次男視点:いつかどこかの未来
2017年8月に活動報告へ上げたIFもののSSです。
……あれ?
そう思ったのは一瞬だった。
おぎゃあと生まれて、光の中へと投げ出される。
周囲から父母や産婆の声だと思われる様々な声が聞こえて来るのだが、何も見えない。
……赤ん坊は目がよく見えないって聞くけど、まあ猫だって生まれてすぐには目を開けてないしな?
こんなものか、と思いつつ、周囲の声に耳を澄ませる。
雰囲気としては和やかで赤ん坊の誕生を喜んでいるのだろうことがわかるのだが、それ以外はさっぱり聞き取れない。
聞き取れないというよりも、言語そのものが違う感じだ。
……え? まさか今流行りの異世界転生ってやつか!?
それにしたって言葉がまったく理解できないのは困る。
そう途方にくれていたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
少し目が見えるようになってくると、母の髪の色は黒かったし、兄と思われる男の子の髪も黒かった。
そしてなにより、母は兄と話している時にだけ日本語を使っていたのだ。
……異世界転生じゃなくて、日本人の母親が外国にいるか、父親が外国人なんだな。
母と兄の言葉以外がわからないことをそう理解すると、少し気が楽になった。
周囲の言葉が外国語だというのなら、これから覚えていけば良い。
なにしろ今の自分は赤子なのだから、その柔らかい頭でどんどん周囲の情報を飲み込んでいくことだろう。
……あ、目が合った。
兄の青い目とばっちり目が合い、日本人の性としてつい愛想笑いを浮かべる。
赤ん坊の愛想笑いなど、ちゃんと笑えているのかそれ自体謎だったが、自分としては笑っているつもりだ。
「かあさん、ジローはてんせいしゃだって」
「え!?」
……え!?
兄の口から発せられた若干舌っ足らずな言葉に、俺の内心と母親の声が重なる。
この頃はもう視界も大分明瞭で、将来イケメンに成長することが約束されたような顔立ちの兄と、可愛い美人といった顔をした母親に、自分の顔にも少し期待が持てた。
前世はどう評価を甘くしても清潔感のあるモブ顔止まりであったため、イケメンに生まれるという体験はしたことがなかったのだ。
……いや、前世の記憶がある、って体験も初めてだけどな。
今生の俺の名前は少し長い。
そのせいか、家族は俺を『ジロー』と呼ぶ。
てっきり愛称なのかと思っていたのだが、『転生者』という概念があって、母が日本語使っているということは、次男だから『次郎』なのだろう。
その割りに、兄が『太郎』と呼ばれている気配はない。
「お兄ちゃんはどうしてジローが転生者だと思うの?」
「精霊がそう言ってる」
……え? この世界、精霊とかいんの?
見てみたい! と思った瞬間に世界が変わった。
パッと視界が開けたというのだろうか、世界が一段階明るくなった気がする。
そして、その開けた視界には兄が『精霊』と呼んだ存在と思われるものがそこかしこに潜んでいた。
……スゲー! 本物の精霊だっ! やっぱファンタジーな世界に異世界転生かよっ!!
首が動かせる範囲で世界を見渡すと、本当にいろんなところに精霊がいる。
母親の肩には赤いワンピースを着たいかにも『妖精』といった姿の女の子がいるし、兄の肩には白い梟と足元に白と黒の二匹の猫がいた。
母の肩の精霊と比べて普通の動物に見えるのだが、さっきまでは見えなかったのでこれらも精霊なのだろう。
兄が足元の白猫を持ち上げて俺の枕元に置くと、頭を上げた猫の金色の目と目が合った。
……あれ?
途端に兄と母親以外の言葉が解る。
これまでは意味の解らない外国語のようにしか聞こえなかったのだが、母へと呼びかける女中の言葉も、俺へと話しかけてくる庭師の言葉も解るようになった。
……これが自動翻訳ってやつ? スゲー! 精霊が自動翻訳してくれてんだ!
兄が枕元へと精霊を置いた途端に意味が解るようになったので、そういうことなのだろう。
母親が不思議そうな顔をして覗きこみつつ、俺の体を抱き上げてきた。
「こんにちは、ジロー。わたくしがお母さんですよ。転生者って本当?」
「ほんとうだよ!」
俺に転生者かと聞いてくる母親に、何故か兄が答える。
絶対に俺は転生者である、と言って譲らず、母の肩に座る精霊もこれに同意していた。
……母さんには精霊が見えないのかな?
肩の上の精霊が頷いていても、母親的に俺が転生者である、と言っているのは兄だけなのだろう。
半信半疑といった表情で首を傾げた後、日本語でこんなことを言い始めた。
「右と左はわかるかな?」
……さすがにそれぐらいは解るよ。
そうは思うのだが、まだしゃべれないので答えようがない。
さてどうしたものかと悩んでいると、母も答えようがないと気が付いたようで、質問を変えてきた。
「右手はどっちかな?」
それはわかる、と右手を振る。
「左手はどっちかな?」
今度は左手を振る。
これで母も少し真面目な顔つきになった。
兄の言葉を信じ始めたのだろう。
「右手あげて?」
右手を上げる。
「左手をあげて」
左手を上げる。
「右手さげないで、左手さげて」
右手を下げそうになって思いとどまり、左手を下げる。
しばらくこんな遊びを繰り返したあと、ようやく母は兄の言葉を信じる気になったようだ。
ザッと血の気が失せたように青くなり、俺を抱いたままその場でクルクルと回り始めた。
「どうしよう! ジローが転生者だなんて! しかも、今更だけど日本語解ってる。ってことは日本人の転生者? なんでこんなに頻繁に生まれるの? メイユ村って何か日本人が生まれやすい電波でも出てるんじゃないでしょうね!?」
「かあさん、おちついて。ジローが目をまわしてる」
「あっ!」
母の腕の中で生後数ヶ月にして三半規管のトレーニングを実施されていた俺を、兄の声が救ってくれる。
兄の声で我に返った母は、そっと俺をベビーベットへと下ろすと、兄に俺を任せて部屋から出て行った。
……助かった。今生の兄が利発そうな子どもで良かった。
「りはつ?」
……あれ?
言葉などまだ話せないのだが、兄は俺の心の声が解るようだ。
利発とはなにか、と首を傾げている。
……兄ちゃん、俺の考えてること解るの?
「精霊がおしえてくれる」
……すげーっ! さすが異世界!
自分が話せなくとも、兄が精霊を通じて俺の考えを読んでくれるため、意思の疎通が可能になった。
こうなってくると、赤ん坊とはいえ少しは快適に過ごせるようになる。
兄はいろいろなことを俺に教えてくれて、母親の名前がクリスティーナで、俺の子守女中の名はサリーサだと教えてくれた。
その代わりに、兄は前世の話を聞きたがる。
子どもの好奇心は強いのに、まだ子どもなせいで家からあまり出られないためだろう。
外へ出られないかわりに、違う世界の話でもいいから聞きたいのだと思う。
「ジロー、まえのなまえは?」
……俺は平賀裕太。あ、雄太が名前で、平賀が苗字……家名な。
「ヒラガユウタ……?」
微妙に歯切れの悪い兄の声に、近頃ようやく座ってきた首を傾げ――ようとしてバランスを崩してクッションに転ぶ。
このままでは窒息する、と腕を振ると、何か大きな物が襟を掴んで俺の体を起こしてくれた。
……あ、コクまろ。
母が名付けたらしい黒い柴犬は、俺と兄の子守だと思う。
年齢のわりにしっかりとした兄と子守女中、そしてこの黒柴の存在に、俺の母親が育児ノイローゼになることはなさそうだった。
黒柴に姿勢を直されてクッションに座ると、今度は部屋の扉が開く。
扉の向こうから出てきたのは、これぞ王子さま! といったキラキラしい金髪の美青年だった。
「ジロー! 今日は目がさめているんだな? パパだぞー?」
んー? とご満悦といった様子で俺を抱き上げて頬を摺り寄せてくる金髪王子に、俺はというと固まる。
可愛い美人の母を妻とする父親はどんな人物なのかと考えていたのだが、まさか金髪のキラキラしい王子が来るとは思わなかった。
……あれ? ってことは、俺が金髪って可能性もあるのか?
まだ自分の顔を鏡で見たことはない。
母親と兄が黒髪をしているので、当然自分も黒髪なのだろうと安心していたのだが、父親が金髪ということは俺が金髪という可能性もある。
……なんかショックだ。前世では脱色なんてしてなかったのに……。
「ジローのかみは、ぼくたちといっしょ。黒」
……あ、そうなんだ。ちょっと安心した。
安心したので、金髪王子の顔をまじまじと見つめた。
母と父の容姿を省みるに、兄がこうなのだから、自分の顔にはますます希望が持てる。
「ジロー、そろそろ父様の離宮に――」
「アルフレッド様、適当なことを吹き込まないでください」
いつやって来たのか、金髪王子の入ってきた扉から母が姿を見せた。
その後ろには、金髪王子と同じ顔をした金髪王子が立っている。
「お兄ちゃんの言うことには、ジローは転生者らしいのです。パパだとか、適当な嘘をつかないでください」
全部理解しているようなので、適当なことを言うな、と母親が言う。
どうやらこの金髪王子は俺の父親ではなかったようだ。
「かあさん、ジローのまえのなまえ、ヒラガユウタだって」
「そう、ヒラガユウタ……平賀裕太!?」
「確か……ニホン人の名前は家名と名前をひっくり返したはずだから……?」
ユウタ・ヒラガ、と金髪王子二人の声が重なったと思ったら、俺を抱く金髪王子その1の手に力が篭る。
その瞬間に、母親の少し後ろに控えていた子守女中から凄まじいまでの殺気が放たれた。
「アルフレッド様、ジローはわたくしの子です。あげませんよ」
「しかし、聖人ユウタ・ヒラガの生まれ変わりとなれば……」
「あげません」
母はその場を動かなかったのだが、サリーサという子守女中がツカツカと金髪王子に近づき、俺を取り上げる。
そのまま母の腕へと俺を戻すと、それまでの殺気が嘘のように消えた。
……それにしても、俺の名前に何かあるのか? 聖人とかなんとか?
「せいじんユウタ・ヒラガは、すごい人」
……うん、ありがとう兄さん。よくわからん。
兄が色々と説明してくれるのだが、漠然とした言葉が多くてわかりにくい。
ただ、同姓同名の転生者が、偉業をなして名を残しているらしい、ということだけは解った。
これは確かに、前の名前は名乗らない方が良いだろう。
「ジロー、とうさんだぞ。一緒に家に帰ろうか」
あれ? こっちの金髪王子その2が父親なのか? と母に抱かれたままの俺をあやす金髪王子その2を見上げる。
金髪王子その1と同じ顔をしているのだが、瞳の色が少しだけ違う。
そして、あちらの金髪王子はどことなく近づいたら振り回されるオーラがあるのだが、こちらの金髪王子は清廉潔白といった雰囲気で、薄い本ではまず間違いなく腹黒にされるタイプだ。
「アルフさんでも、あげませんよ。ジローはうちの子です」
「ティナごとおいで」
……え? なに? 俺の母さん未亡人かなんかなの!?
生まれた時は両親が揃っていたと思うのだが、金髪王子その1は俺を引き取ろうとして、金髪王子その2は母ごと俺を引き取ろうとしている。
となれば、俺の父親は知らないうちに死んでいて、俺たち家族にはすぐにでも大黒柱が必要な状況にあるのかもしれない。
……そんなことを考えたこともありました。
あったのだが、単純に自称父親志望が多いだけだったようだ。
出産祝いを持ってきたレミヒオと言う男が父親を自称し、それをみたジャン=ジャックという護衛がノリで父親を自称し、ならばともう一人の護衛のアーロンが父親を自称した。
一番存在が謎だったのは、猫の被り物をした男だろうか。
顔はまったく見えなかったのだが、被り物の下から息も絶え絶えに「お……さん、……だよ」と言われた日には、さすがに不審者すぎてギャン泣きをした。
すぐに子守女中と黒柴が来てくれたため大事にはならなかったが、あれは一体なんだったのだろうか。
そろそろ本物の父親に登場してもらいたい、と思い始めた頃に姿を見せたのは、黒髪に黒い目をした大柄な男だった。
……この人が俺の父さん?
瞳の奥に自分へと向けられた間違いようもない慈愛を感じ、彼が父親であると確信する。
まずは挨拶をしようとハイハイで近づくと、すぐに男が俺を抱き上げた。
……こんにちは、とうさ――
「あ、レオナルドお兄様。お帰りなさい」
男とは違う扉から入ってきた母親の声に、自分を抱き上げている男が父親ではないことを知る。
てっきり彼こそが父親かと思ったのだが、『お兄様』ということは、母親の兄であって、夫ではないのだろう。
事実、母親は俺に向けて男を「レオナルド伯父様ですよ」と紹介した。
「クリスティーナ、おじさんは酷いだろう」
「あら、妹の子どもなのですから、その兄は伯父ですよ」
間違っていませんよね? と念を押され、伯父はこれを認める。
妹の子どもから見た兄は伯父である、と。
結局、誰が自分の父親なのかは判らなかったが、母親は伯父を信頼しているようだ。
他の男たちとは違って、俺を少し長く抱き上げていても伯父から俺を取り上げたりはしなかったし、子守女中も伯父に俺を任せきりだった。
母に対しては手のかからない子どもである兄も、伯父へはべったりと甘えるようで、伯父が長椅子に座るとすぐにその膝へとよじ登る。
……あ、なんか今生もいい家に生まれた気がする。
前世の家庭も悪くはなかったが、今生の家庭も良さそうだ。
少し父候補の数が多すぎる気がするのだが、自分という存在が全員から愛され、歓迎されていることがわかった。
この家で、自分は健やかに育ちたい。
父と母と兄と、可能であれは弟や妹とも。
弟妹がほしい――と考えて、最初の疑問に戻る。
……結局、俺の今生の父さんって誰!?




