Ep.2 [5]
ベルシェスと別れた後、アエリは考えた結果、城に行きエストールを探すことにした。
アエリ(カードには確かに、エストールと書いてあるし。何かの間違いで別棟に届いたのかも。ご本人にお会いするのは無理だとしても、誰か使用人の方に預けて……)
アエリは、広間の前を横切る使用人の男を見かけて呼び止めた。
アエリ「あ、あの。すみません」
紳士な使用人「おや。どうしましたか」
アエリ「私本日より、別棟にお住いのニコラ様にお仕えさせて頂いております。アエリと申します」
紳士な使用人「ああ、聞いておりますよ。貴方がアエリさんでしたか」
アエリ「それで……先程、ニコラ様の書斎の窓辺にこの花束が置かれておりまして。カードの差出人がエストール王子殿下になっていて……」
紳士な使用人「はい、はい。それで王子殿下に会いにいらしたのですね」
アエリ「え……いえ、私の様な者がお会いするのは恐れ多くて。それに、恐らく間違いで届いてしまったこの花束をお返しに来ただけですので」
紳士な使用人「いいえ。間違いではありません。それは、アエリさん。貴方宛てでございますよ」
アエリ「そんな……」
紳士な使用人「私もそんなに詳しくは聞いておりませんが、紛れもなく王子殿下ご本人がアエリさんに花束を贈ったと」
紳士な使用人「そして貴方が王子殿下の元を訪ねて来たら、ご案内するようにと仰せ付かっております」
疑問を抱えたまま、アエリは紳士な使用人の後に続く。
大きな両開きの扉を示して、その後使用人の男は去って行った。
アエリは恐る恐る扉を控えめに叩く。
???「はい。どうぞ」
透き通った美しい声が返答する。
扉を開くとそこには、立派なピアノ。
流れるような旋律。それを織り成す繊細な白い指と指。
揺れる金の髪の下、溶けてしまいそうな白い肌と宝石の様な薄い青の瞳。
茫然とするアエリの気配を感じたのか、ふいにその顔が上げられる。
二人の目が合った。
止まる音色。
漂う静寂。
しかし、その無音は突如として無邪気な声で破られた。
元気な少年「王子殿下! お客様?」
椅子にはエストールだけではなく、もう一人座っていた。
ぴったりと隣に座り、足をぱたぱたとさせる少年。
元気な少年「じゃあ僕はお邪魔しますね。今日はありがとうございました!」
元気な少年「僕、いっぱい練習します! またピアノ聴かせてください」
ぴょん、と椅子から飛び降りて、軽快にアエリの横を通り過ぎて元気な少年は部屋から出て行った。
アエリ「あ……」
再開する静寂。アエリは戸惑いながらも、おずおずと顔を上げる。
そこには穏やかに微笑むエストールの姿があった。
エストール「アエリ……だね?」
アエリ「はい。その、王子殿下。お初に御目にかかります。私本日より、別棟の……」
アエリの言葉をすっと遮る様にエストールは呟いた。
エストール「――僕と君は、これが初対面?」
アエリ「え……?」
それはいきなりの事であった。
この瞬間、そのエストールの一言のみが切り取られて、空間に響いたかのような感覚。
幻聴にも似た、白昼夢とも感じられる、そんな空気にアエリは思考を切り替えられずに、ただ少しばかり動揺していた。
言葉に詰まり、唇を閉ざしているアエリを、エストールはしばし見据えていた。
その無言の時間が長くなるにつれて、エストールの視線はアエリから逸らされていった。
そして先程の言葉など無かったかのように、エストールは明るい声音で言葉を発する。
エストール「僕はね、最近、この時間帯は大抵ここでピアノを弾いている」
エストール「さっきの子は長く仕えてくれている者の子供なんだ。たまにピアノを教えてあげている」
アエリは多少困惑しながらも顔を上げる。
先程のピアノを弾くエストールと、その隣で瞳を輝かせている少年の光景を思い出した。
エストール「僕は子供、だいすきなんだ」
そう言って微笑みながら、椅子から立ち上がるエストール。
アエリは既視感にも似た感覚に包まれていた。
アエリ(……知っている……)
“おにいちゃん”と言って、腰に抱き着く少女。
何故かそんな映像がアエリの脳裏をかすめた。
アエリは半ば無意識の様な状態で、虚空に呟くように、ゆっくりと言葉を発した。
アエリ「私……知っています。殿下の様な人を」
エストール「え……」
アエリ「よく、思い出せないのですが。小さい時に優しくて大好きだった“おにいちゃん”が居たのです。子供が好きで、ピアノが上手で。きらきらしていた」
エストール「……そっか」
長い睫を少し伏せて、エストールは嬉しそうに笑った。
しかし、唇を少しばかり開いては、閉じ。
顔を上げては、ゆっくりと逸らす。
何事か言葉を発しようとしては、失敗しているように見えた。
そんな光景を眺めながら、アエリは考える。
エストールのいきなりの言葉も、不自然にしか感じられない態度も、理解が出来なくて当然のはずなのに、アエリの心のどこかで引っ掛かっている何かが共鳴していたのだ。
――しかし、虫の羽音が。
虫の羽音が、アエリの脳の周りを飛び回った。
穏やかな光にそっと手を伸ばそうとして、その手を闇の底から掴まれ、引きずり込まれる。
腐肉がアエリの背後に立ち、その肩に両手を置く。
白の空白が笑っている。
ページの捲られる音と共に、アエリの全身にはぞわり、と震えが走った。
アエリが、アエリを見つめている。
自分と同じ姿は、作られた人形の様な大仰な動作で、口をパクパクとさせる。
その口が何かの音を発する前に――アエリは戻る。現実に。
“戻らなくては”“いけない”
早口で、目の前の、王子殿下へと、要件を告げる。
アエリ「あの、この花束なのですが」
エストール「あぁ……その薔薇はね、僕の自室の下から見える薔薇園のものなんだ」
エストール「君へのプレゼントだよ」
エストール「本当は、一輪だけ添えようと思ったんだけれど。もっと、もっと、って増やすうちに、そんなに束になっちゃった」
アエリ「そうだったのですか……。でも、何故、これを私に」
すらすらと言葉を発していたエストールの声が、途切れ途切れに、詰まり始めた。
エストール「君に」
その声はか細く、勢いを失って消えそうになっていた。
エストール「会いたかった」
発せられた返答は、アエリの疑問を解消するものではなかった。
これではまるで、エストールの独り言の様である。
エストール「…………あのね、僕は本当は」
その時、扉の叩かれる音がした。
それはこのふわふわとした不思議な空気を終える合図だった。
エストール「……時間だ。そろそろ行かなきゃ」
アエリ「あ……はい……」
エストールはピアノの上に乗せてあった、小さなオルゴールに手を伸ばす。
エストール(彼女は……覚えて、いなかった。僕の事は、忘れてしまったんだ)
エストール(これが答え……全ての、答え)
ヒビの入ったオルゴールへと、手をそっと添える。
エストール(でも……期待しても、いいの? 君は……もしかして、いつか、思い出してくれる?)
エストール(だって君は、僕に似たおにいちゃん、の存在は……思い出してくれたよね)
その壊れたオルゴールが、エストールのポケットにしまわれるまで、何故かアエリは目が離せなかった。
アエリ(オルゴール……壊れている……)
ふっと上げられたエストールの視線と目が合う。
エストール(アエリ。その“おにいちゃん”は……僕、だよ。僕なんだよ、アエリ)
エストール(……言ってしまいたい。でも……怖い。口を開いても、その言葉だけがどうしても、出ないんだ)
エストール「…………」
エストール「それじゃあ……アエリ。ええと……また」
ぎこちない笑顔を浮かべて、軽く手を振るエストール。
エストール「……また君と、会いたいな」
かすれて消えてしまいそうな呟きが、扉の閉まる音に重なった。
アエリはエストールの持っていたオルゴールの事が、いつまでも心に引っかかったままでいた。
アエリ(……結局、よくわらなかった。殿下は私達が初対面かと問い、花束は私への贈り物だと言った)
アエリ(会いたかったと伝えて、そして、また私と会いたいと言った)
アエリ(……どうしてだろう)
◇◇◇
【王子の手紙2 ××××年×月×日】
アエリへ
前書いた手紙にはもう目を通してくれたかな。
きっと忙しいんだろうね。
君は毎日家庭教師がたくさん付いているそうだから。
それとも、お母様の具合がよろしくないのだろうか。
心配だよ。
勉強でわからない所は無いかい?
手紙に書いてくれれば、僕が教えてあげられるよ。
もし困ったことがあったら、すぐに教えて。
理由があって、僕は今城を離れられない。
君の方の様子も全く知ることが出来ないんだ。
君からの手紙だけが情報源になる。
だから、もしよかったら、暇な時に返事が欲しいな。
僕の方はと言うと、最近あまり良く眠れなくなってしまって困ったよ。
そういえば、君が「怖くて眠れない」って言ったから
一緒に添い寝してあげた事があったね。
君と過ごした日々を、毎日毎日思い出している。
君の事を考えると、嫌な事も何もかも吹っ飛ぶ。
幸せな気持ちになれるんだ。
僕も今「怖くて眠れない」
怖いんだ。寂しくて、痛くて、苦しくて、怖い。
怖い怖い怖い。
はは。駄目だな。僕の方がおにいちゃんなのだから、ね。
しっかりしなくちゃ。
アエリ。また絶対君に会いに行くよ。
君に会えるその時を楽しみにしている。待っていて。
エスト
光の宿らない曇った緑の瞳――国王バルタザールが、文字を見下ろす。
くつくつ、と笑みを零しおかしそうに、文字の羅列を引き千切る。
手紙は今回も炎の海へと沈んだ。




