい声が返答する。

アエリ「……失礼致します」

エストール「……アエリ!」

 椅子から立ち上がり、満面の笑みでアエリを迎えるエストール。

エストール「また会いに来てくれたの? 嬉しいよ」

エストール「どうぞ、ここ座って」

 エストールに勧められ、アエリはソファーに腰を下ろす。

 エストールも隣に座った。

 昨日理解できなかった、エストールの不思議な発言の数々について聞こうと思ったアエリだったが、すぐ隣から少年の様にきらきらとした眼差しで見つめられて、言葉に詰まってしまった。

エストール「ねぇ、アエリ。君の話を聞かせて」

アエリ「私の、ですか」

エストール「うん。城に来る前でも、来てからでも構わない」

アエリ「そうですね……」

アエリ「初めて別棟のニコラ様の書斎へ向かった時、迷ってしまって。ノア様という方にお世話になったのです」

エストール「ノア……に?」

アエリ「あ、ご存じでしたか」

エストール「ああ、うん。まぁ」

アエリ「可憐な方ですよね。あんなに素直で純粋な子が弟だったらな、と思いました」

エストール「弟……か」

 どこかエストールの声が虚ろに沈んだ。

エストール「うん、そうだね。僕にもかわいい弟が居たよ。頼れる兄も」

エストール「ジョシュア。ロデリック。二人とも、一緒に亡くなってしまった」

 すらすらと流れる言葉は独り言の様に空気へ溶ける。

 エストールの瞳はアエリを映していない。

エストール「その後、母も」

エストール「僕は、母にとてもよく似ていてね。そう、父上の愛した母にとっても似ていてだから」

 不安になったアエリはおずおずと口を開いた。

 エストールの様子が少し、おかしい。

アエリ「あの、殿下……」

エストール「…………あ」

エストール「ごめん。僕、何言っているんだろ」

エストール「……どう? この城に来てから、何か困った事とかない?」

 静かに微笑み“なんでも言って”と、首を傾げるエストールは、もう普段の調子に戻っていた。

 その切り替えが、あまりにもスムーズであったため、気になりつつも、アエリはエストールに感じた異質を、ひとまず思考から離れさせた。

アエリ(この城に来てから……か)

 アエリの脳裏には、昨日メイドの群れから浴びせられた言葉、その行動が浮かんだ。

『没落貴族とか、だっさ』

 転んで打った箇所。蹴られた場所。鈍い痛みが今日も残っていた。

 アエリは目の前の高貴なる者を見つめる。

アエリ(見事な装飾。上質な衣服。高価な宝石)

 ふと。

 エストールの、宝石の様に澄んだ瞳に映っている、アエリが歪んだ。

 アエリが、アエリを見つめている。

『かわいそうな、アエリ』

アエリ(この人は恵まれている)

『ねぇ……でも。貴方の不幸は貴方のせいではないわよね?』

アエリ(この人は私とは違う)

『ほら……煌びやかなお城。別世界のよう。皆、おとぎ話を演じる舞台の上で踊る高価なアンティークドールみたいね』

アエリ(この人もまた、私達家族を絶望に追い込んだ人なのだ)

『あいつらのせいよ? あの金が有り余り、欲望が怠惰に肥え太った愚かな奴等』

アエリ(欲望が怠惰に肥え太った愚かな奴等)

エストール「アエリ? どうしたの、大丈夫? 具合でも悪い……かな」

アエリ「……あ、いえ……」

アエリ(私、何を考えているの)

アエリ(それに、私よりも恵まれていない人が沢山いるというのに。生かしてもらっている私は、それだけで十分幸せ者のはずなのに)

アエリ(これは愚痴。私の我儘でしかない事なのだ)

 ふいにソファーから立ち上がったアエリを、不安そうに見つめたエストールは、アエリの手を取り引き止めた。

エストール「ねぇアエリ、何かあったのかい? 僕には何でも言ってくれていいんだよ?」

アエリ「……殿下。何故、私にそこまで良くしてくださるのですか」

 その言葉に返答はなく、エストールはただ静かに微笑んだ。



     ◇◇◇



 ベッドに入るとたくさんの嫌な事が押し寄せてくる。

アエリ(もう、眠ってしまおう。早く)


夢の中の自分「はー。本当、お城はすごく豪奢ね。アエリ、貴方のお家とは比べものにならないくらい」

アエリ「当然よ。それは引っ越す前は、それなりの屋敷ではあったけれど」

夢の中の自分「没落してから住んでいた家は小さかったわねぇ」

アエリ「街の隅にある古い家で、お父様が知人からタダ同然で借りたものよ。お父様は一層家に居ることが少なくなって、ほとんどを愛人の家で過ごしているようだったわ」

夢の中の自分「酷いわ。病気のお母様が居るのに。アエリ。貴方はよく一人で、お母様のお世話を頑張ったわね」

アエリ「ええ、でも……。代々仕えてくれていた年老いた使用人がね、仕事としてではないのだけれど、心配して時々訪ねて来てくれたのよ。それが支えだったわ」

夢の中の自分「そうね。優しい優しい、ばあや」

アエリ「そう……そうよ……」

夢の中の自分「ばあやは? ねぇ、ばあやは? 幼い貴方にとって、唯一頼れる人物である、ばあやはどうしたの」

アエリ「ばあや……ばあやはね……ばあやは……」

夢の中の自分「ばあやは、しばらく町を離れると言って、それ以来会っていないわ。まぁ皆、それぞれに事情はあるものね。ばあやを責めては駄目よ?」

アエリ「もう嫌……疲れた……疲れたの……」

夢の中の自分「そうね。嫌な事は、全て放棄してしまいましょうよ」


 暗闇の向こう。

 幼い自分が、母親の横たわるベッドの前に立っていた。

 暗闇へと手を伸ばすアエリの背後から、夢の中の自分が歩み寄り、その肩へと両手を置く。

夢の中の自分「あ な た が こ ろ し た の」



     ◇◇◇



【王子の手紙4 ××××年×月×日】


 アエリへ


 前回の手紙では悪かったよ。

 君にだって都合があるんだよね。きっと今は大変なんだ。


 僕は今、ちょっと体が痛くて、

 もしかしたら少し字が汚くなっているかもしれない。

 ごめんよ。

 あと食事が食べられないんだ。

 食べても、吐いてしまう。


 でもね、君の作ってくれたビスケットが

 おいしかったなぁと思い出して、

 試しにお菓子を食べてみたら、ちゃんと食べられたんだ。

 僕はいつしか君に支えられている。

 僕の全てが君になっている。

 君の全てが、僕。


 君だけなんだ。

 君だけなんだ、もう。


 僕を必要としてくれるのも。

 僕を頼ってくれるのも。

 僕を好いてくれるのも。


 僕には、もう何も、無い。

 君との思い出だけが宝物なんだよ。


エスト



光の宿らない曇った緑の瞳――国王バルタザールは、

ついに手紙の封を切らずに炎へと投げ捨てる。

つまらなさそうに、傍らのグラスを傾けて

“ディアンナ”と空に向かって呟いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ