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「にしても、何で順番入れ違ったのかなぁ」
「ぶっ!」
屋外の庭園は、太陽がないとまだ少し冷んやりとしている。社交界の灯りが遠くなったその場所には、二人の他に誰もいない。
ギルディアスの言葉に、ライミリアンは煽ったワインで咽せた。
「っ…ごほ…っ、おま、分からずに言ってたのか!?」
「え、何を?」
「フレッドがやったということを、だ」
「…え!?マジで!?」
いつもの調子で、素っ頓狂な声を出すギルディアス。
二人の動きが止まった。
灯りの方向から夜風に乗って、楽器の演奏が僅かに耳に届いてきた。
社交界の日に繰り返される、きっと昔から変わることのない夜の色。
「…っ、あはははっ!」
「!」
爆笑が、沈黙を破った。
眉尻の下がった笑い方は、幼い頃から変わらない。
ライミリアンは目頭を拭った。
「分かっていなくて、庇ったのか?お前の馬鹿さも、たまには役に立つ」
肩を震わせながら発する声。
「…ライアもしかして、」
「今から調べるわけがないだろう、全て裏はとっている」
ギルディアスはやっぱりという言葉を、息と共に吐き出した。
「見なかったのか、あの焦った顔」
「いやぁ…そうだとすれば焦るでしょーよ」
それほど隙のない管理をしているとは、誰も想定していないのだから。
ひとしきり笑ったあと、ライミリアンは「あぁいう小手先の奴には良い薬だ」と清々しく言い切った。
「それに結果的にお前に助けられたから、お前に対しても一つ貸しになっているだろう」
「そこまで考えてたの!?」
「当たり前だ。貸しで周りを固めているほうが何かと便利だ」
唖然としていたギルディアスは、やがてつられて頬を緩めた。こういうときのライミリアンの笑いも好きだ。台詞のわりに鋭さがなく、余裕を含んでいることが見てわかる。
どれだけ地位を得ても変わらない部分、それが彼らしくて好きだった。
「…あぁ、頑張らなきゃなー」
ギルディアスはポケットに手を突っ込んで、思わず空を仰ぐ。
頼りになり過ぎるこの相方が、自分の手を離さないことを知っているから。
自分が足を滑らせて、巻き添うようなことだけは。
「仕立て直したわりには、まだちょっとキツくないか、それ」
ライミリアンが、ギルディアスのコートを引っ張った。
「うん、多分ライアのほうがぴったり」
そう言って捲ると、内ポケットにはかつての持ち主の名前。
「ライア、今年は黒の服辞めると思ってた」
彼は正装で黒を着ることは殆どないが、今日は一年に一度、必ず黒を着る日だ。
重なった結果、ライミリアンは黒を着ることを優先させた。
それほどまでに、忘れ難い。
「そろそろ戻るぞ」
「あ!見て!」
不意に風向きが変わり、ギルディアスがわっと声を上げる。
つられて上を向いた先に、雪のように純白の花弁が舞い降った。
「…確かに足元にも及ばないなぁ」
『僕がどれだけ凄い発明をしても、この花弁一枚を人の手で再現することは不可能なんだよねぇ』
空を見上げて愛おしげに目を細めるギルディアスの姿が、記憶の男の姿と重なる。
目の前のパーシアンレッドの上着を、同じように着て同じようなことを呟いていた。
今、彼がここに居たなら。
ライミリアンが胸の前で開いた手のひらに、白の花がそっと吸い寄せられる。
どれほど凄いものを創り出しても、どれほどあちらの煌びやかな世界にいても、この花弁一つ美しいと思えなくなったら終わりだと思っているから。
今日は一年に一度、亡きあの人を想う日。
【社交界のその後・おまけ短編】
すっかり静まった路地。
扉がガタっと音を鳴らし、来訪者を知らせた。
彼は少し早足に奥の部屋に進み入ると、コートを脱いで掛け置いた。
同時に、もう一つの扉が開く。
「あ、おかえりライアー」
一足先に帰っていたのは、この家の主。
手にしていたコップは一つだったため、それを相手の前に置いてから、ギルディアスは自分の飲み物を取りに戻る。
ライミリアンは少し勢いよく椅子に座ると、前髪を掻き上げるように乱した。
オールバックに固められていた髪は、それだけでぱらりと額へ流れ落ちる。
「泊めてくれ」
「今日はもう作業しないから、どの部屋でも煩くないよ」
「ん」
先程の彼からは想像できない気の抜けた返事にギルディアスは密かに微笑んだ。
とはいえ、終わってからも考えていることは街長のそれで。
「今日は保守派の監視が多かった」
「しゃーないよねぇ」
社交界という気の緩みに乗じて、過激な思想が飛び交わないか。自分だけ監視の目を意識するのは簡単だが、参列者の言動にまで注意を行き届かせるのは流石に疲弊する。
「へー。そのフリル、取り外し式だったんだ」
ライミリアンは首元のフリルを緩め取りながら目を開ける。
向かいの壁には、今日ギルディアスが着ていたコートが掛かっていた。
ライミリアンはふと、眉を顰めた。
「どったの」
酒に酔っているほどでもないのだろうが、陽気な笑みを浮かべるギルディアスを見つめる。
今日何度も耳にした台詞が、よぎった。
『彼、ゼヴェルトによく似てきたね』
「…似ていない」
「ん?」
彼のような道を、辿らせるものか。
ギルディアスは髪を止めていたピンを外しながら、やはり義父と似た笑みで笑う。
懐かしくないわけがない。
そんなこと、自分が、一番。
明日から、またいつもの仕事と騒がしい日常が始まる。
当たり前が当たり前にあるという安心。
重さを増していく瞼に、ライミリアンはゆっくりと目を閉じた。