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レオナルド視点 テオの軌跡

 ……うん?


 雷に撃たれた。

 そう思った時には、違う場所にいた。

 一瞬前までは『黎明の塔』内部と思われる石造りの部屋にいたはずなのだが、足元には白い石畳の地面がある。

 そして、周囲に壁はない。

 どこかの街角かとも思ったが、これも少し違うようだ。

 街は街でも、これはもう廃墟だろう。

 家々は残っているのだが、壁は剥がれ落ち、屋根も完全に落ちている。

 今すぐ人が住めるような家は、どこにもなかった。

 ついでに言えば、建築様式も現代とは少し違うようだ。

 どちらかと言うと、神王領クエビアの神域で見た神殿に作りが近い気がする。


「ここは……?」


 ここはいったい何処だろう。

 すぐ近くにいたクリスティーナは何処へ行ったのか。

 そう周囲のことが気になり始めると、忘れていたものが次々に思い起こされる。

 まず真っ先に思いだしたのは、裂かれるかのような腕の痛みだ。


「いっ……なんだっ!?」


 何が起こったのか、と利き腕を見ると、俺の利き腕は金色に光っていた。

 何故自分の腕が光っているのか、と当たり前のことを考えて、遅れて思いだす。


 この腕は、俺の腕ではないらしい。

 精霊が言うには、俺の腕だと思っていた腕は、神王の物だったのだ。


 その腕を返し、神王の遺骸を破壊することを俺は選択した。


「……そうか。『精霊の座』を破壊すれば、神王の遺骸も消えるんだったな」


 俺の腕が光っているのは、そこに神王の腕があるからだろう。

 この腕が今から消えてなくなるのだ。


「俺は本当にどうなるんだ?」


 痛みはあるが、耐えられない痛みではない。

 問題はこの痛みが消えて神王の腕も消えたあとに、俺がクリスティーナの元へと帰ることができるかどうかということだけだ。

 腕が一本なくなるだけならばいいが、俺の体そのものがなくなってしまうのは困る。

 体がなければ、クリスティーナのところへも帰れなくなってしまうのだ。


「できるだけ早く、ティナのところへ戻らないと」


「それは少し難しいかな」


 てっきり一人だけかと思っていたのだが、どうやら誰か別の人物がいたらしい。

 突然聞こえてきた声に驚き、声のした方角へと顔を向けると、見覚えのない男が立っていた。

 見覚えはないのだが、少し知った人物に似ている男だ。


「……誰だ?」


「御伽噺では子どもの守護者だとかなんとか、良い呼ばれ方をしているみたいだけど……」


 良い呼ばれ方はあるが、そのような良い存在ではないのだろう。

 微妙に自分の発言を否定するような言い回しをしながら黒髪の男は俺に近づいてきた。

 その足元では、白と黒の猫が二匹仲良く擦り寄りながらついて歩いている。


「きみが妹として慈しんできた子にも、一度会ったことがあるよ。以前、こちらの世界に迷い込んで来ちゃったんだ」


 この世界に迷い込んで来た子どもを元の世界へ戻すことを仕事としているが、こんなに大きな子どもは初めてである、と言って男は笑う。

 その顔が、笑い顔など見たことがないのだが、不思議と神王に似ている気がした。


「……子どもの守護者というと、あの話か。その年に親を失ったばかりの孤児の前に現れると言う」


 クリスティーナが初めて攫われた精霊だ。

 御伽噺をいくつか思いだすだけで、男についての記載が頭に浮かぶ。


 子どもの守護者というのは、死者の行列へと迷い込んだ孤児に帰るべき家があれば元の世界へと返し、家が無ければそのまま死者の行列に並ばせる存在だからだ。

 そして、彼は大人の守護はしていない。

 死の国へと向かう行列を乱す大人もの、死を受け入れず生の世界へ戻ろうとする大人へは容赦なく制裁を行い、また行列へと並ばせることを仕事にしている。

 別の側面から見れば、死者の行列の番人でもあった。


 そんな男が俺の目の前にいるということは――


「……俺はティナのところへ生きて帰らないといけないんだが」


 死者の行列の番人であれ、なんであれ、俺がクリスティーナの元へと戻る邪魔をするのなら排除するしかない。

 さて、どう攻撃を仕掛けるべきか。

 まずは腕の痛みが治まらないことには、少し不利かもしれない。


 こんな物騒なことを考えていると、男は邪気なく笑う。

 構える必要はない。

 自分は俺を迎えに来たのではない、と。


「もう判ったみたいだけど、ここは死の国へと続く行列の始まる場所だ」


 ただし、この場所が『始まり』なのは神王であり、俺ではないのだと男は言う。

 俺が死んだ場合、行列の始まる場所は俺が死んだ場所、死んだ時代になるそうだ。

 どうりで、周囲の建物が古いわけである。

 この場所は、神王が生きていた時代の、神王が死んだ場所なのだろう。


「ここできみに絡まった『神王の腕』を取り除く。これまで人間として自然に振舞えていたように、相当複雑に絡まっているみたいだから……かなり痛いし、時間がかかるよ」


 神王の腕が切り離される痛みに耐え切れば、生きて元の世界へ戻れるだろう。

 耐え切れなければこのまま死ぬ、と男に言われ、ようやく少しだけホッとした。

 言われている内容はどうかと思うのだが、生きてクリスティーナの元へ戻れる可能性があると、はっきり知ることができたのだ。

 これで俺に恐れるものなど何もない。


「ところで、きみには僕の顔が誰に見えているのかな?」


「……知らない男だ。少し神王に似ている、とは思う」


「それは……きみは神王の目で僕を見ているんだね。だから僕の顔が正しく見えているんだ」


 男の顔は正しく見えない方が正常な人間の反応らしい。

 普通であれば、男の顔は帰るべき家にいる家族の顔に見えるのだそうだ。

 クリスティーナがここへ来た時には男の顔はアルフレッドに見え、これは家に帰れない子どもかと思ったら話しているうちに俺の顔に見えるようになった、とクリスティーナは言いはじめたらしい。

 クリスティーナはそうやって、俺の元へと戻って来た。


「帰るべき家……俺の場合は、ティナに見えればいいのか?」


 成人を過ぎていると判る男を前に、これが本当にクリスティーナになど見えてくるのだろうか、と心配になる。

 しかし男がクリスティーナに見えないことには、俺はクリスティーナの元へは帰れないと言うのだから、男がクリスティーナに見えるまで話しかけ続けるしかないのだろう。

 それはどんな拷問なのか、と気が遠くなりかけたところで、男からは別の人物の名があがる。

 クリスティーナでなければ、俺の父親の顔が見えてくるだろう、と。


「さもなければ、妹かな?」


「妹……というと、あのミルシェはやっぱり俺の妹のミルシェだったのか?」


 俺の体はいったいどうなっているのか、と男に聞いてみる。

 この男に聞いても答えなど返ってくるはずがないのだが、聞かずにはいられなかった。

 俺の体は少しおかしい。

 正確には、アルフが言うように、俺の時間だけが少し進んでいるようなのだ。

 どこかで俺の時間がねじれてしまったようなのだが、と考えて、答えは目の前にあった。


 神王の腕という、いつ手に入れたのかも判らない神秘の力が、俺の中にはある。

 こんな不思議なものを持っていたのだから、少しぐらいの不思議が俺の身に起こっていたとしても、それは不自然でもなんでもないのかもしれない。


「その時間のねじれも解くから、神王の腕を切り離すのに時間がかかるよ」


 その代わり、生きて戻れる可能性は大きい、と男は言う。

 丁寧に、慎重に取り除くため、俺の体にかかる負荷は少ない。

 痛みは伴うが、神王の腕が消滅するのに引きずられて一緒に消滅するようなことにはならないはずだ、と。


「ティナにもう一度会えるのなら、痛みぐらい耐えてみせるさ」


 伊達に鍛えてはいない、と続けて、ふと思う。

 俺が今会いたいと思ったクリスティーナは、どちらの『ティナ』なのだろうか、と。

 レオナルドの妹の『ティナ』か、テオの幼馴染の『ティナ』か。

 それが急に判らなくなった。







 肩から指先へ向かって、金色の光は剥がれ落ちているようだ。

 絶えず裂かれるような痛みがあるのだが、痛みのせいかこれまで忘れていたことを思いだしてきた。


 確信できたのは、この腕があったからこそ、俺が今も生きているということだ。

 この神王の腕がなければ、狼の餌にされたあの夜に俺は死んでいたのだろう。


 あの夜、奴隷商人の馬車に乗せられていた俺は、狼に囲まれた馬車を逃がすための撒き餌として使われた。

 狼に襲われ、牙に肌を裂かれ、それでも死にたくないと逃げ出し、また狼に追われ、どこをどう走ったのか森の少し開けた場所に飛び出し、そこで大きな水晶にぶつかった。

 ろくに前を見る余裕もなかったからこその事故だったのだろう。

 今思えば、あの時ぶつかった大きな水晶こそが『精霊の座』だ。

 近くに人がいたらしく、老人の声が聞こえたのだが、あれはカミールだったのだろう。

 突然飛び出してきた子どもに、カミールは優しかった。

 大丈夫か、どこかぶつけたのか、血だらけではないか、と自分の様子を教えてくれたのもカミールだ。

 これを聞いて、俺は自分が死ぬのだと思った。

 そして、死にたくないとも思ったのだ。


 数日前に、大好きな女の子と喧嘩をしていた。

 ちょっとした悪戯心で泣かせてしまって、泣かせてごめんと謝れていなかった。

 女の子の方も俺に酷いことを言ったのだが、これはすぐに女の子の兄が怒っていた。

 女の子もすぐに言いすぎたと思ったようで、はっと顔に反省の色を浮かべたのだが、俺は女の子と仲直りをすることができなかった。

 女の子は兄の物言いに怒り、その場から飛び出して行ってしまったのだ。

 俺も、また次にメンヒシュミ教会で会った時にでも謝ればいいか、とそのままにした。


 そして俺は売られてしまった。

 次に会った時にでも謝ればいいか、と後回しにした『次』の機会は失われたのだ。


 死ねない、と思った。

 どくどくと腕から流れ出て行く血の音を聞きながら。

 あの女の子がきっと謝ってくれるから、自分はそれを許してあげなきゃいけないのだ、と。

 謝れなかった、と俺が後悔するのはいい。

 後回しにした俺の自業自得というやつだ。

 だけど、あの子が俺に謝れなかったと後悔するのは嫌だ。

 あの子の後悔にならないためにも、俺は生きて、あの子に会いに行かなければ、と思った。

 あの子を許すために。


 『許すために』という感情がきっかけだったのだろう。

 俺から抜け出ていく神王の腕から、そんな意思のようなものを感じる。


 誰かを許したい。

 そのためにここでは死ねない、と強く願った俺に、『精霊の座』の中で眠っていた神王の心が動いたのだろう。


 俺が神王の腕を取り込んだのは、この時だ。


 許したい誰かのために生きることを願った俺を、神王は生かした。

 時を止めることで神話の時代から生き続けた神王の腕の変化に、時を管理していた神が驚く。

 止まっているはずのものが勝手に動き始めたのだ。

 驚いて原因を把握しようと動いたのは、当然だったかもしれない。


 結果として俺は時の流れから切り離され、時の異常を引き起こした原因を把握した時の神が満足し、また時の流れへと戻された時には、何故か時間が少し遡っていた。

 何故二十年近く前へと出されたのかとは思うが、時の神は善意から元の時間へ戻そうとして、あの時間へと俺を送ったのだろう。

 人間おれに取って二十年という時間は大きいが、神話よりさらに前から存在している神にとっては人間の二十年など誤差の範囲でしかない。

 これでアルフの言った仮説のつじつまが合う。


 俺の時間は、ここで一度捩れたのだ。


 そして、その歪みはこれから正される。







「……待て。時間が正されるとどうなるんだ? 『テオ』が俺の今の年齢になるまで俺はここにいるのか、『正す』と言うように俺が『テオ』の年齢になるのか」


「後者かな。それが一番周囲への影響が少ない」


 正しい時間に戻れば、俺が『レオナルド』としてクリスティーナと過ごした九年は失われるだろう、と男は言う。

 もっと正確に言うのなら、本来の年齢まで巻き戻った時間だけ、俺が『レオナルド』として過ごした時間が失われるのだ。

 まだ今年の誕生日は来ていないから、戻るのなら十六歳の俺だ。

 十六歳の俺はすでに『レオナルド』と名乗っていた。

 アルフレッドとアルフにも出会っている。

 ジークヴァルトには可愛がられていたし、クリストフにも何かと構われていた。


 時間が巻き戻って俺から失われるのは、クリスティーナとの時間ぐらいだ。

 そして、これこそが一番手放すわけにはいかない時間である。


「待て。ティナを忘れてどうする? 迎えに行くと言ったんだ。ティナを忘れたら、迎えに行けないじゃないか」


「それでも迎えに行くのがきみだよ」


 クリスティーナと過ごした時間が失われても大丈夫だ、と男は笑う。

 俺から『レオナルド』の記憶が無くなっても、『テオ』はすでにクリスティーナと出会っている。

 クリスティーナと出会い、大切な女の子だと胸に住ませている。

 俺が俺のまま、初恋の女の子を迎えに行けばいいだけの話なのだ、と。


「大丈夫だよ、きみは。腹立たしいほどに間違えないし、呆れるほどにしつこい。今の記憶を無くしても、必ずあの子を見つけ出す」


 時の神に間違った時間へと放り出されてまで見つけ出したんだから、呆れるしかないよね、と男は笑う。

 確かに、言われてみれば俺は『テオ』がクリスティーナと出会う前にクリスティーナを見つけている。

 ただの偶然ではあったが、ちゃんとクリスティーナへと辿りついているのだ。

 かつてと同じことを、もう一度するだけでいい。


「本当に、驚くほど正解を引き当てるよね、きみは」


 カミールの作った精霊の力を弾とする銃に神王の力を使ったのは正解だったらしい。

 あそこで俺の中の神王が一部銃へ移ったため、今感じている負荷が減ったようだ。

 子守妖精へ神王の血を与えたことも、俺の中から神王が抜ける手助けになっている。

 これらのおかげで、生きてクリスティーナの下へ戻れる可能性が上がったらしい。


 ――ああ、本当に。


 羨ましい、と不意に男の声が遠くなる。

 自分とはまるで違う、と嘆く声は二つに重なった。


 ……誰だ?


 誰が増えたのか、と霞み始めた視界を睨む。

 人影はいつの間にか、二つに増えていた。


 片方は神王に似た、これまで話をしていた男だ。

 もう一人はこれまで話をしていた男に似た、神王だった。

誤字脱字はまた後日。

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