Ep.2 [2]
エストール「エストおにいちゃんのお嫁さんになる、か」
エストール「うん。アエリが……大きくなったら、結婚しよう、ね」
エストール「…………」
エストール「毎年、冬の休暇の度に会いに行ったよね。五年。五年間も」
エストール「でも……最後に会ったのは、もう何年前になるだろうか」
エストール「アエリ。僕が君に会いに行かなくなった事、怒っているかい?」
エストール「仕方が無かったんだ。僕はいつだって君に会いたかった」
エストール「でも、僕はもうここから出られないから。出られなくなって、しまったから」
エストール「それとも、もう。僕の事なんて忘れてしまった?」
エストール「……その方がいいのかもしれない。でも、思い出して……欲しい、とも思う」
エストール「僕は、君の事が好きだよ」
『どうして?』
エストール「……え」
『どうして好きだなんて、言える?』
『彼女はあの時、子供だった』
エストール「僕は、アエリの事が好き」
焦燥感にも似た恐怖。
『どうして。彼女のどこを好きになったんだ』
エストール「どうして? どこを?」
脳裏に響く自身と同じ声に返答するエストールは酷く滑稽である。
それは独り言や葛藤というよりも、まるでもう一人の自分と会話しているようであった。
エストールに表情は無い。冷酷な程に鋭い唇で毅然と告げる。
エストール「アエリを好きな事に、理由なんて必要ないでしょう」
ふと、その唇は閉ざされる。
エストールは自分の弾く音に重なる音がある事に気が付いた。
背後。遠くの方から、繊細に響く。歌声だ。
エストールはすっと立ち上がり、そちらに向かう。
離れた長椅子にゆったりともたれ掛っているノアの姿があった。
ノア「あ……すみません、王子殿下。とても綺麗な旋律でしたので、つい」
エストール「ノア……ああ、いや。構わないよ」
エストール「ノアは雨宿りかい? この様子じゃまだまだ止まないと思うから、誰かにここまで傘を持ってくるように言っておくよ」
ノア「いえ、そんな」
エストール「君は体が弱いだろう。冷えるといけないよ。どうせ僕はもう行くから。通りがかりに誰かに言っておく」
歩き出そうとして、エストールはふと振り返る。
エストール「そうだ。ノア、僕は母に似ていると思うかい?」
ノア「えっ…………」
ノアは酷く怯えたような素振りを見せた。
薄紫の瞳が揺れる。
エストール「君なら、ちゃんとわかるかと思って。僕はもう母の姿がよく思い出せないんだ」
ノアは水滴が滴る金の髪と、じっと見つめてくる薄い青を凝視していた。
ノア「に……似ていると、思います。よく、似ていらっしゃると」
ノア「…………」
ノア「……その、ごめんなさい。ごめん、なさい」
エストール「え……」
エストール「ああ、違うんだよ、ノア。ただ聞きたかっただけなんだ。本当に、似ているのか」
エストール「僕は“あの事”を怒ってなんかいないんだよ? むしろ僕は君に感謝しているくらいなんだ」
見上げるノアの頭を軽く撫でる。
エストール「綺麗な歌声だね。今度、また僕のピアノに合わせて歌って」
柔らかく表情を崩して、満面の笑みに変わるエストール。
軽く手を振って去る、その背をノアは呼び止めた。
ノア「あの、殿下……」
エストール「うん?」
ノア「先程弾いていた曲は、何と言う曲ですか? 聴いたことが無くて」
エストール「ああ、あれは僕のオリジナル」
エストール「幸せになれる曲、だよ」
◇◇◇
【王子の手紙1 ××××年×月×日】
アエリへ
元気にしているかい。
もう春が来るね。君の住んでいる町は自然が豊かだし、
今頃は色とりどりの花があちこちで見られるのだろうね。
城では、庭師が懸命に手入れをしてくれているため
どこの庭もとても立派だけれど、僕の自室からも見える
薔薇園が一番美しいよ。
その薔薇園で摘んだ薔薇を押し花にしたんだ。
手紙に添えておくね。
君は本を読むのが好きだと言っていたね。
栞にどうだろうか。使ってもらえたら嬉しいな。
そうそう。僕が教えてあげた苦い野菜を
おいしく食べる方法は続けている?
お菓子ばかり食べていないかな。ふふ。
君が一人よりも、僕と一緒に食べる食事の方が
おいしいと言ってくれたけれど、僕も同じ気持ちだよ。
僕も、城に戻って来てからは、一人だ。
ちょっと色々あって、あまり食欲が湧かない。
最近は君が好きだと言っていた絵本を、
僕も気に入ったため取り寄せてみたんだ。
いつも寝る前に少しずつ読んでいるよ。
あの絵本に描いてあったような綺麗な海にいつか行ってみたい。
あのね、もしかしたら次の冬の休暇には会いにいけないかもしれない。
でもその分手紙をたくさん書くよ。
エスト
光の宿らない曇った緑の瞳――国王バルタザールが、文字を見下ろす。
その文字はビリビリと裂かれ、やがてバラバラに散り、炎の海へと溶けて消えた。
偉大なる国王は揺れる炎をただ満足げに見ていた。




