3-1・手紙
3・手紙
「・・・」
手元でバチっと火花が飛び、ギルディアスは変形したそれを素早く薬品に漬けた。
ゴーグルを額にずらすと、止まっていた息を勢いよく吐き出す。
彼の薄暗い作業部屋には、蒸気をリズミカルに吐き出す機械の音が響くだけだ。
繊細な作業をしているのかと思いきや、今度は上の棚に手を伸ばし、手探りで太い金属線を掴み降ろした。
右足を机にかけるような格好でそれを踏み付けると、力技で曲げ始める。
…と、その揺れで机の上の物がカタリと音を鳴らした。
不穏な空気は的中し、引っ張られるように一直線に転がり始める。
「待っ…だだだだ…っ」
ギルディアスが伸ばす手も虚しく、机の端を飛び出して。
ーガシャンッ…!!!
音こそ小さいが、床の上で確かに何かが破損した音が響いた。あちゃぁと声をあげ、ギルディアスは慌てて駆け寄る。
「…、っ…!?」
しかし落ちた物を拾い上げた途端、その目が見開かれた。
彼は幽霊でも見たかのような表情で固まり、薄く唇を動かす。
「…開いた…」
無意識のままに、ぽつり、と呟いて。
「…開いた!!!」
「開いたぁぁ!!!」
「ええええい喧しい!!扉を壊す気か!!」
机に書類を叩きつけながら、ライミリアンが立ち上がる。
「何でお前が向こう道にいる辺りから既に声が聞こえるんだ!!」
「らららライア!!開いた!!」
迷惑な勢いはいつものことだが、ギルディアスは相手の二の腕に掴みかかるようにして息を荒げる。
その様子に流石のライミリアンも眉を顰め、彼の差し出す物を見た。
「な」
そして、同じく言葉を詰まらせた。
決まった操作を行うことでしか開かない箱を『秘密箱』という。中でもより高度な物は、無理矢理破壊した場合、中の物が駄目になる仕掛けが施されている。
ギルディアスが手にする物もその一つではあったが、作った人間が人間だけに、秘密箱の域を超えたものだった。
高度過ぎるカラクリ仕掛けで封じられた箱。
製作者の名を、知らぬ者はいない。
ゼヴェルト。
チェンバレンの発明家であり、…ギルディアスの義父だ。
「…長い間、最後の一手が解らないと言っていたのに、遂に解けたのか?」
信じられないといった表情で問う。
「いや、落とした「とりあえず墓前で土下座して来い」
感慨に耽る手前で、凄まじい勢いで現実に引き戻された。
彼らしいと言ってしまえばそれまでだが、故人に顔向けできないにも程がある。
じろりと睨まれ、ギルディアスは引きつった笑みで肩を竦めた。
「ま、とりあえず親父が何を残したのか見てみなくちゃ」
「まだ見てないのか?」
「なんで?ライアと見なきゃ意味ないじゃん」
言うが早いか、机の上で箱を逆さにする。
軽い音を立て、一つの鍵と、小さく丸められた二つの巻紙が転がった。
紙の一つには『ギルディアスへ』とタグが付いている。手紙のようだ。
懐かしいその字にギルディアスは一瞬躊躇い、そして手に取った。
《ギルディアス
これを読んでいるということは、君は才能通りの発明家になっているのだろう。
おめでとう。正直八割ダメだと思っていた》
「…」
「…ほら、運も才能のうち…?」
物は言いようだと突っ込みたいのを置いておいて、顎で先を促す。
《長くは書けないから、本題に入ろう。
君が発明家になったとき、必ず立ち塞がる障壁について。いや、もうその前にいるのかもしれないけれど、僕から一つの道標を遺したい》
二人は無言だった。
当然、ゼヴェルトは生きているうちにこの仕掛けを作った。
しかし彼は既にはっきりと予感していたのだ。自身の死を。
そのことに、言葉にし難いやる瀬無さが押し寄せる。
《その鍵は、会議堂の地下の書庫。第六部屋の鍵だ。開かずの間となっているけれど、僕の集めた物はそこにある》
「…あの部屋か」
ライミリアンがぽつりと呟いた。通ったとこはあるが、特に疑いを持ったこともない、古びた書庫の一つだった。
「どーりで見つからなかったわけだ。親父が言っていた革命書ってやつが」
街を変えるために、発明は道具に過ぎない。ゼヴェルトの口癖だった。
組織から動かすためには、その構造を熟知せねばならない。そうでないと、老官に敵わないのだと。
集めた知識は当然、裏に関することが多くなった。その結果、自分の命が危険に晒されることを知りながら。
《本当は、君には足を踏み入れて欲しくない。僕の存在が君にそうさせているのなら、僕は死ぬに死に切れない。だから、こんなに回りくどいことをした。
これを解いた時点で、君の意志は定まっているのだろうから。
心から誇りに思うよ。君なら成し遂げる。僕の自慢の息子、ギルディアス》
彼らしい締め括りを読み終え、二人は顔を見合わせた。
「…おじさんらしいな」
ライミリアンも、ギルディアスと同様彼と過ごしてきた幼少期がある。
ギルディアスの意志を、尊重するための壮大な仕掛け。彼は本当に、天才だったのだ。
「これを解く間、何度も『親父が俺に遊びながら教えた仕掛け』が出てきてさ。俺しか解けねぇじゃんって思ったんだけど」
自分の意志を継いでもらうことは目的ではなかったから。意図的に、たった一人にしか解けないようにして。
「あ、続きがある」
《追伸:もう一つの手紙は、今のチェンバレンの街長へ渡しなさい。書庫へ行くには、街長さんの許可がいるからね。上手く書いておいたから役に立つと思う》
「…だってさ」
「そりゃどうも」
目の前にいるという、まさかの最短ルートで手紙を受け取る。
ギルディアスも緊張していたのだろう、少し肩の力を抜くと、静かに笑った。
「なーんか喉渇いたな。水もらってもいい?」
「勝手に使え」
そりゃあんなに叫べば喉も渇くだろう。取りに行く背中を見送って、ライミリアンはこっそりと微笑んだ。
羨ましいとは思わない。養子であるのは確かにギルディアスだ。やはり最期まで、考えるのは彼のことだったのだろう。
街長に充てられた手紙の紐に指を掛けた。
これを自分が見れるだけでも、自分が選んで進んできたものが間違いではなかったと思える。
しゅるりと解いて、その紙を開く。
そんなことを考えていただけだったから。
何も予期していなかったから、ライミリアンは次の衝撃に、暫く呼吸を忘れた。