Ep.1 [10]
痩せた衛兵「別棟の西、終わりました」
国王バルタザール「うむ。ごくろう」
痩せた衛兵「あとは……ニコラの使用人である女がまだ見つかりません」
エストール「何故、アエリを」
痩せた衛兵「殿下。まだご存じではなかったのです? ニコラの殺人について、使用人である女にも嫌疑がかかっています」
エストール「え…………」
エストールは国王バルタザールの顔を見据えた後に、顔を伏せた。
その瞳には怒りとも絶望ともつかない色が浮かび歪む。
そして周りの制止を振り切り、走り去った。
国王バルタザール「ふん。あれは、落胆といったところか……くだらない」
◇◇◇
アエリは廊下を抜けて、広間の裏までやってきた。
しゃがみこみ、ノアから受け取った首飾りを首にかける。
先端についている見事な薄紫色の宝石は、まるでノアの瞳のようであった。
アエリ(思わず部屋を飛び出してきてしまったものの、逃げるだなんて)
その時広間の方から複数の声が聞こえた。
ひそめられた男の声「だから、殺すんだ」
軽薄な男の声「でもよ。別に」
ひそめられた男の声「国王陛下のご命令だ。ニコラの使用人である女を殺せと」
アエリ「…………!!」
アエリは身を屈めたまま後ずさった。
アエリ(何故。でも、逃げなくては)
アエリ(ここから逃げなくては)
気付かれないように広間の裏を通り過ぎ、城を出た。
外に出ると肌に当たる風が少し冷たい。
眼前の城を見上げる。
アエリ「私は何もしていない。嫌疑など晴らせばいいだけの事。なのに、何故。殺されなければならないのだろう」
威圧的な声「知りたいですの」
背後から刺すような凛とした声が発せられる。
アエリ「ベルさん……?」
門を背に真っ直ぐ立つベルシェスは、その身には到底似合わない無骨な斧を両手で構えていた。
アエリ「貴方も、私を殺すの」
ベルシェス「イエス」
アエリ「どうして! 確かに、ニコラ様の犯罪が明らかになった今。私にも嫌疑が向けられているということは知っています。でも、貴方はノア様付きのはず」
ベルシェス「ベルは、ノア様付きの前は王子殿下付きだった」
アエリ「え……」
ベルシェス「そしてベルはそもそも、いつだって国王陛下の命令で動いている」
アエリ「ノア様を裏切るの……」
ベルシェス「ノー」
アエリ「わからない。私に嫌疑がかかっているから、国王陛下の命令だから。だから、私を殺すの」
ベルシェス「それも、一つの理由だけれど。表へ向けた口実ともいう」
ベルシェス「これだけは言える。陛下は、あんたが殿下にとってよくないと思っていると」
◇◇◇
ノア「兄……さん……」
広大な訓練場の中心に設けられた、高くそびえ立つ杭。
大勢の人々が一様に見上げるその場に、ニコラが吊し上げられる。
ぐったりとしたその体には無数の痣が見えた。
酷い暴行を加えられたのだろう。
ニコラは瞬く間に、ぴったりと杭に縛り付けられてしまう。
くすんだ灰の髪を強く掴まれ、頭が杭に叩きつけられる。
それが合図であったかのように、群衆が雄々しい声を上げた。
「殺せ!!」「燃やせ!!」
怒号が飛び交う中、気が振れたような群衆の様子をただノアは見上げていた。
国王バルタザール「いいぞ! さあ、火を放て!! 生きながらにして、焼き焦がし、その身を灰と散らすがよい!!」
国王バルタザール「ははは!! あははははははは!!!」
バルタザールが杖を高々と天へ突き上げる。
それを合図に、ニコラの足元から業火が吹き上げた。
ニコラが顔をしかめて、炎をその虚ろな瞳に映す。
国王バルタザール「ああ、そうそう。首は刈っておけ! 首は。ニコラの首は、ここに居る可憐なノアにやるとよいぞ!!」
国王バルタザールはノアの両肩に手を乗せ、高らかに笑う。
その王者の笑い声は、群れる群衆らの雄叫びを煽り、
どこまでも高く大きく響き渡っていた。
◇◇◇
ベルシェス「王子様をあまり信用しない方がいいですわよ。知っています? あの殿下のせいでノイローゼになって辞めた使用人が過去に何人もいることを」
ベルシェス「それに王子殿下は、美しい天使の様な皮を被っていますが、その実、相当汚らわしいお方ですのよ」
アエリは思わず怯む。その隙をベルシェスは見逃さなかった。
ベルシェスの両手は振り上げられ、その斧の刃がアエリの頭上で煌めいた。
???「アエリ!!」
アエリ「…………え」
人影が、アエリとベルシェスの間に入り込む。
アエリはその人物に抱きとめられ、地に倒れ伏した。
アエリ「…………王子殿下」
金の髪がアエリの頬に垂れた。
身を起こしたエストールの背から微量の血が流れ落ちる。
エストール「大丈夫だったかい、アエリ」
その時、無数の人々の嘲笑がアエリの脳裏に響いた。
そしてベルシェスの声“それに王子殿下は、美しい天使の様な皮を被っていますが、その実、相当汚らわしいお方ですのよ”
――アエリは、ほぼ無意識にエストールを突き放していた。
エストール「あ…………」
驚いた表情を見せた後、エストールは少し困ったように笑った。
その様子はどこか傷ついているようにも見える。
エストール「僕の事は、信用できない? それでも、とにかく来て。逃げないと」
そう告げると、エストールはアエリの手をひいて走り出した。
エストール「こっち! 裏口から出るよ。信用できる者に、僕の馬を用意させてある」
裏口に差し掛かると、一頭の立派な馬とその隣に小柄な姿が見えた。
そばかすの少年「王子殿下ー!」
エストール「やあ、よくやってくれたね。君はもう行っていいよ。本当にありがとう」
そばかすの少年の頭をくしゃくしゃと撫でて見送ったのち、エストールはアエリを馬へ乗せた。
アエリ「殿下……あの」
エストール「馬は乗れるね? アエリ」
エストール「本当は僕が一緒に行ってあげたいところだけれど」
エストール「さあ」
馬の頭を撫でて、エストールは馬に走れと合図をとばす。
エストール「行くんだ!!」
アエリは全力で走り出す馬に必死にしがみつきながら、背後を振り返る。
髪を風に揺らしながら、エストールの元へと無表情に歩み寄るベルシェスと、
腰の剣を引き抜くエストールの後ろ姿が見えた。




