白銀の騎士
覚悟をもって見捨てたはずだったのだが。
見捨てないという選択肢もあったのだ、とアルフレッドの持ち込んだ研究資料に打ちのめされた。
私にもう少し勇気があったのなら。
私に少し知恵があったのなら。
私に行動力があったのなら。
病に感染した『見知らぬ誰か』ではなく、『ロイネ』は助かったかもしれない。
ロイネの子どものテオも、もしかしたら生きていたかもしれない。
あの慰霊祭に灯された魂鎮めの灯も、ゼロには出来なくとも半分ぐらいには減らせたかもしれない。
そんな未来を、あの研究資料に突きつけられた。
私が選択しなかった未来だ。
私が見捨てた未来だ。
「ひ……っ!?」
女の白い腕に首を掴まれた瞬間、夢から目が覚めた。
真っ暗な世界に、天井よりも先に私を覗き込んでいるようなジンベーの顔が見える。
この巨大なぬいぐるみはベッドの上を定位置とし、ほとんど枕代わりに使っているため、自然と目が覚めると最初に目に入るものとなっていた。
「……やな夢みた」
研究資料に書かれた日本語を見てから、ずっとだ。
隔離区画で帰らぬ人となった患者たちが夢に出てきて、私に囁く。
自分たちを見捨てたのか、と。
……ロイネさんたちなら、あんなこと言わないのにね。
病を街に持ち帰ったジャン=ジャックを恨みもしたが、最後には許していたように思う。
本当に何も思うことがなかったとは思わないが、細やかにジャン=ジャックの世話をしてくれていたはずだ。
ロイネの最期の顔は、とても穏やかなものだった。
恨みを残した顔だとは、どうしても思えない。
……私が決めていいことじゃ、ないんだけどね。
私は助けられる可能性に蓋をした。
どう言い繕ったところで、ロイネたちを見捨てたのだ。
このまま寝直す気になれず、ベッドから下りて窓辺へと近づく。
子どもの私は就寝時間が早いので、時間としてはまだそんなに遅い時間ではない。
ジャスパーなら夜食を食べて写本作業をしている時間かもしれなかったし、レオナルドも床につくかどうかといった時間だろう。
……レオナルドさんのトコで寝よ。
アルフレッドが館に滞在するようになってからというもの、警備のためかレオナルドは毎晩帰宅している。
というよりも、逆に昼間も仕事を館へと持ち込んでいるようだった。
一国の王子が滞在しているのに、護衛につれた騎士が二人というのは警備が少なすぎるのだろう。
常にアルフかレオナルドのどちらかが館にいる状態が続いていた。
古い枕カバーで作った不細工な猫枕を抱いて階段を下りる。
さすがにジンベーは大きすぎて、枕として抱き運ぶことはできない。
暗い廊下を恐々と歩いていると、なんとなく視線を感じて振り返る。
「……ひっ!?」
暗闇に浮かんだ人の顔に、口から心臓が飛び出るかと思った。
が、よくよく見れば暗闇に浮かんだ顔には見覚えがあり、少し冷静さを取り戻してみれば顔が浮いているのではなく、彼の身長から顔があるのがあの位置なだけだと思い至る。
間違っても顔だけのおばけではない。
「アーロンさまれしたか。びっくりしましら」
「……物音がしたので」
今夜も真面目に警備をしていたのだが、階段を下りてくる私の足音に気が付いて様子を見に来たのだろう。
私なら館の住人だが、それ以外の侵入者であった場合に警備の騎士として働くために。
「夜遅くまでお疲れさまれす」
「子どもは眠っている時間のはずだ」
「変な夢を見たのれ、レオにゃルドさんのトコに泊めてもらおうと思ったんれすよ」
「客間に行くのでなければ良い。早く行け」
警備中の場所に近づくのでなければ好きにしろ、ということらしい。
警備の人間としてそれもどうかと思うのだが、私を不審者や侵入者として疑ったところで意味は無いので、話が早くて助かると思っておく。
アーロンとわかれて廊下を進むと、レオナルドの私室からは明かりが少し漏れていた。
本来なら毎日は帰宅しないレオナルドがほとんど館にいるのだ。
仕事が片付かないのも、仕方が無いことかもしれなかった。
ノックをすると、少し待ってドアが開かれる。
中から出てきたレオナルドは、猫枕持参の私に苦笑を浮かべたあと、快く中へと迎え入れてくれた。
「そろそろメンヒシュミ教会での授業も終わりだな」
朝食の時間だが、食堂にいるのは私とレオナルドだけだ。
館に滞在している人間は増えたが、お貴族様ことアルフレッドは好きな時間に起きてくるし、護衛の騎士たちは食堂で食事など取らない。
ジャスパーは写本作業の間は監禁されているようなものなので、客間で食事を取っている。
あまり人が増えた気がしないのが正直なところだ。
「ティナが望むのなら、そのまま基礎知識2と3の授業を受け続けてもいいぞ」
「……覚えた方がいいれすか?」
「覚えておいて邪魔になるものでもないしな」
レオナルドのお勧めとしては、覚えておいた方が良いようだ。
基本の文字と簡単な単語を覚えたので、本当に幼い子ども向けの本なら読めるようになったが、書斎にある本を読むことはまだできないし、自分で自由に文章を書くこともできない。
特に書斎にはたくさんの本があるのだから、アレを読めないのはもったいない気がした。
保護者とこんな話をした、と午後のメンヒシュミ教会で話してみたところ、エルケとペトロナは春から基礎知識2を学ぶ予定だと教えてくれた。
農閑期の冬は近くの農村から多く子どもが教室へと来るようで、街の子どもたちは暗黙の了解として冬は通わないようにしているらしい。
ミルシェはテオ次第ということだったが、テオは冬にもう一度基礎知識1を学ぶ予定になっている。
ようやく真面目に学び始めたテオは、秋の始めはまだ問題児だったので授業を聞き逃しているものが多いのだ。
……街の子は冬は遠慮するっていうなら、私も春からにしようかなぁ?
そうすると、冬に街を離れられない用事が無くなるので、レオナルドの出張へもついて行けるかもしれない。
特について行きたいというわけではないが、今の館で冬の半分もレオナルドがいなくなると思うと、周囲は他人だらけになってしまって少し嫌だ。
バルトたちの暮らす離れに住んで良いのならお留守番をしたいが、屋根裏を使うことすら難色を示すレオナルドが、私が離れに寝泊りすることを許可するわけがない。
「じゃあ、春からみんな基礎知識2の教室れすね」
そう結論付けると、背後で聞いていたニルスがホッと安堵の溜息をつくのが聞こえた。
なにかあるのか、と聞いてみたところ、私に引っ張られる形でようやくテオが勉強する気になったので、私が教室に来るうちにテオに勉強をさせたいと教師の中で話題になっていたらしかった。
どうやらテオは、悪童を卒業しても教師たちの悩みの種になっているらしい。
……増えてる。
コクまろを連れたバルトの迎えで館に帰ると、白い制服の騎士が四人増えていた。
一応自分の家だというのに、館へ入るのにも初対面の騎士に誰何をされるという不思議体験中だ。
……私の方こそ、おまえは誰だ。うちに何の用だ、と聞きたい。
何の用だと聞いたところで、彼らにしてみればアルフレッドの護衛なのだろうが。
「なんれ増えてるんれすか?」
私の顔を知らない騎士が、確認のためにレオナルドの元へと走る。
時間の無駄だと思うし、何故自分の家に入るのを止められるのかも意味がわからない。
……やっぱ、冬はレオナルドさんと旅行ってのも、真面目に考えた方がいいかもね。
そんなことを考えていると、バルトが騎士は増えたのではなく、本来の護衛の数になったのだ、と教えてくれた。
アルフレッドの言によると、アルフに逢えると逸る想いに自分の愛馬が応え、風よりも早く山や谷を駆け抜けてきたらしい。
……それ護衛の騎士的には、護衛対象が護衛を放置して単騎特攻のうえグルノールの街まで駆け抜けてしまった、って言わないかな。
アルフレッドの護衛は大変そうである。
単騎特攻をかます王子に一番問題があるが、アルフレッドに撒かれる護衛もどうかと思う。
さすがは『門番以外は任せられない』と言われる『お飾り』の白騎士である。
……あれ?
「王子様の護衛にゃのに、白騎士に任せて大丈夫なんれすか?」
「俺たちは白騎士じゃないぞ、嬢ちゃん」
玄関扉が開かれたと思ったら、ぬっと白い制服の中年騎士が顔を出した。
顔は厳つい強面なのだが金色の髪はふわりと柔らかく、重そうな筋肉を鎧のように纏っていて男らしい。
鼻の下に整えられた髭も、なかなかに似合っていた。
……これで身長があったら、素敵なおじさまってことでモテそうなんだけどね。
残念なことに、中年騎士には圧倒的なまでに身長が足りない。
足が短いのだ。
「ほら、見てみろ。マントの留め金やボタンの色を」
「ボタンの色れすか?」
促されて良く観察してみると、中年騎士のマントの留め金やボタンは白銀で出来ていた。
白い制服を着ているので勝手に白騎士なのだろうと思っていたが、白銀を使ったボタンで見分けろというのだから、これが白銀の騎士の意匠なのだろう。
「おじさんたちは白銀の騎士様なんれすか?」
「そうだぞ。一番強い白銀の騎士だから、王子の護衛についている。……俺はジークヴァルト。嬢ちゃんが噂のレオ坊の妹か。聞いてたより小さいな」
……どこでどんな噂になってるんだろう。
初対面のはずの騎士から『噂の』と頭に付けられることが多い気がする。
レオナルドが有名人なせいだとは思うのだが、どこでどんな噂になっているのかがわからないので少し落ちつかない。
……マントの長さがアルフさんと同じだ。ってことは、副団長さんかな?
顔は強面なのだが、ジークヴァルトは朗らかに笑う。
なんとなく人の良さそうなおじさんだな、と少しだけ安心した。
「こんにちは、はじめまして。わたしはティナれす。ジークヴァルちょしゃ、ま……?」
名乗ってくれたのでこちらも、と姿勢を正して挨拶してみたのだが、やっぱり噛んだ。
最近噛む回数が減ってきてはいるが、初対面の人に挨拶をする時など、なかなか格好良く決まってくれない。
「ジークでいいぞ。……それにしても、あんまり似てないな」
「レオにゃルドさんとは他人れすからね」
「うん?」
まじまじと顔を覗き込まれて『似ていない』と言われたので、こちらも正直に返した。
どんな噂になっているのかは判らなかったが、とりあえずジークヴァルトは私とレオナルドを血の繋がった兄妹だと思っていたようだ。
名づけ親繋がりの兄と妹だ、と説明すると、ジークヴァルトは背後を見上げる。
廊下や天井、階段があって姿は見えないが、レオナルドを振り返っているのだろう。
呆れているのかもしれない。
「恩人の遺児を妹にしたのか……そりゃ、大事にされるわな」
「甘やかしすぎらと思います」
「レオ坊は孤児院からずっと一人だったからな。どんな繋がりであれ、家族ができて嬉しかったんだろ。せいぜい甘えて困らせてやるといい」
嫁に行く時に苦労しそうだな、とジークヴァルトは苦笑しながら肩を竦める。
いくらなんでも先の話すぎると笑い飛ばそうとしたのだが、そのさまが想像できすぎて頬が引き攣った。
レオナルドの現在の溺愛っぷりを思うに、絶対に荒れる。
私に恋人とかお婿さんとかができたら、間違いなく拗ねるか荒れるか怒るか逃げる。
……私のお婿さんの絶対条件って、レオナルドさんより強い人、ですかね。
きっと『妹を嫁にしたくば俺を倒していけ』とかレオナルドが言い出す気がした。
いや、言う。絶対に。
唐突に浮かんだ未来予想図に、思ったままをバルトに相談すると、横で聞いていたジークヴァルトがついに噴出した。
そして、レオナルドより強い人間の心当たりを数人紹介してくれる。
そのすべてが、今日館に到着したばかりの白銀の騎士たちだった。
……みんな私より年上じゃん!
今館にいる白銀の騎士というと、当然のことながら全員私より年上だ。
私が年頃になった頃には、お嫁さんどころか子持ちになっている可能性だってある。
私の旦那様候補としては、考えるだけ無駄だった。
白銀の騎士たちの護衛対象は、正確にはアルフレッドではなかった。
アルフレッド王子が大事に懐へ抱いて運んでいた物こそが、その護衛対象だったらしい。
聖人ユウタ・ヒラガの研究資料原本がそれだ。
研究資料の護衛のために館へと到着した白銀の騎士は、写本が終わるまで館へと滞在することになる。
当然一国の王子がそのような長い期間滞在することは出来ないので、それならば早く着けばそれだけ長くアルフと共にいられる、とアルフレッドは単機特攻を仕掛けてきたとのことだった。
……アルフレッド様の暴走について来れちゃうティモン様とアーロン様がすごい人だ、ってのは解った。
アルフレッドの到着とジークヴァルトの到着には数日の開きがある。
アルフレッドのアルフへの愛は、馬での移動時間で数日を稼げるぐらいに情熱的だったのだ。
……付き合わされる騎士が大変だぁ。
そして、研究資料原本護衛の白銀の騎士が館に到着したため、アルフレッドの使者としての仕事は終わったということになる。
アルフレッドの帰還が決定して、アルフは見て判るほどに顔色が良くなった。
レオナルドは一応馬車を用意しようとしていたのだが、見送りのアルフを見えなくなるまで見つめていたいから、という理解し難い理由でアルフレッドはこれを断る。
一国の王子として、見栄えとかは気にしなくて良いのだろうか。
そうこっそり聞いたところ、王子としてではなく、白銀の騎士としてグルノールへと荷物を運んできたので良いらしい。
……アルフレッド様って、王子さまなのに白銀の騎士だったんだね。
実のところ、どこからどこまでが本気で本当の内容なのか、よくわからない。
悪い人ではないのだが、掴みどころがなくて少し苦手だ。
しばし馬上の人となったアルフレッドを見ていると、なんとなく視線を感じてアーロンに視線を移す。
アルフレッドと共に館へとやって来たアーロンとティモンは、来た時と同じようにアルフレッドの護衛として王都へ帰還することになっていた。
滞在中、ほとんど会話らしい会話をしなかったアーロンだったのだが、何か私に言いたいことでもあるのだろうか。
なんとなく物言いたげな雰囲気を感じて、じっとアーロンが口を開くのを待ってみた。
「……なんれすか?」
物言いたげな視線で無言のまま固まっているアーロンに、首を傾げる。
必要なこと以外ほとんどしゃべらないアーロンだったが、緑色の瞳は結構表情が豊かだ。
食事時は無言なのだが、おそらくは好物だと思われる鶏肉料理が出された際にはこの緑色の瞳が輝く。
レオナルドの口に入らなかったので、と作り直した竜田揚げを食べた際にも瞳を輝かせていたので、竜田揚げは気にいったと思って良いだろう。
しばし待ってみたのだが、アーロンは何も言わない。
そのうち焦れたのか、ティモンが近づいてきて勝手にアーロンの表情解説をしてくれた。
「これは妹を嫁にすればレオナルドが自分の義兄になる、と企んでいる悪い顔だ」
そうティモンに説明された途端、レオナルドに抱き上げられてコートの中へと隠された。
瞬く間もなかった。
本当に一瞬の出来事だ。
あとはもう、ずっとコートの中に包まれていた。
アルフレッドもアーロンも見送ることはできない。
ずっと抱き隠されたまま、去っていく三人を見送るはめになった。
……ジークヴァルト様の心配、これ絶対当たってるよ。私、お嫁にいくの大変っ! レオナルドさんより強い人見つけなきゃだよ。
冗談交じりだったジークヴァルトの心配は、将来必ず起こり得る未来だ。
結局館へ入るまで私を抱き隠していたレオナルドに、そう確信した。
ティナは王都には変人しかいないと理解した。
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、気がついたところは修正しました。
あと、ちょこちょこ加筆して整えてます。




