セークとリバーシ
目が覚めたらベッドの上だった。
より正確に言うのなら、ベッドの上に置かれた熊のぬいぐるみの足の上だった。
この『ジンベー』と名付けたぬいぐるみは、とにかくデカイ。
非常識なレベルでデカイ。
座った状態でもレオナルドの顎近くに頭があり、足を伸ばして立たせれば天井にまで頭が届きそうな大きさをしていた。
その天井も、日本家屋の天井とは高さのレベルが違う。
いわゆるお邸だからか、この世界の家屋の基本的天井の高さがコレなのかは判らないが、背の高いレオナルドが手を伸ばしたとしても天井へは手が届かない。
そのぐらい大きなぬいぐるみの足は、幼児の体格からしたら抱き枕のようなものだ。
……なんでベッドの上? いつ寝たっけ?
いつの間にか抱きしめていた太い足の上で目を覚まし、完全には回っていない頭で状況を整理する。
たしか、理不尽とまでは言わないが、納得のいかない理由でレオナルドに怒られた。
これは黙っていられないぞ、と抗議した。
言葉では通じないと、全身を使って猛烈な抗議活動を行った。
具体的に思いだすのなら、椅子に立ってクッションを振り回した。
それだけでは満足せず、レオナルドの顔を叩いた。
いくら叩いても効果がなかったので、ついには爪を立てて引っ掻いた。
両手を封じられたので足も使った。
つま先の強化された靴で蹴ってやろうと足を振り上げ――
……子どもかっ!?
己の行動を振り返り、あまりにも子どもらしすぎる行動に悶絶する。
今は幼児なのだから子どもらしく暴れても良いのかもしれないが、既に自負でしかないとはいえ元成人した人間だ。
大人の自分が、言葉が通じないからといって子どものように腕力頼りに暴れまわっただなんて、思いだすだけでも恥ずかしい。
……いや、あれはレオナルドさんが悪いっ! 私は何度もカーヤがおかしいって言ってきたもん。ちゃんと聞かないで、カーヤが悪いのに私を怒るレオナルドさんが悪いっ!
自分でも道理は通っていると思うのだが、最終的な行動が子どものそれと同じすぎて、なんとも言えないむず痒さと恥ずかしさで身悶える。
それから気が付いた。
入った覚えのないベッドで寝ていたのだから、誰かが私をベッドまで運んだのだろう。
直前まで話をしていた私を、レオナルドが他人に任せるとは思えない。
ということは、クッションで殴られ、拳で叩かれ、爪で引っ掻かれた上に鳩尾へと膝蹴りを加えられながらも、レオナルドが私をベッドまで運んでくれたのだろう。
……フリーダム過ぎだよ、私っ! 次にどんな顔してレオナルドさんに会えばいいのっ!?
申し訳なさ過ぎる、と枕にしていたジンベーの足に顔を押し付けると、遠慮がちなノックが聞こえた。
「……ティナ?」
……レオナルドさん来たー!? 今、顔を合わせたくないランキング一位のレオナルドさん来たっ!
顔を合わせづらいのは完全に自分の責任なのだが、遠慮がちなレオナルドの声に答えることができず、息を潜める。
恥ずかしすぎて、顔を合わせることができなかった。
「ティナ? 起きたのか? 入るぞ」
「寝てましゅっ!」
ノブの回る音に、咄嗟にそう答えていた。
寝ているので起こさないでください、と叫んでシーツを頭から被る。
実に元気すぎる狸寝入りであった。
……あれ?
判りやすい狸寝入りだったはずだが、レオナルドは「寝ているのか」と言って去っていった。
耳を澄ませると、遠ざかるレオナルドの足音が聞こえる。
……お説教の続き、じゃなかったのかな?
起きていると判っているはずなのに、レオナルドは部屋へ入ってこなかった。
なんとなく不思議に思い、ベッドから下りて扉へと張り付く。
扉に耳をくっつけて目を閉じると、階段を下りるレオナルドの足音が聞こえた。
……行っちゃった? 何しに来たんだろう?
疑問ではあるが、都合がいい。
とにかく今は恥ずかしすぎて顔もまともに見られないぐらいだ。
もう少し私の気分が落ち着くまで、レオナルドのことは避けたい。
レオナルドならどうせすぐに仕事で砦へと行くのだから、と安心して夕食の時間に食堂へと下りていったら、何故かレオナルドがいた。
レオナルドが朝帰ってきた日に、夕方も館にいるのは珍しい。
……あれ? お仕事は? 今日は一日お休みだった?
祭りの翌日だから休みだ、と言われても納得するし、休みの翌日だからこそ仕事が忙しい、と言われても納得する。
仕事とはそういうものだ。
……変だな?
なんとなく居心地が悪く、チラチラとレオナルドの顔を盗み見る。
あちらは無言で夕食を食べているので、変に意識しているのは私だけだ。
……あ、私が引っ掻いた傷。
時折レオナルドの頬が引きつるのに気がつき、じっと見つめる。
よく見ると、レオナルドの頬は赤い蚯蚓腫れだらけだった。
「……だいじょうぶれすか?」
顔中の蚯蚓腫れが気になり、気恥ずかしさも忘れて声をかける。
食事中に突然声をかけられたレオナルドはというと、少し驚いたように目を丸くして、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
「ティナが薬を塗ってくれるか?」
「辛子なら塗ってあげましゅ」
レオナルドの笑みが妙に腹立たしくて、つい憎まれ口をきいてしまう。
言ってしまってから恥ずかしくなり、ぷいっと顔を背けたら「まだ怒っているのか?」とレオナルドが言った。
子どものように暴れたのが恥ずかしくて顔を合わせづらいだけなのだが、レオナルドには怒って無視していると思われていたらしい。
「別に、怒っれませんにょ」
腹も立てていたし、カーヤについてろくな対応をしてくれなかったことに苛立ってもいたが。
我ながらかなり暴れたと思うので、自分でも呆れるほどすっきりしている。
……ただ、すごく恥ずかしいけどね。
言葉が通じないから全力で暴れるなど、本当に子どもと一緒だ。
今日の私の暴れっぷりを振り返れば、自分の中では筋の通った怒りであったはずなのだが、子どもの駄々と同じすぎる。
大人を自負するのなら、最後まで暴力に訴えるべきではなかった。
「そうか、怒っていないのか」
そう言ってホッと息をはいたレオナルドが、今夜は一緒に寝ようと言い出したので、臭いから嫌です、とお断りする。
本当に酷い臭いがするわけではないが、大人の男性の汗臭さは少し苦手だ。
「……やっぱり怒っているだろう」
「レオにゃルドさんと寝ないのは、前かられすよ」
オレリアの家ではベッドが一つしかないので一緒に寝ていたが、館に来てからは基本的には一人で寝ている。
あくまで基本的には、なのでたまに一緒に寝ることもなくはないが。
「じゃあ、今日は一緒に風呂に入るか」
風呂で汗を流せば臭くないだろう、と続けたレオナルドに、女の子は男の人と一緒にお風呂なんて入りません、と断った。
街に風呂文化は確かに根付いていたが、風呂のタイミングは日本のように夜という固定観念はないようだった。
オレリアの家では私が夕食を作っている時間にレオナルドが風呂を沸かしていたので、入浴は常に就寝前だったが、街では違う。
レオナルドの行動に合わせてタビサとバルトが風呂を準備するので、レオナルドの入浴時間は朝が多い。
特に夏場は、夜は全裸で寝て、寝汗を朝風呂で流しているらしかった。
……いくら幼女でも、全裸の成人男性と一緒に寝るとか嫌です。
無理を通り越して嫌だ。
そこだけは断固お断りする。
「今日あしつこいれすね。ろうしました?」
「カーヤの件ではろくに話を聞いてやらずにティナを傷つけたからな」
お詫びにいっぱい甘やかせてやろう、と思ってのお誘いらしい。
男児ならそれでも喜んだかもしれないが、女児に一緒に寝よう、風呂に入ろうは逆効果だと思う。
「お詫びなんれ、べつにいいれすよ。でも、次はちゃんとわたしの言うころ、信じてくらしゃいね」
私だって、大人と子どもの言うことなら、大人の言葉を信じてしまうと思う。
真実を言っているはずの子どもは傷つくが、上手く伝えられない子どもの言葉と、嘘で固められていたとしても判りやすい大人の言葉では、大人は後者を信じてしまうだろう。
子どもの言うことを頭から全部信じるなんて、実の親であっても難しいはずだ。
「だいたい、満足にしゃべれないわたしが、わざわざ嘘にゃんてつくわけないやないれすか」
「そうだな。反省している」
皿を横に避けて、レオナルドが小さく頭を下げたので、私もそれに倣って頭を下げる。
「わたしも、おもいっきい引っ掻いれごめんにゃさい」
活かされるかはまだ判らないが、一応の反省をしてくれたようなので、これ以上カーヤの話題に触れるのは止めることにした。
というよりも、カーヤについては思いだすだけでムカムカとしてくるので、健康によろしくない。
カーヤがおかしいと解ってくれたのなら、今度はレオナルドもそれなりの対応をしてくれるだろう。
「……お風呂のあとれなら、いっしょに寝てもいいれすよ」
ジンベーの足枕の使い心地を堪能させてあげます、と言ったら、レオナルドは苦笑いを浮かべた。
就寝までの時間は、久しぶりにたっぷり相手をしてもらった。
普段は食事を一緒に取ったりだとか、少しの時間話しをしたりするだけなので、夕食後の就寝までの時間すべてをレオナルドと過ごすことはほとんどない。
長椅子に寝そべって本を読んでもらったり、トランプだと思うのだが名前は『ウプナロット』というカードを使った遊びを教えてもらったりした。
……カードの数が違って、わけがわからないよっ!
ウプナロットはパッと見ただけではトランプだと思うのだが、枚数が日本のトランプと違う。
三十六枚と、日本のトランプよりも少ない。
カードを使ったゲーム自体は似たものもあるのだが、数の違いから勝手までが違って思え、ルールを教えてくれるレオナルドが手加減をしているのは判るのだが、まったく勝てなかった。
……ババ抜きとか七並べぐらいしかできそうにないよ!
どちらも二人で遊ぶには物足りない遊びだ。
「ウプナロットきらーいっ!」
結局一度も勝てずに、カードを苛立ち紛れにばら撒く。
子どもの短気となにも変わらないが、今は子どもなのでよしとする。
何事も我慢のしすぎはよろしくない。
カーヤのことで、それを学んだ。
苦笑いを浮かべてカードを拾い集めるレオナルドに、カードをばら撒くことで発散した私もカードを拾い集めた。
全部をレオナルドの手に集めると、最後に数をかぞえて箱へと片付ける。
ウプナロットは合わなかったようなので、と次にレオナルドが出したゲームはチェス盤に似ていた。
セークと呼ぶらしいこのゲームは、縦横八マスの盤面に、王や騎士に見立てたコマを置いて戦をする。
王のコマを取れば勝ちになるというので、名前が違うだけでチェスと考えて間違いはないだろう。
「司祭さまはななめ……? あえ?」
「司祭のコマは斜めにどこまでも行けるぞ」
コマの動かし方を説明されるのだが、コマの種類によって動かし方も違うようでなかなか覚えられない。
ただ動かし方さえ覚えればなんとかなるので、ウプナロットよりはまだ遊べそうな気がする。
手加減をされて五戦目でようやく一回勝つことができた。
……コマの動かし方は覚えたけど、強くなれる気はしないね。
リバーシならルールが単純で誰にでもできると思うのだが。
リバーシっぽいゲームはないのだろうか、とレオナルドに聞いてみたら、どんなものかと説明を求められた。
「マスの数はセークと同じれ、コマがうらとおもれれ色が違っれ、同じ色れ挟んでひっくりかえしれ……」
身振り手振りで伝えてみたが、リバーシと似たゲームはないらしい。
説明がてら紙でコマを作って遊んでみたら、ルールが単純なのでレオナルドもすぐに出来るようになった。
眠くなるまで延々リバーシに付き合わせるのはさすがにどうかと思ったのだが、気にしなくていいと言われたので遠慮なく付き合ってもらう。
レオナルドとゆっくり過ごすことなど滅多にできないので、明日の寝不足ぐらい我慢していただこう。
……カーヤの件の埋め合わせみたいだしね。
セーク盤と一緒に紙で作ったリバーシのコマ片付けると、ベッドへと入る。
ジンベーの足は二本あるので、二人で寝ても枕は二つあるようなものなので不自由はない。
「……そんな姿勢で眠れるのか?」
「かいてき?」
ジンベーの足の上に跨り、抱き枕の要領でしがみつく。
ほとんどベッドで眠るとは言いがたい姿勢なのだが、ジンベーが大きいのだから仕方がない。
枕にするには高過ぎるし、お腹を枕にしようとしたら背もたれにしかならないのがジンベーの洒落にならない大きさだ。
「この大きさ、好きれすよ。どーんとしていれ、安心しましゅ」
「大きいのが好きなのか?」
「ジンベーはお気に入りれすが、もうこんなに大きいにょ、買ってこにゃいれくらさいね」
大きすぎて邪魔です、と正直に言うと、レオナルドもサイズ感から『邪魔』という評価に納得したらしかった。
一応「解った」と答えてくれたので、信じてみようと思う。
ジンベーの足を枕にしようと寝転がり、高過ぎる枕にレオナルドは眉を顰める。
私と同じ姿勢ならばいけるだろうか、と足にも抱きついてみたが、私には丁度良い抱き枕サイズの足は、レオナルドには小さすぎた。
何度か場所を調整し、最終的にレオナルドはジンベーの腹枕で寝ることにしたらしい。
ジンベーのお腹にもたれかかって眠るので、好みにもよるが寝心地は良さそうだ。
レオナルドが軽く瞼を閉じるのを確認して、私も目を閉じる。
よく考えたら昨日の朝も一緒に寝たはずなのだが、一緒に寝るのが随分久しぶりのような気がした。
アルフ:傷口に塩を塗りこむ系青年
ティナ:傷口に辛子を塗りたい系幼女
今回マスの数を確認しようと検索したら、オセロが商標だと初めて知った……。
そんな理由でリバーシ。
オセロが普通の名前で、リバーシはちょっと斜に構えたお洒落さんが使う言葉だとばかり思ってた……orz




